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3 矯 正 (1) 新受刑者の推移
刑務所における新受刑者の推移を見ると,昭和元年は約3万人であり,63年は約2万8,000人である。その間に人山よ倍増しているので,人口比では,元年の約半分弱となっている。新受刑者の罪名別の推移を見ると,窃盗は昭和の初めから徐々に増加し,戦中,終戦直後の物資不足時代に急増しており,逆に,殺人,放火はその時代に急減し,強盗は終戦直後の混乱期に激増しており,強姦・強制猥褻は30年以降44年にかけて増加し,また,覚せい剤取締法違反は,60年以降,窃盗を超えて第1位を占めている。 新受刑者について刑名別に見ると,戦前の特徴は,警察犯処罰令による拘留が多いことであり,昭和元年から10年までは総数の約11%ないし約20%を占め,また,戦前は6月以下の短期刑が20%前後に上っていたが,戦後は,拘留はごく少なくなり,最近では6月以下の短期刑も10%前後となっている。さらに,元年から35年までは,6月を超え1年以下の刑が総数の3割ないし4割で最も多く,36年以降は,1年を超え3年以下の刑がおおむね4割ないし5割を占めて最も高くなっており,戦後は戦前と比べて短期の自由刑が少なくなっているといえる(第3章第2節5(1),(3)及び(4)参照)。 (2) 新受刑者の特性の変化 ア 年齢・性別の動向 新受刑者を年齢別に見ると,終戦直後の受刑者の急増は,30歳未満の者の増加によるものであり,総数中のこれらの者の比率は,戦前の割合をはるかに超えたが,その後は減少し,昭和48年以降は40歳以上の中高年齢受刑者が増加傾向にある。また,女子受刑者は,昭和初期には年間1,COO人を超え,その半数以上は売春の取締りのために拘留に処せられた者が占めており,終戦直後には,生活困窮による窃盗が激増して年間2,600人を超えたが,その後減少したものの,近時では,覚せい剤事犯の増加により,1,200人前後となっている(第3章第2節5(1)及び(6)参照)。 イ 入所度数別の推移 次に,新受刑者を入所度数別に見ると,初度の者は,戦前の昭和元年から17年まではおおむね40%ないし50%前後であり,戦後は21年には76.8%と最高を記録し,その後は減少傾向となり,更に横ばい状態を続け,63年には39.2%となっている。また,6度以上の者は,元年の9.0%から16年の13.9%まで上昇し,戦中と終戦後には著しく低下したが,その後は一貫して増加し63年には16.0%となっている(第3章第2節5(5)参照)。 ウ 生活・教育程度の変化等 新受刑者の生活程度については,戦前の受刑者の大部分は生活程度「下」以下であったが,最近では半数強にまで減少している。また,教育程度については,昭和元年には小学校中退及び不就学が27.1%を占めていたが,その後一貫して減少し,60年では1.8%となっている。また,再犯期間については,刑務所出所後3月未満で再入所する者の比率は,戦時中に高かったが,戦後は40年以降低下しており,短期間で再犯に陥る者が減少する傾向がある。さらに,終戦の前後に刑務所からの逃走者や受刑中の死亡者が激増したが,40年代以降はこれらが顕著に減少しており,近年では刑務所での規律・秩序が安定し,給養及び保健・医療体制が充実していることがうかがえる(第3章第2節5(7)及び(8)参照)。 (3) 刑務所内での処遇 昭和における行刑の動向は,昭和8年の行刑累進処遇令に始まり47年の受刑者分類規程に至る,我が国の行刑近代化への変革の過程であった。その底に流れる思潮は,処遇の改善を主とする「人道化」(処遇の改善等),社会復帰の施策を広く社会の理解と援助に求めるなどの「社会化」(公衆参加等),改善更生策を行動科学等により技術化する「科学化」(分類処遇等)の各流れであり,それらはふくそうしながら進展してきたのである。その結果として,近代行刑思潮にのっとった受刑者の改善と社会復帰を目的とする処遇の個別化を主体とした科学的分類処遇の軌道が敷かれ,ようやく昭和の末において開花したものといえる(第3章第2節1,2及び3参照)。 (4) 婦人補導院 昭和32年に,総合的売春対策立法として売春防止法が施行され(ただし,刑事処分に関する規定は33年から施行),さらに,33年には婦人補導院法が施行されて,補導処分に付された女子を収容し,これを更生させるために必要な補導を行う施設として,婦人補導院が設置された。婦人補導院設置当初は,新収容者数は年間400人を超えていたが,その後減少を続け,50年代後半からは年間おおむね数名となっている(第3章第2節6参照)。 |