2 行刑における人道化,社会化の潮流 近代における我が国の行刑処遇には,受刑者についても人間の尊厳にふさわしい待遇が保障されるべきであるとの人道的な思潮があり,一方,受刑者の円滑な社会復帰を図る立場からは,行刑処遇はできるだけ社会との落差をなくし,かつ,社会とのつながりを維持・促進しようとするいわゆる行刑の社会化の潮流がある。前者は近世ヒューマニズムの影響によるものであり,後者は受刑者を社会から隔離するという伝統的な刑務所拘禁中心主義の考え方に対する反省から生まれたものであるが,この二つの流れは相互にふくそう・影響し合いながら受刑者の衣食住その他の生活条件の向上を図る処遇改善等の動きとして,あるいは,社会からの隔離を合理的範囲内で緩和し,民間篤志家による外部からの援助等の社会資源を活用しようとする動向となって,昭和の行刑をリードしてきたのである。 まず,昭和時代において処遇の人道化を鮮明に打ち出した施策は,昭和8年の行刑累進処遇令の制定(第2編第3章第3節1の(2)参照)であるが,管理的色彩の強い監獄法を実質的に変更して処遇に人道主義的な改善施策を導入したもので,監獄法制定以来の画期的な出来事であった。戦後の混乱期に,法務当局はいち早く「監獄法運用7基本方針ニ関スル件」(21年)を発出して,「受刑者ハ自由ヲ剥奪セラルル外生命,身体,財産等ニ関シテハ其ノ固有ノ権利ヲ失フモノニ非ザルヲ以テ偏見ヲ去リ煩瑣ヲ厭ハズシテ此等ノ権利ヲ尊重スルコトヲ要ス。」との人権尊重の原理を示し,[1]受刑者の衣類について赭色(赤土色)から浅葱色に改めた(22年),[2]憲法に定める政教分離の原則から,公務員としての教誨師制度を廃止し,民間の宗教家によることとした(22年),[3]暗室に拘禁する懲罰である重屏禁を事実上廃止した(22年),[4]被告人の弁護人との接見において,刑務官の立会を要しないこととした(23年),[5]刑務作業時間について,実働1日8時間,1週48時間制を確立した(28年),など矢継ぎ早に一連の処遇上の改善を行った。また,1955年の犯罪の防止及び犯罪者の処遇に関する第1回国連会議で議決された「被拘禁者処遇最低基準規則」は,矯正における人道的,教育的,治療的処遇や規律維持等に関する一般的原則を規定しており,我が国においても行刑処遇の重要な指針として,受刑者処遇の改善を促進する一つの規範となっている。その後,処遇内容の進展に伴い,その一層の改善・向上を図るために,41年,に監獄法施行規則を大幅に改正し,[1]独居拘禁期間の短縮,[2]受刑者の交談禁止の緩和,[3]受刑者の監房に畳を敷くことの禁止の解除,[4]一般新聞紙の閲読禁止の解除と一定の制限の下での閲読の許可,[5]受刑者等の衣類臥其の色彩を特定することの廃止,[6]頭髪の「丸刈り」以外の長髪の許可などの多くの生活上の改善が行われたほか,近時では社会における週休2日制の導入に合わせて,受刑者の作業時間も48年4月1日から1週48時間就業から44時間へ,61年3月20日から更に4週168時間就業(隔週週休2日制)へと漸次改められている。 受刑者処遇における社会化の動きについて見ると,制度的な変革としては,[1]新憲法下,22年に新たに発足した民間宗教家による教誨師制度(第2編第3章第3節3の(2)参照),[2]民間篤志家の協力を得るため28年に設けられた篤志面接委員制度(第2編第3章第3節3の(1)参照)などの導入が挙げられるが,そのほかにも,作業,職業訓練,教科教育,人出所時の教育,生活指導及び各種のクラブ活動等のあらゆる処遇場面において外来講師や外部指導者が積極的に招へいされ,また,高等学校の通信制課程や各種通信教育等が活発に実施されている(第2編第3章第3節2参照)。最近においては,刑務所作業製品の展示即売会を主にした矯正展が全国各地で開催され,矯正処遇に対する社会の理解と支援を得るための広報活動等が積極的に行われている現状にある。
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