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 平成 元年版 犯罪白書 第4編/第3章/第2節/6 

6 婦人補導院

(1) 売春防止法及び婦人補導院の成立
 我が国における売春関係の取締りは,明治33年制定の娼妓取締規則により,「娼妓名簿ニ登録セラレサル者ハ娼妓稼ヲ為スコトヲ得ス」などとして,いわゆる公娼制度を容認する一方で,41年制定の警察犯処罰令により,「密売淫ヲ為シ又ハ其ノ媒合若ハ容止ヲ為シタル者」を処罰することとして,いわゆる私娼等を禁止していたもので,この状態が終戦時まで続いていた。
 終戦後,昭和21年1月21日に連合軍最高司令官から発せられた覚書「日本における公娼制度廃止に関する件」を受けて,政府は,同年2月2日に娼妓取締規則を廃止して公娼制度を禁止し,22年1月15日公布の「婦女に売淫をさせた者等の処罰に関する勅令」により,暴行又は脅迫によらないで婦女を困惑させて売淫させる行為及び婦女に売淫させることを内容とする契約をする行為を処罰することとした。
 一方,警察犯処罰令は,昭和23年の軽犯罪法の施行に伴い廃止され,それ以降は,単純な売春行為自体を処罰する法律は存在しないこととなった。このため,従来の公娼地区をいわゆる赤線地区として容認する結果となり,効果的な取締りができない状況が続いていた。
 このような事態に対して,性道徳と善良な風俗の維持や女性保護などを図ることを求める世論が高まり,政府は総合的な売春対策について検討を重ねた結果,昭和32年4月1日に,「婦女に売淫をさせた者等の処罰に関する勅令」が廃止され,これに代わって売春防止法が施行された(ただし,刑事処分に関する規定は翌33年4月1日から施行)。同法は,我が国最初の画期的な総合的売春対策立法であり,売春の違法性・反社会性を明らかにして,売春をし又はその相手方になることを禁止した上で,売春を未然に防止するため,売春を周旋するなど売春を助長する各種の行為,売春をする目的で,公衆の目に触れるような方法で勧誘・客待ち等を行うなど第三者に迷惑を及ぼすような外形的行為等を処罰することなどを規定している。
 その後,昭和33年3月25日に,売春防止法の一部改正が行われ(同年4月1日施行),売春をする目的で,公衆の目に触れるような方法で勧誘・客待ち等を行った20歳以上の女子が起訴されて有罪となり,裁判所がこの者に対する自由刑の執行を猶予する場合には,補導処分に付し得ることとした。これと同時に,婦人補導院法が制定され,補導処分に付された者を収容して,これを更生させるために必要な補導を行う施設として,婦人補導院が設置された。当初,婦人補導院は,東京,大阪及び福岡に合計3庁(このほか分院が3庁)が設置されたが,63年末現在では,東京に1庁となっている。
(2) 売春防止法違反事件と婦人補導院収容状況の推移
 IV-58表は,売春防止法違反の態様別構成比を,昭和34年,35年からの5年ごとと63年について見たものである(35年までは検挙人員,40年以降は検察庁への送致人員による。)。総数では,34年が1万9,600人で最も多かったが,それ以降減少を続け,55年には2,205人となり,その後はやや増加し63年には2,921人となっている。このうち,「勧誘等」は,35年に73.2%で最も高かったが,その後一貫して減少を続け,63年には11.6%となっている。一方,これ以外では,「周旋等」は34年に13.3%,63年に53.7%であり,「売春をさせる契約」は,34年に1.1%,63年に16.0%となっており,両者共に増加傾向を示している。また,「場所の提供」は,34年に8.9%であったものが,55年に23.2%となり,その後やや減少したものの,63年では15.5%を占めている。こうした検察庁への送致人員等の減少傾向及び態様別構成比の変動は,売春の手口が巧妙になり,取締りが困難になってきていることを示しているとともに,売春が,「勧誘等」に現れるいわゆる街娼の形態から,他の形態へ変化してきていることを表すものと考えられる。

IV-58表 売春防止法違反の態様別構成比(昭和34年,35年,40年,45年,50年,55年,60年,63年)

 IV-35図は,婦人補導院の新収容人員(付表15表参照)及び売春防止法違反のうち「勧誘等」の人員(昭和35年までは検挙人員,36年以後は検察庁への送致人員である。)の推移を表したものである。婦人補導院の新収容人員は,昭和35年に408人で最も多く,その後は,次第に減少して,特に50年代の後半からは,おおむね年間数名の新収容にとどまっている。一方,「勧誘等」の人員は,34年の1万4,149人を最高にして,その後おおむね減少を続けており,63年には338人となっているが,婦人補導院へ収容される者は,「勧誘等」の人員と比べると,極めて限られた者であることが分かる。
 IV-59表は,婦人補導院の新収容者の特性の構成比を,昭和33・34年の平均,35年からは各5年間ごとの平均と55年〜63年の平均について見たものである。まず年齢層では,20歳台の者が33・34年の51.9%から一貫して減少し,55年〜63年では11.6%となっているのに対し,40歳台及び50歳以上の比較的年齢の高い者が,33・34年の14.9%から55年〜63年の52.2%へと増加しており,高齢化の現象がうかがえる。知能指数では,知能指数79以下の知能の低い者が,33・34年の77.7%から55年〜63年の62.3%へとやや減少傾向にあるものの,依然として高い比率を占めている。心身の状況では,「おおむね正常」の者は,33・34年には51.5%であったが,その後減少し,最近では30%台にとどまっている。また,「疾病のため治療を要する」者(その大部分は性病)は,33・34年には6.7%であったが,50年〜54年以降は40%台にまで増加しているなど,収容者には,心身に何らかの問題を有するものが多い。教育程度では,大部分の者が中学卒業以下の教育程度となっている。婦人補導院への入院回数では,初度の者が最も多く,35年〜39年以降はおおむね50%ないし60%内外であるが,3度以上の者の割合が増加し,55年〜63年では31.8%に達している。このほか,収容者には,出院に当たって引受人がおらず,煽護施設へ帰住するなどの保護環境不良の者も多い。

IV-35図 婦人補導院新収容人員及び売春防止法違反のうち「勧誘等」の人員の推移 (昭和33年〜63年)

IV-59表 婦人補導院新収容者の年齢層・知能指数・心身の状態・入院度数別構成比