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 平成 元年版 犯罪白書 第4編/第5章/第3節/4 

4 更生保護

(1) 制度の変化
 昭和の更生保護制度は,60余年の間に大きく変転したが,大別して現行の犯罪者予防更生法が施行された昭和24年の前とその後に二分される。
 昭和初年における我が国の更生保護は,釈放者保護(刑務所釈放者,起訴猶予者,刑執行猶予者等の保護)と少年保護とから成っており,共にその主要部分は民間有志の活動にゆだねられていた。当時,政府は,釈放者保護事業について助成金を交付してこれを奨励するにとどまっていたが,11年に思想犯保護観察法が,また,14年には司法保護事業法がそれぞれ制定され,釈放者等のための司法保護事業に対して,徐々に国家性が付与されていった。2司法保護事業法は,それまで民間にゆだねられていた釈放者保護事業の経営を認可制として,これに対する監督を強化し,奨励金の交付による事業助成を推進し,また,その保護に当たらせるために多数の司法保護委員を配置することにより,全国に更生保護のネットワークを築き上げた。思想犯保護観察法は,治安維持法違反を犯した者に対する保護観察の制度を定めたものであったため,終戦により廃止され,思想犯の保護観察所も廃庁となった。
 昭和24年,新たに犯罪者予防更生法が制定されて,アメリカにおけるプロベーションやパロールの思想を継受し,本人の自助の責任を踏まえて社会復帰を図ろうとする,従来とはかなり異なった内容の保護観察制度が導入され,中央更生保護委員会(組織変更により,27年以降は法務省保護局),地方成人・少年保護委員会(同じく地方更生保護委員会),成人・少年保護観察所(同じく保護観察所)が設置された。次いで,25年に更生緊急保護法,保護司法が制定されて,近代的な更生保護の体制が完成した(第3章第3節1参照)。
(2) 仮釈放
 昭和24年の犯罪者予防更生法の制定によって大きく変わったのは,仮釈放制度であった。同法の制定前においては,刑務所からの仮釈放者は,旧少年法により「少年保護司の観察」に付される18歳未満の少年を除いて,すべて警察官署の監督を受けることとされていたが,犯罪者予防更生法の施行により,警察官署による監督は廃止され,成人・少年を問わず保護観察所の保護観察を受けることになった。
 旧少年法により保護観察を受けた18歳未満の仮出獄者の数は,昭和19年までは,年間で7人を超えたことがなく,20年以降急増して22年には1,000人を超えるに至った。成人をも対象とすることとなった24年以降において,全国の保護観察所が新たに受理した仮出獄者の数は,27年には約4万5,O0O人を数え,以後漸減して53年には約1万4,000人まで減少した後,増勢に転じ59年には約1万9,000人にまで達したが,62年からは減少傾向にある。
 他方,受刑者の仮出獄率は,昭和元年から6年までの間は,おおむね5%前後と極めて低いものであったが,8年から18年までは,10%から19%までの間でおおむね上昇傾向を示し,21年の仮出獄率は74.0%に達している。犯罪者予防更生法が制定された24年以降も,仮出獄率は,26年までは70%以上であり,35年までは65%を下回ることはなかったが,30年代後半に入って,受刑者数の減少等により徐々に下降して,57年には50.8%にまで後退をしている。59年3月に法務省は,仮出獄の適正かつ積極的な運用方針を示し,以後63年までの仮出獄率は,毎年55%を超えている(第3章第3節2参照)。
(3) 保護観察付執行猶予
 保護観察付執行猶予については,旧少年法の施行以来,18歳未満のときに執行猶予の言渡しを受けた者のみが保護観察に付されていたが,昭和28年12月の刑法一部改正等によって,再度の執行猶予者に保護観察が付されることになり,次いで29年の刑法一部改正,執行猶予者保護観察法の制定等により,初度目の執行猶予者にも保護観察を付することかできるようになF),18歳未満という年齢の制限もなくなった。旧少年法により,「少年保護司の観察」に付された18歳未満の少年の数は,3年には38人であり,8年には50人を,16年に100人をそれぞれ超えるなど,おおむね増加傾向にあった。24年制定の犯罪者予防更生法により保護観察に付された者の数は,同年の約1,300人から28年の約90人に至るまで,急速に減少している。
 その後,制度の改正により,全国の保護観察所が新たに受理した保護観察付執行猶予者は,昭和31年以後60年まで年間6,900人から8,600人までの間で推移していたが,61年以降は減少の傾向にあり,63年には約6,000人になっている(第3章第3節3(3)参照)。
(4) 保護観察事件受理人員の推移
 保護観察事件全体の受理人員(保護観察処分少年,少年院仮退院者,仮出獄者,保護観察付執行猶予者及び婦人補導院仮退院者)の推移を見ると,制度発足後間もない昭和27年には,ほぼ7万8,000人を数えたが,仮出獄者及び仮退院者の減少等に伴い,49年には年間の受理人員は約4万4,000人にまで減少した。52年ごろから,少年非行の増加に加えて,交通違反者に対する保護観察の積極化,短期処遇の導入等の処遇の多様化の施策等により,保護観察事件も増加し,58年には10万人を超え,63年には約9万6,000人となっている(第3章第3節3(1),(2)及び(3)参照)。
(5) 更生保護会
 身寄りのない釈放者等の社会復帰のよりどころとなっている更生保護会の設立状況を見ると,昭和2年には,釈放者保護団体と少年保護団体とで800余を数え,また,思想犯保護団体を加えて1,000団体を超えていた時期もあるが,戦後の混乱と制度の改正に伴い,25年に更生緊急保護法によって新たに認可されたのは,143団体にとどまった。その後,30年代前半までは少なからぬ更生保護会が新設され,172団体に達したこともあったが,経済的基盤のぜい弱なことや人材の確保の困難なこともあって,63年12月31日現在において102団体100施設(休止中のものは除く。)となっている(第3章第3節4参照)。
(6) 保護観察制度の特徴
 我が国の保護観察制度の特徴は,少人数の保護観察官と約4万9,000人の民間篤志家である保護司とが協働して保護観察を実施し,効果を挙げていることであるが,そのための創意・工夫が行われてきた。保護観察対象者を処遇の難易により分類して処遇する分類処遇や保護観察官の定期駐在の施策がこれであり,また,交通事犯保護観察少年に対する交通集団処遇,さらに,仮出獄者の円滑な社会復帰を図ることを目的として,仮釈放準備調査や長期刑受刑者のための更生保護会における中間処遇などの施策が実施されている(第3章第3節3(4)参照)。
(7) 恩  赦
 昭和天皇の崩御に際会し,政令恩赦が実施されたが,昭和60余年の間に実施された政令恩赦は,戦前6回,戦後9回の併せて15回である。政令恩赦の実施事由を見ると,皇室の慶弔,国の重要行事等の際に実施されていることが分かる。恩赦が,国の行政権の作用によって刑罰権を消滅させ,又はその効力を減少させることから,最近の恩赦の実施は,かなり謙抑的に行われているといえる。常時恩赦の処理状況を見ると,処理人員は,30年代には年間およそ100人から200人であったものが,40年代には起伏はあるものの増加し,44年には929人(うち恩赦相当852人)を記録するが,その後は減少し,63年には172人(うち恩赦相当111人で,その内訳は刑の執行の免除14人,復権97人である。)となっている(第3章第3節5参照)。