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 平成 元年版 犯罪白書 第4編/第3章/第3節/4 

4 更生保護会

(1) 概  説
 更生保護会は,法務大臣の認可を受けて更生保護事業を営む民間の団体であり,宿泊保護など直接保護事業を行うものと,この直接保護事業を助成するなどの連絡助成事業を行うものとの2種類がある。通常「更生保護会」と言われるのは前者をいう。更生保護会の収容対象となる者には,刑の執行を終わり身体の拘束を解かれた者などいわゆる更生緊急保護の対象となる者,保護観察中の者で保護観察所長から委託された者,更生緊急保護の期間経過後なお保護を必要とする者等があり,これらの者に対して,宿泊の供与に加えて,食事の給与,就職の援助等の保護を行っている。
(2) 更生保護会の変遷
 民間人による釈放者保護事業の先駆たるものは,明治21年に金原明善によって設立された静岡県出獄人保護会社である。その後,監獄を釈放された者で身寄りのない者等を監獄の別房で生活させる別房留置制度の廃止,明治・大正年間の数次にわたる恩赦の実施による多くの受刑者の赦免,さらに,政府の釈放者保護団体設立の奨励などの結果,釈放者保護団体(免囚保護団体)及び少年保護団体の数も増大し,昭和2年には全国で800余を数えるに至った(ただし,このうちには,保護団体の支部・分会を含み,また,収容保護施設のほか間接保護を行う団体も含まれていた。)。釈放者保護団体等の運営は,専ら民間篤志家や市町村等の協力により実施され,政府は事業奨励費を出すことによって奨励した。
 昭和11年5月思想犯保護観察法の成立と前後して,思想犯保護団体が各地に設立され,また,同年11月に免囚保護事業奨励費取扱規程が司法保護事業奨励費取扱規程と改められた。14年9月司法保護事業法の施行により,司法保護団体(猶予者保護団体,釈放者保護団体,少年保護団体,思想犯保護団体)は司法大臣の認可制となり,これまでの小規模な組織は整理統合され,一時は1,000余あった保護団体も,同年12月末で692団体が認可を得ることとなった。また,同年12月には,釈放者保護団体や思想犯保護団体の中央組織であった輔成会及び昭徳会並びに日本少年保護協会を統一する財団法人司法保護協会(現在の日本更生保護協会の前身)が設立された。17年には少年審判所による保護処分が全国的に実施されるに伴い,少年保護団体の設立が促進されたが,その後戦時色が強くなるに従い,保護団体の経営は次第に困難になっていった。

IV-42図 更生保護会数(団体数)の推移(昭和25年,30年,35年,40年,45年,50年,55年,60年,63年各12月3日現在)

 第二次大戦後の昭和20年10月,終戦直後の経済的混乱等により生活の方途を失った猶予者や釈放者を保護するため司法補導所が司法保護団体に設置されたが,一方で,24年3月には少年保護団体が廃止され,一部が少年院や児童福祉施設として再出発することとなった。
 昭和25年5月司法保護事業法が廃止され,更生緊急保護法が施行されたことに伴い,戦前に活動した司法保護団体は,法務大臣の認可を受けて更生保護会として再出発することとなった。戦前一時は600余を数えた保護団体も,戦時中の被災や戦後の経済的困窮,さらに,制度の改廃等により相当数が焼失したり廃止に追いやられ,更生緊急保護法に基づき新たに認可を受けた更生保護会は143団体であった。
 IV-42図は,昭和25年から60年までの5年ごとと63年における更生保護会の数の推移を見たものである。直接保護事業を営む更生保護会は,20年代後半において新設と廃止が繰り返されたが,30年代に入り団体数も160から170と高原状態が続いた。しかし,30年代後半から40年代に至り,我が国の経済状態が回復するに従い,逆に被保護者の受託数が減少し,経営難から事業の廃止に追い込まれるものが続き,50年代に入り減少傾向はとどまったものの,63年12月末現在で102団体(実働中の更生保護会は98団体・100施設)となった。
(3) 収容保護状況の推移
 IV-43図は,昭和36年から63年までの事件種類別の更生保護会委託人員の推移を見たものである。36年には2万人余の対象者を更生保護会へ委託していたが,その後逐年委託人員が減少し,48年には1万人を割ることとなり,50年以降は若干増加し,おおむね1万人台から1万1,000人台で推移している。また,委託人員を内訳別に見ると,36年から44年までは更生緊急保護対象者の割合が上回っていたが,51年からは逆に保護観察対象者の割合が上回り,その差も次第に拡大してきている。
 IV-64表は,昭和33年,35年から60年までの5年ごとと62年における更生保護会の収容保護状況を見たものである。35年には,更生保護会数は158で,収容保護実人員3万6,698人,収容保護延べ人員113万8,923人の多きを数え,収容率も76.2%を占めていたが,その後,更生保護会数の減少とともに収容保護実人員及び収容保護延べ人員も減少し,55年には,更生保護会数が100,収容保護実人員1万1,314人,収容保護延べ人員52万6,076人に減少し,62年には更生保護会数98,収容保護実人員1万1,002人,収容保護延べ人員54万2,662人となっている。35年と62年との収容保護状況を比較すると,62年には収容保護実人員でおよそ3分の1に,収容保護延べ人員でおよそ2分の1にそれぞれ減少している。後者の内訳を見ると,委託保護人員の減少よりも任意保護人員の減少の方が著しい。

IV-43図 事件種類別更生保護会委託人員の推移(昭和36年〜63年)

IV-64表 更生保護会の収容保護状況(昭和33,35,40,45,50,55,60,62各会計年度)

 更生保護会は,民間篤志家の善意により営まれているが,その時々の経済状況に影響されたり,職員の人材確保が困難なこともあり,現存する多くの更生保護会もその経営状態は必ずしも良いとはいえない。しかし,立ち直りを目指す刑務所出所者のおおむね5分の1が更生保護会へ帰住している現状を見ると,その役割は極めて重要である。一方,更生保護会経営上の問題点の一つとして,最近,地域住民の理解協力を得ることが次第に困難になってきていることが挙げられている。