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 昭和36年版 犯罪白書 第二編/第一章/三/1 

三 刑の量定

1 量刑の基準

 刑の量定は,各罪について定められた法定刑の範囲内であれば,裁判官の自由裁量でこれを行なうことができるとされており,法的な規制はなんら示されていない。わが刑法の法定刑は,諸外国の立法例のなかでも特に幅ひろく規定されているので,裁判官の自由裁量の余地も,またひろいものといえるのである。たとえば,窃盗罪は最高十年から最低一月の範囲内であり,また,殺人罪は最高の死刑から最低の懲役三年までの範囲内(懲役三年には刑の執行猶予を言い渡すことができる)であって,このわくのなかで科刑が行なわれればよいわけである。しかも,情状酌量の余地があるときは,法定刑が二分の一に減軽されるから,窃盗罪の場合はその下限が一五日の懲役,殺人罪の場合は一年六月の懲役といった具合に,その幅は一層ひろまるのである。
 刑の量定は,裁判を受ける被告人にとって最も関心の寄せられる事柄であるが,被告人に限らず,裁判それ自体としても最も重要な仕事の一つである。もし量刑が重きに失し,または軽きに失しその適正が失われる場合には,刑罰の機能をそこなうことになり,その結果刑政を誤らしめるおそれがあるからである。しかし,法は量刑の基準については,何ら規定するところがない。そこで,一般には起訴猶予の基準として刑事訴訟法が規定している,犯人の性格,年齢および境遇,犯罪の軽重および情状,並びに犯罪後の情況を量刑の基準として参酌すべきであると説かれている。また,改正刑法準備草案は,「刑の適用においては,犯人の年齢,性格,経歴および環境,犯罪の動機,方法,結果および社会的影響並びに犯罪後における犯人の態度を考慮し,犯罪の抑制および犯人の改善更生に役立つことを目的としなければならない」と量刑の一般的基準を示している。これらの基準は,量刑にあたって考慮すべき一般的な因子を示したものとして意義があるが,これらの因子がどのような場合にどの程度参酌すべきかを明らかにしていないので,これらの基準を仮に量刑にあたって考慮するとしても,ただちにこれらによって具体的な科刑が導き出されるものではない。
 刑の量定は裁判官の自由裁量にゆだねられているといっても,もとよりそれは裁判官の主観的恣意を許すものではなく,合理性をもったものでなければならない。刑事訴訟法は,「刑の量定が不当であるとき」には控訴理由になるとしており,また,「刑の量定がはなはだしく不当で」あって判決を破棄しなければいちじるしく正義に反するときは,上告審の破棄理由になるとしているが,刑の量定が不当かどうかの判断は,右の合理性をもった基準に則って決せられるものといえるのである。
 それでは,合理性をもった基準とは,具体的にはどのようなものを指すのであろうか。
 裁判官,検察官,弁護士といった実務家の間で,長い歳月にわたって個々の事件の科刑の積み重ねを経て自然とでき上がった量刑の慣行といったものがある。たとえば,前科も前歴もない二五才になる男が失業の結果生活費に窮し,街路上にあった自転車一〇台を次々に窃取し,これを一台二千円で売却し,二万円を受け取ったという事例があったとしよう。窃盗罪は,前述のように懲役十年から懲役一月までが法定刑であるが,この犯人に対する科刑は,ある裁判官が懲役六年,またある裁判官が懲役六月であったとしても法律的には差支えないわけであり,考え方によってはそのような科刑が合理的でないと一蹴し去ることはできないと思うが,しかし,実務の実際では,このような大きな差異は生ぜず,多少の幅はあるとしても,大体一致した線で科刑が行なわれているのである。これは,右の量刑の慣行ができ上がっていて,この慣行の尺度に則って科刑が行なわれるからである。この尺度は数学の定理や公式のように,これを具体的なケースにあてはめれば,寸分の誤差もなく結論が導き出せるといったものではないが,しかし,大体の科刑がいちじるしい差異がなく出せるものである。そして,科刑が重過ぎる,軽過ぎるとか,または刑の量定が不当であるという場合には,この尺度に則って論ぜられるのである。
 しかしながら,実務家の間に暗黙のうちに存在している量刑の尺度がどのようなものであるかこれを具体的に明らかにせよと求められても,ここでこれを示すことは不可能に近い。なぜならば,それは各犯罪ごとに異なるものであり,また,同一犯罪についても状況に応じて量刑に影響を与える各因子の強弱があり,それらはきわめて複雑な組合せとなっているからである。
 もっとも慣行として確立した量刑の尺度があるといっても,その尺度の価値づけなり,評価なりは,人によって差異があり,特に裁判官は独立して量刑を行なうから,そこに量刑の個人差が生ずることは当然のこととしなければならないであろう。しかし,その個人差がいちじるしくあらわれたとき,すなわち,慣行の尺度のわくをはみ出したときには,検察官または弁護人は量刑不当を理由として上訴の申立をなし,上訴審による救済を求めることになるわけであって,この場合に,上訴審は,右の尺度に則ってその当否を決し,不当であると判断するときは,原判決の科刑を是正するのである。検察統計年報により,昭和三四年における検察官控訴の結果をみると,既済となったものの総数一,〇二九人のうち,科刑を重くしたものは,その三六・四%にあたる三七五人,新たに有罪としたものは,八・五%の八七人,原判決を破棄したが科刑が同じのものは,八・六%の八九人である。これに対して控訴の申立がいれられず,控訴棄却となったものは,総数の三六・二%の三七三人である。
 このように,量刑の当否を決する合理性をもった基準とは,結局慣行として認められている尺度を指すことになるが,これは不変なものではなく,時代の流れにしたがって変わってゆくものであり,特に社会情勢,経済事情または犯罪情勢等の推移に伴って変化する場合が少なくない。II-28表は,明治四二年から昭和一五年までの殺人(嬰児殺を除く)の科刑の変遷をみたものであるが,これによると,明治末から昭和一五年までの間にその科刑がいかに緩和化されたかその変化をうかがうことができるであろう。

II-28表 一般殺人(嬰児殺を除く)の有罪人員と科刑別百分率(明治42〜昭和15年)

 量刑の基準は戦前と戦後との間でもいちじるしい変化がみられるものもあるし,また,戦後だけの短い期間をとっても戦争直後と現在との間で変化の認められるものがあるのである。
 たとえば,戦前と戦後の量刑の推移の事例として,刑の執行猶予の適用を挙げることができるであろう。本章の二の2で詳述したように,戦前の昭和二年から昭和七年までの執行猶予の言渡率は,有期の懲役禁錮の言渡総数のほぼ一七%前後であったが,戦後はこの約三倍にあたる四七%を占めている。これは戦前に比して戦後は執行猶予を大幅に活用するという量刑の慣行ができたためである。もっとも,戦後は刑法の一部改正により執行猶予の適用範囲が拡大されたが,この拡大された部分である,刑期が二年の懲役禁錮をこえるものと,再度目の執行猶予を付したものとを除外したとしても,II-29表に示すように,その執行猶予の言渡率は昭和三三年が四二・八%,昭和三四年が四四・三%であって,戦前のそれに比して約二・五倍にあたるのである。

II-29表 「執行猶予の適用範囲拡大*」分を除いた執行猶予の言渡率等(昭和33,34年)

 また,たとえば,戦前においては,被告人に,同罪種の,しかも比較的近接した時期の前科があるときには,他に特別の事情のない限り,前科の刑より重い科刑が行なわれることが通常であった。戦後においては,この種の前科が考慮されないというわけではないが,前科の刑より重く処断するといった考え方は一般的に弱まり,その結果,前科の刑と同程度,またはそれ以下といった科刑が少なくないようになっているのである。
 また,戦後において量刑の尺度が変化した事例としては,自動車による業務上過失致死傷事件を挙げることができるであろう。この種の事件で公判請求されたもののうち,禁錮を言い渡されたものと,罰金を言い渡されたものとの比率をみると,II-30表に示すように,昭和二三,四年当時には,禁錮が通常第一審終局人員の五%前後であったが,昭和三〇年には約三三%となり,さらに昭和三四年には約四四%と,いちじるしい高率をみせるようになっているのである。これは,激増する自動車事故に対処して,きびしい科刑を求める声が強くなったことに応じて,量刑の尺度が変わってきたことを示すものといえるであろう。

II-30表 業務上過失致死傷の通常第一審科刑別人員と率(昭和23,24,29,30,33,34年)

 この実務上存在する量刑の尺度は,合理性のある量刑の基準だといっても,それは単に長い歳月の間にできた量刑の慣行にすぎず,理論的な裏付けがあるわけではなく,単なる実務体験から割り出された基準にすぎないのである。この意味で,学問的興味の薄いテーマとみられたためか,量刑の基準に関する実証的な研究は,最近ようやく注目されることになったにすぎないが,実務家が実務体験から割り出した現在の量刑尺度が妥当かどうかは,実務的には,刑法理論や刑法解釈以上に重要な意義をもつものであり,もしそれが適正でないとしたら,刑事裁判の機能をそこなうほどの重要性をもつものであるから,これに関する調査研究が今後一層活発になることを望みたいものである。