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 昭和42年版 犯罪白書 第二編/第一章/一/3 

3 起訴猶予

 検察官は,公訴を提起するに足りる犯罪の嫌疑を認めた場合でも,犯人の性格,年令および境遇,犯罪の軽重および情状,ならびに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは,公訴を提起しない処分をすることができる。このような不起訴処分を起訴猶予処分というが,検察官に起訴猶予処分を認める制度を起訴便宜主義と呼び,これに反して,犯罪の嫌疑が認められるときは,必ず起訴しなければならないとする制度を起訴法定主義と呼んでいる。
 わが国では,明治一五年施行の治罪法も,明治二三年施行の旧旧刑事訴訟法も,ともに,法文上は,起訴便宜主義を規定していなかったが,微罪不検挙または微罪不起訴の名の下に,事実上ある程度の起訴猶予処分が行なわれていた。起訴猶予の名称が初めて用いられたのは,明治四二年であるとされている。その後,大正一三年から施行された旧刑事訴訟法によって,法文上,起訴便宜主義が採用され,現行の刑事訴訟法においてもそのまま受け継がれて現在にいたっている。
 わが国において,起訴便宜主義が採用されるに至った経過をみると,最初は,在監者が年を追って増加し,監獄関係の経費が相当巨額に上ったため,これを軽減するという国家財政上の理由から始められたもののようであるが,それとともに,公益上処罰の必要の乏しい軽微事件までが裁判に付されたことや,短期自由刑の弊害か少なくないことなど,刑事政策的な配慮も十分に加えられていたことがうかがわれる。
 ところで,諸外国の立法例をみても,わが国ほど大幅に起訴猶予処分を認めている法制は少ない。多くの国々は,起訴法定主義を採用しているが,起訴便宜主義を採用している国でも,起訴猶予処分の許される範囲は,ごく一部に限られている。たとえば,イギリス,アメリカ合衆国等では,原則として起訴法定主義を採っており,西ドイツも,原則として起訴法定主義であるが,例外として,違警罪および軽罪についてのみ起訴猶予制度を採用している。また,スウエーデンでは,起訴便宜主義を採用しているが,それも,軽微事件や少年事件等について,一定の制限内で,起訴猶予処分にすることができるにすぎない。
 起訴猶予は,検察官が刑事政策上の立場から,諸般の事情,すなわち,犯人の性格,年令,境遇といった,主として行為者に関する事項,犯罪の軽重,情状のような犯罪行為に関する事項および犯人の改悛とか示談の有無などといった犯罪後の情況に関する事項を考慮して,必要でない刑罰をできるだけ避け,犯罪者の更生を図ろうとするものであるが,その資料は公開されず,また,起訴猶予に付することについて,少年について特例を設けているほかは,外国の立法例のように,罪種や対象者に制限を付したり,裁判官等の同意を要件としたりしておらず,すべてが検察官の判断にゆだねられているのである。そのうえ,わが国においては,国家訴追主義と検察官の起訴独占主義とをほとんど全面的に採用しているので,検察官の営む機能は広大なものとなっている。したがって,検察官が起訴猶予の権限を行使するにあたっては,特に慎重な配慮を要するのは当然で,このためにも,検察官による事前の取調べが必要とされることが多い。起訴猶予に値するものに対しては,活発にこれを適用しなければならないのはいうまでもないが,その反面,その適用を誤り,起訴猶予に値したいものにこれを濫用する結果となれば,国民の規範的意識を低下させて刑政にゆるみをきたし,被害者の不満や一般国民の不安を招くおそれもあり,また,それは,ひいては,裁判の機能を害し,その権威を失墜させることにもなりかねない。
 このように,わが国の起訴猶予制度は,諸外国に例をみない独自の運用がなされているので,以下,主として統計面から,その運用状況をながめてみよう。

(一) 統計面からみた起訴猶予率

 まず,昭和二二年以降昭和四一年までの間に,検察官が起訴または不起訴の終局処理をした人員数に対する起訴猶予処分に付した人員数の割合を,全事件,刑法犯,特別法犯および道交違反に区分してその推移をみると,II-8表のとおりで,これをグラフにしたのが,II-3図である。

II-8表 検察庁終局総人員中の起訴猶予率(昭和22〜41年)

II-3図 検察庁処理事件中の起訴猶予率の推移(昭和22〜41年)

 全事件の起訴猶予率(起訴,不起訴の総数で起訴猶予の数を除したもの)は,昭和二二年の三七・三%から,昭和二五年には,五四・一%と最高を示したが,その後は,逐年減少し,昭和四一年では,一〇・七%となっている。
 刑法犯も,ほぼ同じ傾向を示し,昭和二二年の起訴猶予率四〇・七%が,昭和二五年に五二・六%と最高を示し,昭和四一年では,二八・〇%に減少している。
 特別法犯についてみると,昭和二二年に三五・〇%であったが,昭和二五年には,六二・五%と上昇し,その後,起伏はあるが,やはり,減少の傾向を示し,昭和四一年には,三三・七%となっている。
 つぎに,道交違反の起訴猶予率の推移をみると,昭和二二年には,二四・一%であったが,昭和二三年と二五年に三九%台に増加したものの,その後は著しく減少し,昭和四一年には,七・〇%に低下している。これは,道路交通法違反事件に対処して採られた厳しい措置のあらわれということができるであろう。
 ところで,起訴猶予率が漸次低下する傾向を示している原因としては,いろいろ考えられるが,さしあたって,つぎの二点を指摘しうると思う。
 その一として,社会生活が向上し,人心が安定しつつあるのにかかわらず,犯罪事情は,必ずしも好転せず,暴力事犯,業務上過失致死傷事犯,道交違反等は,増加の傾向を示しているので,検察官が,起訴・不起訴を決定するにあたって,しだいに厳しい態度で臨むようになり,これが,起訴率の上昇と起訴猶予率の減少を招いたものと思われるのである。とくに,刑法犯の起訴猶予率が減少したおもな原因は,起訴率の高い業務上過失致死傷事件の激増で,昭和三一年には,検察庁における刑法犯新規受理人員の一〇・四%を占めるにすぎなかったこの種事犯が,昭和四一年には四一・六%と約四倍に増加しているのである。
 つぎに,その二として考えられることは,犯罪者のうち,前科のある者の占める比率がしだいに増加し,初犯者の占める比率が漸次減少しつつあることである。もとより,前科のある者に対しても,起訴猶予処分がなされているが,一般的にいえば,同罪質の前科があったり,また,近接した時期に前科があったりした場合は,起訴猶予が相当でないと判断される場合が少なくないと思われる。
 そこで,初犯者と前科のある者の実情についてみることにしよう。昭和三八年から昭和四〇年までの三年間につき,刑法犯で起訴および起訴猶予に付された者の総数を,初犯者と前科者に分はて人員と比率を示すと,II-9表のとおりである。これによると,前科者は,その実数において,昭和三八年の一六五,六九四人から昭和四〇年の二二七,四六三人と六一,七六九人の増加をみせているばかりでなく,その総数中に占める比率も,昭和三八年の三七・一%から昭和四〇年の四一・一%と増加している。

II-9表 起訴および起訴猶予に付された者の初犯者・前科者別比率(昭和38〜40年)

(二) 主要罪名別起訴猶予率

 刑法犯について,起訴・不起訴の終局処分がなされた者のうちでの起訴猶予の比率は,さきに述べたとおり,昭和四〇年には二七・八%であるが,刑法犯の主要な罪名につき,起訴および起訴猶予率をみると,II-10表のとおりである。

II-10表 主要罪名別起訴猶予・起訴の率(昭和39,40年)

 これによると,起訴率の最も高いのは,強盗強かんで,強盗致死傷,とばく・富くじ,強盗,過失致死傷がこれについでいる。また起訴率の最も低いのは,偽証で,私文書偽造,公文書偽造,横領,詐欺がこれについでいる。
 つぎに,起訴猶予率の最も高いのは,賍物関係で,ついで,収賄,窃盗,横領,公務執行妨害,詐欺,贈賄,住居侵入の順となっている。また,起訴猶予率の最も低いのは,強盗強かんのゼロで,強盗致死傷,強盗,殺人,強かん,強制わいせつ,とばく・富くじがこれについでいる。一般に,財産犯について起訴猶予率が高いのは,示談,弁償などの犯罪後の情状が考慮されることが多いためと考えられる。偽証は,起訴猶予率が一六・五%と低いが,起訴率も五・七%と最低の数字を示している。これは,嫌疑不十分等による不起訴処分の数が多いのであり,この種事件の証拠の収集が,きわめて困難であるばかりでなく,この種事件には,嫌疑の不十分な告訴事件が少なくないためであろう。偽造罪についても,同様のことがいえる。また,強制わいせつも,同様,起訴猶予率が低く,起訴率も低いが,告訴を訴訟条件とする親告罪においては,本来,起訴猶予となるような事案が告訴の取消しを理由として不起訴処分に付されるため,統計上,「その他の不起訴」に計上される場合があることを考慮する必要がある。

(三) 起訴猶予者に対する更生保護措置

 起訴猶予処分を受けた者の中には,たとえば,過失犯とか偶発犯のように,将来再犯のおそれがきわめて少ない者のほか,本人の素質や環境からみて再犯のおそれが認められても,犯罪がきわめて軽微であるなどの事由で起訴を見合わせる者もある。これらの者については,検察官において,必要に応じ,訓戒のうえ,善行保持の誓約書を徴したり,保護者らに引き渡して保護,監督方を依頼したりしているが,さらに,再犯防止のための適切な更生保護の措置が必要な場合のあることはいうまでもない。現在,更生緊急保護法の規定に基づく更生保護の措置が執られており,これは,本人の申出があった場合に,釈放後六か月内に限り,帰住のあっ旋などの一時保護と施設に収容して環境の改善調整を図るなどの継続保護とを行なうことになっている。しかし,同法の対象者は,本人が刑事上の手続により身体の拘束を受け,これが解かれた場合に限られ,かつ,親族などの援助や公共の施設から医療・宿泊・職業その他の保護を受けることができない場合,または,それのみでは更生できないと認められる場合であるほか,本人の意思に反しないことを条件としているので,起訴猶予に付された者のうち,この法律の適用を受けた者は,例年ごく少なく,道交違反を除く起訴猶予者の約一%にすぎない。
 ところで,起訴猶予者の再犯を防止するために,昭和三六年一月から,横浜地方検察庁で,主として二〇歳以上二五歳以下の犯罪者の一部を起訴猶予処分に付するとき,本人の同意を条件として,保護観察類似の更生保護の措置を講じている。その後,昭和四二年五月末現在では,横浜のほか,宮崎,千葉,盛岡,前橋,富山,甲府,仙台,福島,松江,鹿児島,青森,水戸,京都および広島の一四の地方検察庁で,同じような方法で,起訴猶予者に対し更生保護を実施している。
 法務総合研究所で,横浜,宮崎,千葉,盛岡,前橋,富山および甲府の七地検で,この措置を実施し始めてから昭和四〇年五月三一日までの間に,更生保護措置付起訴猶予処分に付し,同年一一月三〇日までに右措置を終結した起訴猶予者全員である四二八人を選び,調査したところ,右の保護措置終了時で,成績良好ないし普通と判定された者が八四・一%,成績不良が三・五%となっていることがわかった。
 また,その成行きについて,昭和四一年三月一日までの再犯の有無をみると,再犯のない者が七〇・六%,再犯のある者が二九・四%となっている。なお,この起訴猶予者に対する更生保護措置は,その対象として,従来の基準によれば,起訴相当と思科される事案をも含んでいるいわば実験的な試みである。
 つぎに,昭和三三年四月から売春防止法が施行されているが,施行とともに,同法第五条違反で検挙された女子の更生等について,関係機関の連絡を円滑にするため,地方検察庁または同支部内に,更生保護相談室が設置されている。
 検察官は,これらの女子について起訴猶予処分が相当であると考えたときは,更生保護相談室で,これらの女子に,保護観察所職員等関係職員と更生の方法等について相談させることになっているが,この更生保護相談室が設置されている地方検察庁は,昭和四二年五月現在で,東京,同八王子支部,横浜,水戸,静岡,長野,新潟,大阪,京都,神戸,名古屋,岐阜,広島,山口,福岡,長崎,熊本,大分,仙台,青森,札幌,高松の二二庁で,昭和四一年中に売春防止法第五条違反で検挙された女子のうち,起訴猶予処分に付されて相談室を経由した者の総数は,一,七一〇人となっている。

(四) 不起訴処分に対する抑制

 起訴猶予を中心とする,不起訴処分の決定は,検察官に与えられた強力な権限であるが,その濫用を抑制するために,法は,二つの制度を設けた。一つは,準起訴の手続で,もう一つは,検察審査会の制度である。このほか,告訴・告発等のあった事件について,検察官が不起訴処分をしたときは,告訴人,告発人らにその旨を通知し,また,これらの者の請求があるときは,その理由を告げなければならないとされており,なお,不起訴処分に不服のある者は,実際上,上級検察庁に対し,検察庁法に基づく監督権の発動を求める申立てをすることもできる。
(イ) 準起訴手続
 公務員の職権濫用罪その他について,告訴または告発のあった事件につき,検察官がこれを不起訴処分に付したときに,この処分に不服な告訴人または告発人は,管轄の地方裁判所に対して,その事件を裁判所の審判に付することを請求することができ,地方裁判所がこの請求をいれて,事件を裁判所の審判に付する旨の決定をしたときは,その事件は,検察官の起訴がなくとも,起訴されたものとみなされて,公判審理が開始されることになるが,これを準起訴手続という。
 昭和三四年から昭和四一年までの間に,なされた準起訴手続の請求およびその審判結果(昭和四一年一二月末現在)は,II-11表のとおりである。これによると,請求総数は八四四件で,請求の取り下げが四七件,請求棄却が六八四件となっていて,検察官の不起訴処分を不当として審判に付する旨の決定があったのは,一件にすぎない。なお,法務省刑事局の調査によると,これも無罪が確定している。

II-11表 準起訴手続申立・審判件数(昭和34〜41年)

(ロ) 検察審査会
 検察審査会は,くじで選び出された一一人の検察審査員で構成され,検察官のした不起訴処分について,その当否を審査するとともに,あわせて,検察事務の改善に関し,建議または勧告をする機関である。告訴や告発をした者または犯罪によって害を被った者は,検察官のした不起訴処分について,検察審査会に対し,審査の申立てをすることができる。
 検察審査会は,この申立てを受け,または,職権で取り上げた不起訴事件について,その処分が相当であるかどうかを審査し,その議決の結果を検事正に通知する。検事正は,起訴相当の通知を受けたときは,その事件の記録や証拠を再検討し,必要に応じて再捜査を行ない,起訴すべきものと思料するときは,起訴の手続きを執ることとされているが,議決に,法的拘束力は認められていない。
 II-12表は,昭和三六年から昭和四〇年までの検察審査会の受理および処理の状況であるが,これによると,この五年間に,起訴相当の議決のあったものは,合計五三〇人で,処理総数八,一八二人の六・五%となっている。

II-12表 検察審査会の事件受理・処理人員(昭和36〜40年)

 また,起訴相当の議決のあった事件のうち,検察官が再捜査をして,その結果,起訴したものは,八四人であり,その一五・八%である。
 ところで,このように検察審査会の議決に基づいて起訴した事件について,公判の結果,無罪となる比率は,他の一般事件に比べると,きわめて高い。すなわち,II-13表によれば,第一審の判決のあった者は,五年間で七九人であるが,無罪となった者の合計は六人で,無罪率は,七・六%となる。一般事件の無罪率は,一%以下であるから,高率といわねばならない。ちなみに,検察審査会が設置されて以来の総計をみると,第一審の裁判のあったものは三三四人で,そのうち,有罪は,八六・八%にあたる二九〇人,無罪は,一三・二%にあたる四四人である。

II-13表 検察審査会起訴相当事件の第一審判決結果(昭和36〜40年)