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 昭和42年版 犯罪白書 第一編/第六章/一 

一 精神障害の意義および種類

 精神障害とは,精神機能の障害のことであるが,一般に,精神機能は,身体機能と密接,不可分の関係にあり,なかでも,中枢神経系とくに脳の機能とは,きわめて深い関係がある。この脳に,直接的または間接的な障害が起こった場合に,種々の精神症状が現われるのであるが,その障害は,脳の器質的変化によることもあるし,また,単に,機能的変化にとどまる場合もある。しかしながら,精神機能そのものは,むしろ,心理学的にとらえられるものであるから,精神障害者の臨床や行政的対策に際しては,精神医学のほかに,心理学とくに臨床心理学と異常心理学や教育学および社会学などの知識が広く応用されねばならないことはいうまでもない。
 精神障害に対する理解の始まりは,遠く,古代ギリシア時代にまでさかのぼることができるが,中世の暗黒時代を経て,精神障害者が人道的取扱いを考慮され,科学的研究の対象と考えられるようになったのは,一八世紀後半以後のことである。したがって,精神障害を自然科学的にとらえる方法の歴史は,比較的浅く,今日なお,いくつかの学説が相互に対立しており,各学派の間に共通した疾病分類は,確立されていない実情にある。このような事実を前提としたうえで,今日一般に用いられている精神障害の分類を示すと,次のとおりである。
(1) 外因性精神病および器質性精神病
 外因性というのは,脳に外部からの原因が加わった場合であり,頭部外傷,脳炎,脳動脈硬化症,脳腫瘍などによる損傷や変化がそれである。明らかに,脳の器質的な変化を伴う場合,特に器質性精神病と呼ばれる。梅毒性の精神障害は,この典型的なもので,進行麻痺と脳梅毒がある。外因性のものとして,しばしば問題になる疾患に,中毒性精神病があるが,アルコール類,覚せい剤,麻薬(モルヒネ,コカイン等),睡眠剤,幻覚発現物質(メスカリン,LSD-25など)などによる中毒のほか,一酸化炭素,鉛,水銀,砒素,パラチオンなどによる中毒がこれである。後段にあげたものは,多くの場合,事故または災害によるが,前段にのべた薬物の使用は習癖になる場合があり,これを「嗜癖」と呼んでいる。この嗜癖が進むと,慢性中毒になり,その基礎のうえに,特有の精神症状が発呈してくるが,これは,これら薬物の直接作用(急性症状)とは違った症状である。その他,症状性精神病と呼ばれるものがあるが,これは,ある種の身体疾患や,全身的な機能障害のある場合に起こってくるもので,たとえば,急性の熱性伝染病(腸チフス,発疹チフス,肺炎,マラリヤ等)や癌の末期など衰弱の著しいとき,または,尿毒症,悪性貧血,ビタミン欠乏症および内分泌障害などにみられる。その起こり方は,原因となる外部からの影響力のほかに,その個人の素質的条件にも,かなり左右されるもので,個人差がみられる。これは,さきに述べた嗜癖や中毒性精神病などの場合も同様である。また,器質性精神病ではあるが,素質的および心因的条件にも大きく左右されるものとして,退行期精神障害や老年期精神病をあげることができる。
(2) 内因性精神病
 内因性というのは,その人の生来の素質がおもな基礎となって起こる精神障害で,主として,遺伝的に条件づけられたものであり,狭義の意味で精神病と呼ばれているのは,この群である。したがって,直接の外部的条件がなくても,人生のある時期や年令に達すると,発病することが少なくない。そのおもなものは,精神分裂病,繰うつ病,てんかんであるが,てんかんには,明らかに外因性のものも含まれているので,ここでは,項を改めて別に取り扱うのが妥当と考える。また,分裂病と繰うつ病のほか,各種の精神病の特徴を共有するいわゆる非定型精神病がある。精神分裂病は,以前には,早発性痴呆と呼ばれたが,その多くは,思春期ないし青年期に発病し,感情・意志・欲動の障害のほか,特有の思考障害をきたすのが特徴であり,治ゆの困難な場合も少なくなく,人格欠陥を残したり,ついには,特有の人格荒廃に陥ることがある。一般に,緊張病型(運動興奮と昏迷状態が主徴),妄想型(体系的な妄想が主徴)および破瓜病型(情動障害が主徴)の三亜型が区別される。繰うつ病は,躁状態(爽快な気分と,精神運動性興奮が主要症状)とうつ状態(悲哀感情,思考制止および精神運動性制止が主要症状)の二つの異なった病相があり,それが交替的に,または周期的に現われる感情障害をおもな症状とした疾患である。
(3) 精神身体症
 心理的刺戟による情緒の動揺や障害が身体症状として現われる場合で,原理的には,器質性変化を伴わない身体疾患である。しかし,器質的変化が基盤にある場合でも,前述のような感情の障害が強く影響し,症状を悪化させたり,固定したりすることが少なくない。はなはだ多彩な症状を現わすものであるが,消化器系統の障害を示すものを典型例として取り上げることが多い。
(4) てんかん
 てんかんは,さきにも触れたように,その主たる原因によって,前に掲げた外因性器質性精神障害(症状性てんかん,外傷性てんかん)または内因性精神障害(真性てんかん)に含ませられることもある。臨床的には,一過性の意識変化や反復する意識喪失を伴うけいれん発作を主徴とする疾患の総称であるが,脳波学的には,「たんかん異常脳波」を発呈する疾患群の総称ということになる。したがって,意識変化や意識喪失を伴う,けいれん発作がみられなくても,脳波所見上,てんかんと呼ばねばならないことがありうる。それゆえ,てんかんを定義づけることは容易ではないが,突然に発生し,自然に消失し,しかも,反覆傾向をもつ,発作性,一時性の脳機能障害といった方が妥当であろう。しかし,精神障害として実際に問題となるのは,精神運動発作,もうろう状態,てんかん性の慢性精神病およびてんかんの結果として惹起される知能水準の低下(てんかん性痴呆),人格変化,性格変化等である。
(5) 心因反応,とくに神経症
 心因性精神障害というのは,精神的刺戟によって起こるもので,神経症は,その代表的な障害である。一般に,心因反応と呼ばれるものには,原発性反応(一次反応)と続発性反応(二次反応)とが区別されるが,前者は,驚愕反応のように,一過性で,原因が除去されると症状は消失し,正常にもどるのが,普通の経過である。臨床場面で,心因反応という診断が付けられる場合,たいてい,次のような標識が常に考えられている。(一)非器質性であること,(二)心因性であること,したがって,精神的刺戟が除かれると,結局は,症状も消失するという可逆性が認められること,(三)多くの場合,根本性格が心因反応を準備していること(心因反応を起こしやすい性格の存在)等である。しかし,このような反応の中には,原因が消失しても,依然として反応状態が持続し,固定化される場合があり,これが二次反応と呼ばれるものである。二次反応の成因に関して,前述のごとき,一次反応の心因性固定のほか,長期間持続する精神的な不安・緊張・かっとう等の結果,二次反応と同じような不適応の状態に陥る場合がある。神経症は,さきにも述べたように,この種の反応の代表的なものであるが,学派により,個々の研究者により,さまざまに説が分かれ,今日に至るも,定説はない。神経症には,また,さまざまな形態があるが,これを大別して,不安,恐怖,強迫などの症状群に分けることができる。
(6) 精神薄弱
 精神薄弱というのは,先天性または早期後天性(胎生期,出産時および生後ほぼ一年以内)のなんらかの障害によって生じた,知能水準の全般的低下状態の総称であって,たとえば,老人性痴呆とか,成人の頭部外傷などに際して典型的にみられるような,いったん獲得した知能の崩壊した状態,すなわち,「器質性痴呆」に対立するものである。精神薄弱は,「精神発育制止」とも呼ばれるように,精神の発達が遅滞もしくは停止した状態であるから,純粋に,知能の欠陥ないし遅滞だけではなくて,多かれ少なかれ,人格の未成熟さを伴うものである。したがって,自己の身辺の事がらの処理や社会生活への適応が著しく困難となる。精神薄弱は,その知能水準の程度によって,一般に,低い方から,白痴,痴愚,軽愚(魯鈍)の三段階に分類される。
(イ) 白痴
 言語をほとんど理解せず,したがって,自他の意志の交換がほとんど不可能であり,動物のごとき叫声を発するにとどまることが多い。環境への適応は,当然のことながら,著しく困難でちり,着衣・摂食にすら,絶えず保護を必要とし,成人になっても,全く自立できない。
(ロ) 痴愚
 新しい事態の変化に適応する能力が乏しく,他人の助力によって,ようやく,自己の身辺の事がらを処理できるが,成人になっても,知能年齢六,七歳にも達しない。
(ハ) 軽愚(魯鈍)
 日常生活には,さしつかえない程度に,自ら身辺の事がらを処理することができるが,抽象的な思考,推理は,困難であって,成人に達しても,知能年齢が一〇歳ないし一二歳程度にしか達しない。しかし,一般に,通学は可能で,特殊教育の対象となり,適当な職業教育を受ければ,将来,社会的な適応を,ともかく全うする可能性もあるが,処遇を誤まると,犯罪や非行に陥る危険性が多い。
(7) 精神病質
 精神病質は,異常性格または病的人格とも呼ばれるように,性格ないし人格に著しい欠陥,不均衡,あるいは偏倚の認められるものの総称で,多くは,その人格の異常性のために自分が悩むか,あるいは社会が悩む場合をとくに精神病質入格と呼ぶ。精神医学の領域の中では最も整理の遅れた概念であり,しばしば,「精神医学のくずかご」とすら言われている。さきにも述べたように,精神身体症や神経症の多くは,その素地に人格構造の異常を伴っており,また,その他の精神障害も,しばしば,発病前より,著しい人格上のかたより(いわゆる「病前性格」)を示すことがある。それゆえに,そのどれを精神病質と呼び,どれを他の概念で律するかは,理論的にも,臨床的にも,むずかしい問題である。精神病質は,精神病,神経症,精神薄弱および正常のいずれの範ちゅうにも属せしめえない残余群として,「除外診断的」に決定するという方法が採られていることが多いが,その境界は不明確で,無数の移行段階が存在する。精神病質の診断の困難さは,実にここにある。精神病質は,右に述べたように,種々雑多のものが含まれる一種の集合概念であるが,次に述べるように,三群に分類して整理するのが,今日,最も妥当な見解のように思われる。
(イ) 精神病質的持続状態(平素から,変わり者としての人格偏倚の著しいもので,幼少期より,すでに,多少とも,その特徴の現われているもの)
(ロ) 精神病質的人格発展(とくに,思春期より,しだいに,人格構造の異常性が現われ,かたよった方向に人格がゆがめられて発展してゆくもの)
(ハ) 精神病質的反応(平素は,常人とほとんど変わりはないが,機に臨んで,その異常性が顕著に発現されるもの)
 精神病質の類型については,種々の分類が試みられているが,現在,わが国において最も広範囲に用いられているのは,シュナイダーの分類である。彼は,これを無体系的かつ現象学的に,彼自身の臨床的観察と経験に基づいて,次に示すような一〇種の類型に分けた。
[1] 発揚型(そう快な根本気分,活発な気質,活動性のある人格,いさかいの多い人,嘘つき,おっちょこちょい等には,この発揚型精神病質が多い。)
[2] 抑うつ型(前の類型と正反対で,憂うつな根本気分,えん世的,懐疑的人生観が特徴)
[3] 自信欠乏型(前の類型に近いものであるが,確信の欠如と不全感が著しく,易感的,良心的でありすぎる。
[4] 狂信型(強烈な感動を伴った思想,観念が,常に,かつ,永続的に,その人の全生活を支配する。狂信者,熱狂者,刑務所においてみられる請願狂など)
[5] 自己顕示型(虚栄心の強い,虚偽の人格,ヒステリー性格と呼ばれるものの中核的特性,奇矯者,大言壮語者,空想虚言者,犯罪では,詐欺や恐かつが多い。)
[6] 気分易変型(突如として起こり,突如として消える抑うつ性の不機嫌発作によって特徴づけられる。この機嫌の変調から,種々の衝動行為,たとえば,飲酒,乱費,はいかいなどが現われる。)
[7] 爆発型(ささいなことで激昂し,興奮しやすい,刺激性の,癇癖の人,酩酊の時に始めて本性を現わすこともある。暴力犯罪,激情犯罪と関係が深い。)
[8] 情性欠如型(人間性や情愛のない,残酷,陰うつ,冷淡,粗野,反社会的な人,累犯者に多い類型である。
[9] 意志欠如型(周囲からの影響に対して抵抗力のない,誘惑されやすい人。酒精中毒や薬物嗜癖に陥りゃすく,売春婦,浮浪者,犯罪者とくに累犯者には,この類型が多い。)
[10] 無力型(従来,体質性神経衰弱,精神衰弱などと呼ばれたものに相当する現象を示しやすい人)
 しかし,実際には,一人の精神病質者が数種の類型の複合体をなしていることが多い。たとえば,意志が弱く,同時に,情性の乏しい型は,常習性犯罪者の中で,最もしばしば遭遇する類型の一つである。
 ところで人格(性格)は,全体性,独自性および持続性によって特徴づけられるものであり,しかも,常に,それ自体の内部から,あるいは,他者との関係において,ある程度,変化し,発展してゆくものである。とくに,思春期と更年期(初老期を含めて)には,このようた変化が著しい。これらの時期に,一時的な社会的逸脱行動を示すこともまれではなく,時には,それが非行や犯罪として現われる場合もありうる。この種の異常性を精神病質とは呼ぶべきではないが,実際には,その診断は,かなり困難で,精神病質あるいは精神病と誤診されることも少なくないようである。
 ところで,現行の精神衛生法第三条では,「精神障害者とは,精神病者(中毒性精神病者を含む。),精神薄弱者及び精神病質者をいう。」と規定している。ここに掲げられている三種の精神障害と,右に述べた七種の精神障害との関係について考察すると,右の七分類のうちの「外因性・器質性」および「内因性」が同法にいう精神病にあたり,七分類のうちの「精神薄弱」および「精神病質」が同法にいうそれぞれ同名の精神障害にあたるものと解される。また,七分類中の「てんかん」は,その主症状により,同法の精神病,精神薄弱または精神病質にあたるものと解される。七分類中の「精神身体症」と「神経症」とが,同法所定の精神障害にあたると解することには,問題があり,疑義があるが,運用面では,精神身体症者も,神経症者も,ともに,自傷他害のおそれあるときには,同法の適用(同法第二九条以下)を受けているように思われる。おそらく,その症状の重い者は,精神病者として,また,病前性格にかたよりの認められる者は,精神病質者として,それぞれ取り扱われていることと思われ,今,このような運用を実質的に不当とは,なしえないと考えるが,法解釈上の疑義が存するので,現在,この点をも含めた法改正措置が検討されつつある。