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令和4年版 犯罪白書 第8編/第3章/第4節/コラム10

コラム10 周囲の支援等を受け、対象者の意識に変化が認められた事例

このコラムでは、対象者の意識の変化に着目し、矯正施設職員、保護観察所保護観察官及び関係機関の働き掛けや支援等を経て、今後の生活に対する意識や態度が前向きに変化した事例について、受刑者、刑事施設出所者及び少年院在院者に分けて紹介する。なお、事例の内容は、個人の特定ができないようにする限度で修正を加えている。

(1)受刑者に対する福祉的支援及び就労支援により、出所後の生活に対する意識に変化が認められた事例

本人(刑事施設出所時30歳代・男性)は、殺人や窃盗等の罪により受刑しており、受刑期間中に間欠性爆発性障害の診断を受け、服薬していた。帰住先も定まらず、出所後も治療継続の必要性が認められたため、刑期満了まで約1年半の段階で、福祉専門官による面接を実施し、特別調整(第2編第4章第3節5項参照)の候補者として選定することを検討したものの、本人は、親族の下への帰住を希望し、特別調整に係る支援を受けることを望まなかったため、同対象者の要件に該当しなかったことから、候補者には選定されなかった。

その後、出所が切迫した時点で、親族の下に帰住することができないこととなり、本人が生活拠点のない遠方の土地への帰住や同地での就労を希望したものの、特別調整の希望まではなかったため、まずは一般的な福祉的支援及び就労支援を開始した。

福祉的支援においては、福祉専門官による面接を継続的に実施したが、面接開始当初は、自身の有する精神障害に対する病識に乏しい面が認められた。そこで、治療の必要性の自覚を促し、円滑な社会復帰につなげるために、精神保健福祉法における矯正施設の長の通報、いわゆる26条通報(矯正施設の長は、精神障害者又はその疑いのある収容者を釈放、退院又は退所させようとするときは、あらかじめ、本人の帰住地、氏名、性別、生年月日及び症状の概要等を本人の帰住地の都道府県知事に通報しなければならない。)を行うこととし、その通報実施に伴う事前面接や支援に関する動機付けを目的とした個別面接等において、自身の精神障害の正しい理解に向け話し合いを繰り返した。

本人は、そうした支援を受ける中で、自身の精神障害を理解し、福祉的支援を受けることに前向きな変化が認められ、当初は消極的であった精神障害者保健福祉手帳(以下このコラムにおいて「障害者手帳」という。)の取得に積極的な姿勢を見せるようになった。また、本人は、福祉専門官との個別面接の中で、釈放日の刑事施設から帰住先への旅程や出所後の生活に関する相談をしたり、居室担当職員(本人が生活している居室において、受刑者の生活上の指導や悩み事の相談など、生活全般について指導・監督を行う刑務官)に対し、障害者手帳の取得・受領が出所までに間に合わないのではないかという不安を口にしたり、出所後の生活に関する詳細な質問をしたりするようになり、出所後の生活を意識し始めている様子がうかがわれた。

その後、福祉専門官と居室担当職員が連携しながら、週1回程度のペースで、事前に本人の質問内容を取りまとめ、福祉専門官が面接するなどして、本人のニーズや意向を把握し、それらを踏まえた綿密な福祉的支援及び協力雇用主による採用面接などの就労支援を継続した結果、出所後の生活への自覚が高まるとともに、不安が軽減し、心情の安定が図られた。出所後の就労についても、住込みで働くことができる就労先に内定を得ることができ、受刑中から行ってきた市役所と連携した障害者手帳の申請支援により、満期出所後、円滑に障害者手帳を受領することができた。

(2)特別調整を実施し、知的障害のある刑事施設出所者の立ち直りを支援する中で、自立に向けた生活設計や意識に変化が認められた事例

建設作業員をしていた本人(刑事施設出所時40歳代・男性)は、ギャンブル等で所持金を浪費し、金銭欲しさから店舗への侵入盗を行い、実刑判決を受けて受刑した。本人は、親族等とも疎遠であり、適当な帰住先がなかった。また、前刑で仮釈放となり、更生保護施設に入所した際に、同施設の職員の支援で療育手帳を取得していた。そこで、本人を収容している刑事施設と、同刑事施設の所在地を管轄する保護観察所において、知的障害があることなどの本人の特性を踏まえた円滑な社会復帰を図るべく協議を行い、本人の同意を得て、本人を特別調整の対象者として選定した。そして、地域生活定着支援センター(各都道府県が設置し、高齢又は障害を有し、かつ、適当な帰住先がない受刑者及び少年院在院者について、釈放後速やかに、適切な介護、医療、年金等の福祉サービスを受けることができるよう、帰住地調整支援等を行う機関。第2編第4章第3節5項参照)に対し、本人が刑事施設を出所した後、これまで長年生活してきたA県で障害福祉サービス等を円滑に受けられるよう調整を依頼した。刑事施設出所後の本人の住居の確保については、A県を管轄する保護観察所において、本人が刑事施設を出所した後、新たな住居が確保されるまでの間の当面の受入れ先として、県内の更生保護施設との調整を行った。これらの事情等を踏まえて、地域生活定着支援センターは、保護観察所、生活保護を所管する福祉事務所、最終的な居住地と想定される地を管轄する指定相談支援事業者、更生保護施設等の担当者との間で、本人の刑事施設出所後の支援方針について協議した。その結果、住居については、更生保護施設に入所後に、障害者向けのグループホームの体験利用を経て、同グループホームへの入所を目指すこととした。就労については、これまで、本人が就労先に適切な自己主張ができずに不利益を受けることがあったことなどから、更生保護施設を退所した後は、当面の間、生活保護を受給しながら、就労移行支援を受け、最終的には、本人の希望を踏まえて、再び建設作業員として働いて経済的に自立することを目指すこと、ギャンブルによる金銭の浪費については、社会福祉協議会が行う金銭管理サービスを受けて対応することなどの支援方針案を決めた。

本人は、刑事施設を満期出所し、保護観察所に更生緊急保護の申出を行って、更生保護施設に入所したものの、地域生活定着支援センター、保護観察所、福祉事務所、指定相談支援事業者、就労移行支援事業所、更生保護施設、グループホーム等の担当者で構成する会議等において、本人は、当初、「刑務所を出所したら、もっと自由にできるものだと思っていた。」と述べた上、「障害者として就労移行支援を受けると、手取りが少なくなる。できるだけ早く故郷を訪ねて、児童福祉施設にいる姪に会いたいので、早くハローワークで仕事を見つけて建設作業員として就労したい。」、「早く一人暮らしがしたい。」などと述べ、現実に根ざした生活設計を立てることができずにおり、更なる福祉的な支援を受けることに対して後ろ向きであった。これには、本人の知的な制約等もあると考えられたため、更生保護施設での生活の中で、支援者が、本人の特性を踏まえて話し合いを重ねた結果、本人は、これまでの生活歴を振り返り、今まで自分が計画的に金銭管理することができず、借金を作るなどして金銭に困り、侵入盗を繰り返していたこと、拙速に離転職を決め、不利益を受けることがあったことなどを再認識するようになっていった。そして、建設作業員として就労するまでのプロセスを具体化できたことなどから、就労移行支援等を受けて、段階的に経済的自立を目指していくことを決意するに至った。

その後、本人は、更生保護施設に居住しながら、就労移行支援事業所やグループホームの体験利用を重ねることで、今後受けることとなる支援の具体的なイメージを更につかんでいった。最終的には、グループホーム側に受け入れてもらえることになり、刑事施設出所から約1か月後に同グループホームに転居し、堅実に新たな生活をスタートさせることができた。

(3)少年院在院者への就労支援により、就労意欲や意識に変化が認められた事例

本人(少年院在院当時18歳・男子)は、幼少期から家庭での虐待や学校でのいじめの被害体験を有し、中学校3年生頃から家出を繰り返していた。中学卒業後は、飲食店や工場でのアルバイト等をしていたが、仕事に行くのが面倒になったという理由で遊びを優先して仕事を辞めることを繰り返しており、保護者から厳しく指導されるものの、そのような生活態度を改善できず、野宿をするなどして保護者と距離を置き、家出が長期化する中で、食料や生活資金獲得のための万引きに及び、少年院送致となった。

本人は、少年院入院当初、生活環境調整担当の保護観察官との面接では、出院後の生活について、保護者の下を離れ、職場の寮などで生活しながら働きたいという意向を示していたが、保護者の許可が得られないとして、実家から通える範囲での職場を探すこととなった。

少年院の法務教官は、在院中に本人の能力に適した就職先を決定して、円滑に社会内処遇に移行させることを目指し、本人の意思を尊重して就労支援対象者に選定し、求人情報の提供をハローワークに依頼するとともに、就労支援スタッフ(第2編第4章第3節4項参照)による面接を開始した。しかし、本人は、内心では、親元を離れて仕事をしたいという気持ちを持ち続けており、自立することばかりに目が向きがちで、就労希望先の選定が難航した。また、保護観察所からの助言により、更生保護就労支援事業の利用も提案したが、本人は、「面倒だし、利用方法もよく分からない。」と言って、消極的な態度を示し、利用には至らなかった。

そうした中、本人は、実母が断固として引受けを主張したこともあり、保護者の下への帰住にほぼ同意し、一旦はそのとおりに決まったが、本人の個別担任(コラム2参照)の法務教官から、「出院後の進路も定まらない現状のまま保護者の下に帰住しても、本人が保護者の過干渉を避けて自宅から出奔し、再非行に至る可能性が高い。」との意見が出された。それを受けて、就労支援スタッフとの面接の中で、基本的なキャリア教育を実施し、自身の職業に対する興味や志向性についての理解を深めさせたり、履歴書の書き方やハローワークの活用方法等を指導したりした。面接では、当初、「本当は動物と関わる仕事がしたかった。」、「提示されているハローワーク求人票以外に運輸関係を追加してほしい。」と述べる一方で、給与以外の労働条件に興味がない様子で、働く自覚と意欲に乏しい面が見られたものの、継続的な面接や指導を経る中で、過去の職場で厳しいノルマを達成して先輩から褒められたことなどを振り返って自分の長所に目を向けたり、採用面接に関する具体的な事柄について自ら質問をして対策を立てたりするようになるなど、徐々に、就職活動に対する意欲を高めている様子が見られるようになった。

その後も、少年院では、本人が出院後に直面することが想定される課題等に対して必要な対応や支援をきめ細かく継続した。最終的には、本人が主体的にハローワークの求人情報から食品加工と小売を手がける会社を就労希望先として選択し、「就労できたら、貯金して独立したい。」と述べるなど、就労への意欲を見せるとともに、自立に向け、計画的に行動しようとする態度の変化も認められるようになった。その後、少年院において採用面接が実施され、就労を希望していた会社の内定を得ることができた。