外国人犯罪者・非行少年の円滑な社会復帰を図る上での基盤の一つとなり得るものとして,地域社会による多文化共生の取組や定住外国人の積極的な地域参加・貢献があると考えられる。このような視点から,多文化共生の取組が社会復帰支援につながった事例や地域に根ざした処遇事例,そして,定住外国人の地域参加・貢献の具体例を紹介する(なお,事例の内容は,個人の特定ができないようにする限度で修正を加えている。)。
外国人が多く住む集住都市で保護司をしているAは,保護司になって約15年となる。Aは,配偶者の仕事の関係でブラジルに居住していたことがあり,帰国後,地元で日系ブラジル人の子供を対象とした日本語教室の講師を務めるなど,多文化共生の取組の一端を担ってきた。
Aは,「ブラジルでは,現地の日系人にいろいろ助けてもらったので,今度は,自分が彼らのためになることをしたい。」との思いから,保護司を引き受けた。ポルトガル語ができることから,ブラジル国籍の保護観察対象者を担当することが多く,これまで担当した約40人の保護観察対象者のうち,約9割が南米日系人である。
Aは,保護司会の「異文化交流部会」に所属しており,国際交流協会や日系ブラジル人を支援する特定非営利活動法人等他の組織と連携し,市内の日系ブラジル人学校を定期的に訪問して,子供達が,加害者にも被害者にもならないよう犯罪予防活動を行うなど,独自の活動を行っている。
保護観察対象者の処遇に当たっては,例えば,外国人雇用サービスセンターや公共職業安定所に配置されているポルトガル語通訳を活用するなどした就労指導,日本語学習の機会に関する情報提供など,これまでに培ったノウハウや社会資源を十全に活用している。
全国の保護観察所では,保護観察処遇の一環として,地域社会の利益の増進に寄与する社会的活動を継続的に行うことを内容とする社会貢献活動(第2編第5章第2節2項(5)及び第3編第2章第5節2項(4)参照)を実施しているが,この活動に外国人保護観察対象者も参加している。
B子は,日本人の父と東南アジア国籍の母との間に生まれた。中学2年時に,同級生と共に窃盗事件を起こし,初等少年院送致となった。少年院の記録では,「同級生から仲間外れにされた経験があり,中学校入学時から,だんだんと家庭に寄り付かなくなり,日本人不良仲間と交際するようになった。」,「外国人であることに対する劣等意識が強い。」などと指摘されていた。
少年院を仮退院後,中学校に復学し,一時学校の勉強についていけない時期もあったが,保護観察所から紹介されたBBS会(第2編第5章第5節4項(1)参照)の会員による学習支援を受けた成果もあって,希望の高校に合格した。
B子は,高校の夏休み期間を利用して,母,担当保護司,担当保護観察官と共に,児童養護施設における保育補助の社会貢献活動に2回参加した。活動後,B子は「あんなにかわいい子供達が親に育ててもらえなくてかわいそう。自分は何と幸せなのだろうと思った。」と感想を述べた。B子の母も「たくさんの子供たちに会い,B子の小さい時を思い出して,楽しい一日でした。」と話した。児童養護施設の職員もB子の働きぶりに感謝しており,また,子供達もB子に懐いて楽しい時間を過ごしていたことや,B子自身が子供達の中で生き生きと働いていたことが見て取れたことから,担当保護司は,将来の進路として,保育関係に適性があると感じ,B子との面接でそのことを伝えた。
その後B子は,保育関係の専門学校への進学を目指して欠席することなく高校に通うとともに,学業とアルバイトを両立させ,安定した生活を送ることができた。また,母との間で会話も増えるなど,良好な親子関係を築けるようになった。