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 昭和38年版 犯罪白書 第一編/第三章/三 

三 選挙犯罪

 前回の犯罪白書では,昭和三五年一一月の衆議院議員総選挙について概観したが,その後昭和三七年七月に施行された参議院議員選挙に至るまでは,衆議院議員,参議院議員の補欠選挙と地方選挙とが散発的に行なわれただけで,昭和三六年度の選挙犯罪については,特にこれを取り上げて概括的に説明するほどの事情はない。したがって,ここでは昭和三七年七月の参議院議員通常選挙を中心に,選挙犯罪のすう勢を概観することとしたい。
 昭和三七年度の選挙犯罪について概観する前に,ふれておかなければならないことは,同年五月法律第一一二号として公布施行された「公職選挙法等の一部を改正する法律」のことである。これは選挙の公明適正化のための大幅な改正であり,罰則の整備強化をも図っているが,罰則に関する主要な改正点としては,公務員等の地位利用による選挙運動および公務員等で立候補しようとする者の地盤培養行為の禁止規定が設けられたこと,当選無効事由の拡張,すなわち公務員,地域主宰者,同居の親族等の選挙犯罪も,新たに当選無効事由に加えられたこと,これに関連して検察官による当選無効訴訟の提起が義務づけられたことや,公民権停止の強化,短期時効の廃止等であった。
 そのような改正後の同年七月に施行された参議院議員通常選挙の結果は,必ずしも,その改正の意図に沿わず,相当多数の違反が発生した。検察庁の受理人員はかえって増加し,前回の昭和三四年の参議院議員通常選挙における選挙犯罪の受理人員が,一六,〇七七人であったのに対し,昭和三七年のそれは,二七,五八一人という著しく多数の違反者を数えるに至った。
 この参議院議員通常選挙に際して受理した選挙犯罪のうち,買収(供応,利害誘導を含む)は一五,四〇〇人(五五・八%),文書違反(新聞紙等の頒布を含む)は五,〇三二人(一八・二%),その他が七,一四九人(二五・九%)である。これを従来行なわれた衆議院議員,参議院議員の各選挙および統一地方選挙と比較するとI-37表のとおりである。この表で明らかなように,昭和三七年の参議院議員通常選挙は,従来の参議院議員通常選挙に比しても,違反者の受理総数が最も多いのである。そこでさらに,全国区,地方区別にこの内訳を昭和三一年七月,昭和三四年六月の各参議院議員通常選挙と比較してみるとI-38表のとおりである。これでみると,各年度にわたり全国区の選挙違反受理件数が地方区にくらべて著しく多く,昭和三七年七月の参議院議員選挙においては,従来のそれに比し,買収,戸別訪問が著しく増加していることが明らかである。このことは,買収等の悪質,違法な選挙運動がなお効果のあるものとして運動者により敢行され,また,選挙人等が安易にこれに応じて金品の供与や供応を受けている事実を物語っており,ここに一般の遵法精神の低下や政治意識の低さをみることができる。このほか,昭和三七年七月の全国区の参議院議員選挙違反の特色としては,政治団体,宗教団体等によって行なわれる組織的な事犯が多く,特に戸別訪問,文書違反にその傾向が著しかったことと,前述の改正法によって新設された公務員等の地位利用による選挙運動等の制限違反が予想外に多く,四三三人(うち全国区関係四一四人)もあったことを指摘することができる。特に後者は,国の公務員が地方公共団体の公務員に働きかけ,さらに関係業界に対して運動を行なった事例が大半を占めており,公務員の選挙運動が実際にかなり行なわれていたことや,その運動方法が明確になるとともに,政府の数次の警告にもかかわらず,一部の公務員をして,あえてその違反に出でしめた役所の組織,役人気質等についても考えさせられるものがあった。今後の選挙における公務員等の地位利用罪等のすう勢については注意すべきものがあろう。

I-37表 選挙違反の検察庁新受理人員と率(昭和25〜28,30,31,33〜35年,37年)

I-38表 参議院議員通常選挙の違反と罪種別人員と率(昭和31,34,37年)

 これらの選挙犯罪の違反者のうち,選挙施行約六か月後の昭和三七年一二月末までに起訴されたものは六,九六九人,不起訴処分に付せられたものに一四,〇六一人,合計二一,〇三〇人であるが,これらの違反態様の内訳はI-39表のとおりである。すなわち,起訴人員の最も多いのが買収で三,二九〇人(二六・八%),次に戸別訪問一,七二二人(六一・〇%),文書違反一,二五六人(三四・一%)となっており,このうち公判請求されたものは,買収九一五人,戸別訪問一一一人,文書違反九九人であり,やはり他の違反に比して多数を占めているが,これはこの種の事犯が典型的な違反であって,悪質重大なものが多いためであろう。全体の起訴率は三三・一%(公判請求五・七%,略式命令請求二七・四%)で,昭和三四年の参議院議員選挙違反における起訴率が三二・六%(公判請求五・七%,略式命令請求二六・九%)に比し,わずかながら増加しているが,昭和三五年一一月の衆議院議員総選挙における起訴率が三八・八%(昭和三三年五月の総選挙における起訴率は四三・六%)であるのにくらべると,これより下回っている。

I-39表 昭和37年7月参議院議員通常選挙の違反の罪種別処理人員と率(昭和37年12月末現在)

 次にI-40表は昭和三一年七月,昭和三四年六月,昭和三七年七月の三つの参議院議員通常選挙における違反者の資格別を比べてみたものであるが,この表によって昭和三七年七月の参議院議員通常選挙における違反者二一,〇三一人の資格別をみると,選挙運動者が最も多く一〇,五二二人(五〇・〇%)であり,これに次いで選挙人が九,三三九人(四四・四%)となっており,前二回の選挙よりも増加した数の大部分は,この両者によって占められている。

I-40表 参議院議員通常選挙の違反の資格別人員と率(昭和31,34,37年)

 この参議院議員通常選挙施行後約六か月の昭和三七年一二月末までの資格別処理および裁判結果はI-41表のとおりである。これでみると,略式命令請求によるものが多く,その大半については,当然その告知があったと考えられるが,略式命令が確定したかどうかは不明である。むしろ,正式裁判申立てによって,公判に付された者が相当多いであろう。また,はじめから公判請求された者も相当あるが,罰金以外の裁判の言渡しのあった数がいまだ少ないので,その大半は,なお第一審に係属していることが看取される。一般に公職選挙法の裁判はかなり遅延しており,いわんや,当選人,総括主宰者等に対する裁判は,さらに長期化しつつあり,これらに対するいわゆる百日裁判の規定は有名無実化しつつあるのではないかと憂慮される。もとより訴訟遅延の問題は,ひとり選挙裁判のみに関することではないが,どんなに選挙犯罪を検挙しても,その訴訟が遅延し,その有罪裁判の確定が延引してしまうのでは,悪質な選挙犯罪者をすみやかに選挙から遠ざけ,その公明化を期する取締りの効果の大半は没却されることとなる。試みに,やや古い統計ではあるが,昭和三三年,三四年,三五年における,通常第一審での公職選挙法違反事件の審理期間をみると,I-42表のとおりである。これによると,一年をこえる審理期間を要した被告人の数は,昭和三三年においては九八人,昭和三四年においては六五四人,昭和三五年においては,一,五九一人と漸増している。その原因についてはさらにその後の状況をも調査し,十分な検討を加えなければ,にわかに断定を許さないのであるが,いずれにせよ,この遅延の事態を改善するためには,訴訟関係者が一体となって真剣な努力を払う必要があると思われる。

I-41表 昭和37年7月参議院議員通常選挙の違反の資格別処理・裁判結果調(昭和37年12月末現在)

I-42表 選挙違反事件の第一審審理期間調(昭和33〜35年)

 なお,昭和三七年七月の参議院議員通常選挙における科刑の状況としては,いまだI-41表の程度しか集計されていないので,全体の傾向を推測することは困難であるが,同年二月末現在において裁判のあった被告人五,四二九人のうち,懲役または禁錮の言渡しがあった者は一四九人で二・七%にすぎない。もとより,これは前述したように,公判請求された者の過半数が,なお公判未済となっていることに起因するわけであり,その数は今後さらに増加することが予想されるが,これら自由刑を言い渡される者のうち,はたして何パーセントが実刑の言渡しを受けるかという点になると,従来の裁判実績に徴すれば,その数はきわめて少ないものと考えざるをえない。たとえば,昭和三六年において,選挙違反事件における自由刑の言渡しのあった被告人の執行猶予率は,最高裁刑事局の調査によると九三・六%で,残りのわずか六%余が実刑に処せられたにすぎないからである。このへんにも,選挙裁判における問題点が存在するといえよう。
 公民権停止の制度は,前述の改正法によって相当強化され,買収等の悪質事犯については,公民権を全く停止しないとすることが出来ないとする等,公民権停止の原則に対する例外的措置について制限が加えられたが,その運用実績は,いまだ集計されていないので,ここではとりあえず,最高裁刑事局の調査による昭和三六年までの運用状況を示したI-43表を掲げるにとどめる。これでみると,公民権不停止の人員の有罪総人員に対する割合は,漸次減少しているものの,なお,昭和三六年において三二・四%を占めており,他方,期間の短縮のあった人員は,漸次増加しているわけであって,全体としての運用状況は,いまだ厳格とはいえず改正法の今後の運用に留意する必要がある。

I-43表 選挙違反第一審有罪人員のうち公民権停止の言渡人員と率(昭和34〜36年)