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 平成 元年版 犯罪白書 第4編/第2章/第3節/1 

第3節 特別法犯の動向

1 概  況

 次に,特別法犯の動向は,昭和においてどのように推移したかについて見ることにする。特別法犯の全体の動向を考察するには,検察統計及び司法統計を用いることとなる。元来,特別法犯は,検挙されなければ犯罪の発生自体が確認されないことが多い関係などから,犯罪発生に関する統計は作成されておらず,また,検挙及び送致についても,特別法犯全体に関する警察統計は,作成されていないからである。
 また,戦後の特別法犯については,本節2(2)アで述べるとおり,戦前と比べても,道交違反が圧倒的多数を占めるため,これを含めて特別法犯の動向を考察した場合には,他の犯罪の動向が識別しにくいので,これを除いて検討することが必要となる。そこで,本節では,特別法犯の数値について,特に断らない限り,道交違反を除いたものとする。また,刑法犯中の交通関係業過についても同様なことがいえる上,同じく交通関係犯罪であるので,刑法犯については,交通関係業過(昭和49年以前は,単に業過)を除いた数値を掲げることとする。
(1) 検察庁新規受理人員等の推移
 IV-12図及び付表4表は,昭和における刑法犯及び特別法犯の検察庁新規受理人員並びにその総数に対する特別法犯新規受理人員の構成比の推移等を見たものである。ただし,昭和23年以前は,新規受理人員についての統計はないので,新規受理件数によっている。
 戦前の特別法犯の動向を検察庁新規受理件数の推移によって見ると,昭和8年から12年まで11万件前後を記録するが,15年以降急激に増加し,18年の16万1,132件と頂点を形成している。戦後における特別法犯の検察庁新規受理件数及び新規受理人員の推移を見ると,23年の97万1,676件及び24年の86万160人を中心とする20年代後半に続く高い数値に始まるが,その後は急激に減少し,34年,35年,38年及び42年に20万人を超え,54年には19万人に迫るなど,比較的高い数値が認められるものの,おおむね十数万人で推移し,63年は11万562人となっている。
 検察庁新規受理人員等の総数に占める特別法犯の構成比の推移を見ると,戦前は,昭和14年まで20%から25%台で推移していたが,15年に37.1%と急増し,16年以降戦時には更に増加し,18年は45.7%を占めるに至っている。戦後は,21年は戦時とほぼ同数であり,22年に急激に増加して69.7%を記録し,23年69.3%,24年59.3%と高率を維持し,30年まで高い比率を保つが,以後急激に減少し,34年,38年,42年,50年,54年及び58年には30%を超える比較的高い数値を認めることができるものの,おおむね20%台後半の数値で推移し,63年は24.3%となっている。
(2) 第一審有罪人員等の推移
 IV-13図及び付表5表は,昭和における刑法犯及び特別法犯の第一審有罪人員並びにその総数に対する特別法犯第一審有罪人員の構成比の推移を見たものである。

IV-12図 検察庁新規受理人員の推移(昭和6年〜18年,21年〜63年)

IV-13図 第一審有罪人員の推移(昭和6年〜18年,23年〜62年)

 特別法犯の第一審有罪人員の推移を見ると,戦前は,昭和15年から急激に増加し,17年の8万5,662人とする頂点が形成され,戦後は,23年の32万1,495人を頂点とする30年に至る高い数値に始まるが,その後は,34年及び36年に9万人を超え,38年,42年,58年及び59年に8万人を超す比較的高い数値が認められるものの,おおむね5万人ないし7万人台で推移し,62年は6万6,379人となっている。
 第一審有罪人員総数に占める特別法犯の構成比は,昭和18年及び23年以外は,検察庁新規受理人員における構成比より高率である。これは,特別法犯の起訴率が,一般的に,刑法犯よりも高率であることによるものであると思われる。23年が例外であるのは,既に見たとおり,この時代の刑法犯は比較的犯情の重いものが多く,起訴率が高かったことなどによるものであろう。また,40年代以降,検察庁新規受理人員における特別法犯の構成比が約24%から約34%で推移するのに,第一審有罪人員による特別法犯の構成比は約29%から約55%で推移し,特に50年代末からはほぼ50%を超える高い数値を記録しているが,これは,刑法犯の第一審有罪人員の減少によるものである。
(3) 実質有罪人員の推移
 これまで,検察庁新規受理人員及び第一審有罪人員により特別法犯の推移を見てきたが,これだけでは必ずしも十分とはいえない。検察庁新規受理人員等による時代別の比較は,既に触れたとおり,昭和23年以前は新規受理件数であるが,24年以降は新規受理人員によるものであり,その連続性に難点がある。また,戦前の特別法犯については,違警罪即決例(明治18年太政官布告31号)によって処分された人員を無視することはできないと思われる。これは,警察署長等が違警罪(拘留又は科料に当たる罪)について証拠調べ等の後に即決で拘留又は科料を言い渡す処分をするなどの制度である。これにより処分されたものは,大部分が特別法犯で,その数も極めて多く,昭和9年から11年ころまでは年間100万人を突破し,裁判所の第一審有罪人員の十数倍にも及んでいるが,検察庁新規受理件数にも裁判所の第一審有罪人員にも計上されていない。戦後には,即決例はもとより,この手続により処分されていた警察犯処罰令等多くの処罰法令が廃止されたが,一部残された処罰法令の違反事件は,検察庁に送致され,検察庁新規受理人員や第一審有罪人員に計上されることとなった。
 このように,昭和の特別法犯等の動向を検察庁新規受理人員等を軸に見るのは,統計上問題があるので,これに代えて,刑事司法手続の各過程で実質的に有罪と認められた者の合計で見ることとする。このように実質有罪人員によって見る場合には,戦前,戦後を通じてほぼ連続性を保ちながら,特別法犯等の動向を考察することが可能となる。
 そこで,以下において,実質有罪人員として,戦前は,違警罪即決人員,起訴猶予人員及び第一審有罪人員の合計により,戦後は,起訴猶予人員及び第一審有罪人員の総数によって,刑法犯の推移と対比しながら,昭和の特別法犯の動向を見ることとする。
 IV-14図及び付表6表は,昭和における特別法犯及び刑法犯の実質有罪人員の推移等を見たものである。

IV-14図 実質有罪人員の推移(昭和6年〜18年,23年〜62年)

 特別法犯の実質有罪人員を見ると,戦前は,昭和8年から増加し11年まで8年の84万5,498人を頂点とする高い数値を記録するが,その後減少し,18年は26万8,899人と最低の数値を記録している。この動きは,これまで検察庁新規受理人員等によって見てきた特別法犯の動向とは相違し,むしろ認知件数によって見た刑法犯の動きと類似している。8年から11年に至る高い数値は,刑法犯多発の時代(本章第2節3(1)参照)に対応しているが,その背景となった社会的,経済的事情等がこの時期の特別法犯の多発をもたらしたものと思われる。このように,検察庁新規受理人員及び第一審有罪人員によって見た場合には,特別法犯は戦時にかけて増加していたのに,実質有罪人員では激減している。戦時の特別法犯では,それ以前と比べ,取締方針の変化があったことのほかに,比較的犯情の重いものが増加した反面,犯情の軽微な事犯が少なくなったものと思われるが,更に特別法犯の内容に及んで分析する必要があろう。
 戦後は,昭和24年の73万3,998人をピークとする30年に至る高い数値に始まるが,その後は,34年及び38年に20万人前後,42年に約17万人,46年に約13万人,50年,54年及び58年に12万人の比較的高い数値が認められるものの,徐々に減少し,62年は9万1,776人となっている。この動きは,人員数に違いはあるものの,既に見た検察庁新規受理人員及び第一審有罪人員による場合とおおむね一致している。
 特別法犯の実質有罪人員の特別法犯及び刑法犯の実質有罪人員合計に対する構成比の推移を見ると,戦前は,昭和14年及び18年を除き,60%台から70%台の高い数値を占めているのであって,前述の検察庁新規受理人員等で見た場合と異なり,違警罪即決人員を含めた実質有罪人員による場合では,戦前の特別法犯の割合が非常に多いことが浮彫りにされる。戦後は,24年の65.3%を頂点に30年まで45%を超える高い比率が続き,その後減少したが,34年に38.3%,38年に42.8%,42年に39.8%,50年に38.7%,54年に43.1%の比較的高い数値を記録し,特に,50年代末からは40%台で推移し,62年は44.2%となっている。戦後の混乱期における高い比率は,前述の検察庁新規受理人員等で見た場合と同様であるが,50年代末からの構成比の上昇については,検察庁新規受理人員では30%前後,第一審有罪人員では50%を超え,実質有罪人員では40%台とそれぞれ異なる様相を示している。50年代の刑法犯の増勢は,少年非行や比較的軽微な財産犯の増加によるものであったが,これらの大半は,家庭裁判所送致となって刑事処分が行われず,又は,起訴猶予処分とされるため,第一審有罪人員及び実質有罪人員における各構成比は,検察庁新規受理人員中のそれよりも高くなっているのである。