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 平成 元年版 犯罪白書 第4編/第2章/第2節/3 

3 犯罪動向の背景

 以上,認知件数と第一審有罪人員の推移により昭和時代の刑法犯の動向を見てきたが,時代別にその特徴をまとめ,その背景を探ることにしよう。
(1) 昭和8年から10年を頂点とする犯罪多発の時代
 第一審有罪人員ではさほどではないが,認知件数によると犯罪が急激に増加したと認められる時代である。これを罪名別に見ると,殺人など,昭和初年から比較的高い数値を示している犯罪もあるが,窃盗,詐欺,横領及び恐喝等の財産犯はもとより,ほとんどの犯罪が,4年,5年ころから増加し,7年,8年から激増し,10年,11年ころまで高い数値を記録し,以後戦時に向けて減少している。
 第一次大戦後,自由主義,民主主義が一応浸透し,議会政治も形を整えたが,昭和4年に世界大恐慌が起こり,我が国経済も深刻な影響を受け,金融恐慌,産業不振,農村経済の疲弊に加えて,9年の大凶作により更にこれが深刻化するとともに,失業が増加し労働争議も多発するなど,社会不安が進行した。この間,社会主義政党が台頭し社会運動も活発化したが,相次いで弾圧され,また,幾つかの疑獄事件も発生し,経済不況も加わって,政治不信が広がる間に,軍部が勢力を拡大し,6年に満州事変が勃発し,7年には5・15事件で青年将校により犬養首相らが殺害され,11年には2・26事件で同じく斎藤内相らが殺害され,軍部独裁政権へと進み,12年には全面的な日中戦争が開始され,ますます戦時体制を強めて行くのである。
 この時期における犯罪の増加は,このような社会不安と経済不況に基づく国民の経済的困窮等を背景にするものであると言えよう。とりわけ,経済不況と農業不振により労働争議や小作争議も増加し,都市部のみならず農村でも国民生活がますます困難になっており,このような経済的環境が,特に財産犯の増加となったことは否定できないであろう。
 また,この時代の犯罪の分析に当たっては,既に見たように,認知件数による動向と第一審有罪人員による動向との間にその増勢の強さに著しい差の存することに着目する必要があろう。認知件数による増勢は,例えば,昭和7年から8年の間で総数にして約25万件,罪名別に見てもほとんどの犯罪が前年を大幅に上回っているのであるが,このような急激な変化は,第一審有罪人員には,恐喝など一部を除いて,表れていない。検挙率がこの時代に著しく高いことを併せ考えれば,先に述べたような時代的背景の中で捜査当局が,かなり徹底した検挙方針を採ったことがうかがえるのであり,この時代の認知件数には他の時代と比べ,軽微な事案が多数含まれていたのではないかとも考えられる。
(2) 性犯罪等の多発が目立つ戦時中の時代
 昭和16年12月8日に始まり,20年8月15日に終わる太平洋戦争の時代には,ほとんどの犯罪が減少しているが,強姦及び強制猥褻は増加し,賭博・富くじ及び賄賂が高い数値を示している。大部分の犯罪が減少したのは,若年の成人男子など犯罪を犯し易い年齢層の多くの者が,国外の戦場等に狩り出されていた事情によるものであろう。
 ところで,強姦及び強制猥褻の増加については,戦時において銃後の婦女子を守ろうとする捜査当局の厳重な捜査方針の影響等を考慮する必要があろう。ちなみに,IV-9図,付表2表及び付表3表によれば,この時期に住居侵入が激増しているが,同様の捜査方針の影響を思わせる。すなわち,当時,刑法には人の妻たる者の姦通行為につき,その妻と相姦者とを処罰する旨の規定が存したが,夫の告訴を要する親告罪であり,これで処罰しようにも出征中の夫から告訴を得られず,実際上処罰することが困難であったため,相姦者が夫の住居権を犯したとして,住居侵入でこれを処罰する方針が採られたのであり,これが,戦時住居侵入が増加した主因と考えられるのである。
 さらに,賭博・富くじの増加も,銃後の社会秩序を守り,怠惰浪費等の風潮が生じないようにするため,この種事犯に対して厳重な捜査方針を採ったことの反映と考えることができよう。また,賄賂の増加は,後述のとおり,統制経済下の特徴と見ることができるであろう。
(3) 各種犯罪が多発した戦後の混乱期
 既に見たとおり,昭和20年代初めから半ばころまでの戦後の混乱期には,犯罪が激増している。これを罪名別に見ると,窃盗,詐欺,横領,強盗,恐喝,賄賂などが,戦前とは比較できないほどの高い数値を示しているが,いずれも20年代後半から30年ころまでに大幅に減少している(ただし,認知件数では,詐欺及び横領の数値は,戦前を下回っているが,実勢はむしろ第一審有罪人員により判断すべきことについて,前記2(1)参照)。
 この時代,我が国の経済は,原料供給の途絶及び生産設備の滅失等により壊滅状態にあり,食糧その他物資は極度に不足し,インフレーションはかって経験したことのない程のペースで進行し,加えて,戦地からの復員,帰還,出生率の上昇等により人口が急激に増加し,浮浪者や失業者がちまたにあふれ,国民生活は,戦時をしのぐほどに窮乏化した。また,この時代は,戦前までの価値体系が崩壊して道義観念は動揺し,無法集団が横行して社会不安が増すのに,政治体制ことに警察が弱体化しているなど,あらゆる面から見て混乱の時代であった。かつてない犯罪の急増はこの時代の社会的混乱を反映したものと見ることができよう。特に,この時代,どの犯罪にも増して,財産犯が激増していることは,上記の経済事情を率直に物語るものといえるであろう。
 また,賄賂の多発については,この時代が戦時から続く統制経済下にあったことを考慮すべきで,食糧を含めほとんどの物資の調達が配給制度によって理されていたのであり,より多くの物資を求めるなどのため関係機関職員に対する賄賂が横行したことは容易に推察できるであろう。
(4) 昭和30年から40年に至る粗暴犯罪多発の時代
 戦後の混乱期に見られた犯罪の激増は,昭和20年代後半にかけて終息するかに見えたが,30年代初めにかけて再び増勢となり40年代初めに至るまで比較的高い数値で推移している。これを罪名別に見ると,暴行,傷害,恐喝の急増が目立ち,殺人も増加し,強盗も戦後の混乱期の数値には及ばないが比較的高い数値を示している。また,これら凶悪・粗暴犯の増勢に少し遅れて30年代半ばから強姦,強制猥褻が増加し,これらは40年前後にピークを形成し,その後減少している。また,既に見たとおり,この時代は,少年非行が増加し,交通関係業過が激増した時代でもある。これらに対し,窃盗は,30年代当初やや増加するがその後減少し(第一審有罪人員による数値を重視した。),詐欺及び横領などもこの時期減少している。
 昭和20年代後半には,我が国経済は徐々に立ち直り,いわゆる朝鮮戦争特需も加わって産業が復興し,社会秩序も回復していったが,社会の安定に従って刑法犯の認知件数も徐々に減少した。30年代には,工業開発が進み経済の高度成長が進展し,工業・農業の生産高も戦前の水準を上回るようになり,我が国の経済活動は,国際的分野にも発展していった。このような経済的発展にもかかわらず,刑法犯認知件数が30年代に入ると再び増勢に向かったのは,幾つかの要因が考えられる。まず,少年非行の増加は,戦中,戦後の困難の時代に成長期を過ごした10代後半の少年人口の増加によるものであり,また,これは,少年犯罪が多くを占める窃盗や粗暴犯等の増加をもたらしている。次に交通関係業過の激増は,いうまでもなく,自動車交通の発達に伴う交通事故の増加によるものである。
 さらに,昭和20年代後半から30年代に至る時代は,27年4月にサンフランシスコ講和条約,日米安全保障条約の各締結等により,我が国が,新しい社会体制を確立していく復興期に当たるが,これに反対する動きも激しく,デモや労働争議などが多発するなど,国民の中に社会的思想的対立が激化した時代でもあり,政治的な主義主張の多様化と先鋭化は,35年の安保改定阻止闘争をめぐる公安事件や学生運動となって現れ,これに伴う集団的暴力事犯が多発した。また,経済の復興,工業化の進展等は,大都市や工業都市などへの人口の集中を招き,新たな盛り場などを生み出し,その利権などをめぐり,新旧の暴力団の抗争なども巻き起こしている。例えば,暴力団関係者の暴行及び傷害検挙人員について見ると,27年は傷害及び暴行を合算しても755人にすぎなかったが,28年は両者で4,058人,29年は傷害1万520人,暴行3,811人,30年は傷害2万2,451人,暴行6,310人,31年は傷害3万4,102人,暴行1万1,422人と急増しているのであり,31年の数値は,全暴行及び傷害検挙人員の40%を超えているのである。この時代,暴力的行為を中心に犯罪が増加したのには,このような社会的要因等に関係があるものと考えられよう。
 また,性犯罪が多発した昭和30年代の後半には,都市への人口集中が更に進み,目覚ましい経済発展を遂げるが,生活様式等にも変化が目立ち,都市を中心とする享楽的風潮と性風俗の解放などもあって,性犯罪の増加は,これらをその背景と考えることができるであろう。また,性犯罪増加の別の要因として,33年5月刑法の一部改正により,二人以上現場で共同して犯した強姦及び強制猥褻等が非親告罪とされたことで,事犯の顕在化を招いたということも考えられよう。
(5) 少年非行の激増した昭和50年代以降の時代
 昭和50年代以降現在に至る時代は,認知件数によれば刑法犯総数の波が最も高い時代である。しかしながら,既に見たとおり,その内訳は,少年非行の激増と交通関係業過の増加によるものであり,第一審有罪人員は,むしろ,減少する傾向が認められた。また,交通関係業過を除く刑法犯を罪名別に見ても,増勢が顕著に認められるのは窃盗及び横領であり,さらに手口からしても増加する窃盗の大部分は,比較的軽微な万引きや自転車盗等であり,横領もこれと軌を一にする放置自転車の乗り逃げを主とする占有離脱物横領の増加であり,しかも少年によるこれらの事案の増加が目立つのであって,その他の犯罪のほとんどは,減少する傾向が認められる。このように,昭和末のこの時代は,質的には必ずしも重大とはいえない少年非行が激増した時代であるが,全体的に観察すると,犯罪動向は比較的安定している時代であるということができるであろう。
 この時代は,昭和48年及び54年の2度にわたる石油危機等によってもたらされた不況等があったものの,我が国が著しい経済的発展を遂げて世界有数の経済大国に成長し,豊かな社会を形成した時代である。また,産業構造における第三次産業の比率の著しい増加,これを背景とする都市への人口の集中,自動車交通の発達,コンビュ-夕等電子機器による情報処理システムの発展とマス・メディア等情報産業の活況,クレジット・システム等に支えられた消費生活の拡大,家族構成の小規模化など,社会構造や生活環境が急激に変化した時代でもある。少年をめぐる環境にしても,60年には4人以下の小規模家族が全体の76%を示すなど,いわゆる核家族化が進行し,子女に対する高等教育への期待はますます大きくなり,その結果,義務教育修了者の高等学校進学率は90%を突破し,大学進学率は30%を超え年々上昇している。しかしながら,核家族化は,一部で子女への指導機能の低下を招き,高等教育への競争の激化は,一部でいわゆる「落ちこぼれ」等の病理現象を生んでおり,この時代の少年非行の増大は,これらと無縁ではないであろう。また,この時代は,セルフサービス形式のスーパーマーケット等が増加したり,オートバイ・自転車等の使用が増加するとともに駅前等に放置されることが多くなり,これらが万引きや自転車盗等の機会を増大させたことも無視できない。