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 平成 元年版 犯罪白書 第4編/第2章/第3節/2 

2 主要特別法犯の動向

 IV-6表は,戦前の昭和7年から18年までの特別法犯の主要罪名別順位の推移を見たものであり,IV-7表は,戦後における24年以降約5年ごとのその推移を見たものである。なお,戦後の数値は,検察庁新規受理人員であり,そのうち道交違反を別枠とし,これを除く上位10位までの罪名を挙げているが,戦前については,前述のとおり,検事局の統計は,新規受理件数である上に,違警罪即決人員が含まれていないので,これを含めた特別法犯の実態を見るため,実質有罪人員の数値を使用している。
(1) 戦前の特別法犯
 IV-6表によると,昭和7年から14年までは,警察犯処罰令,自動車取締令及び道路取締令各違反が高い数値を示し,この三者の合計が全体の約半数を占めている。ちなみに,警察犯処罰令違反の内訳を見ると,交通妨害関係のものが約4割を占めており,これに自動車取締令違反及び道路取締令違反を加えると全特別法犯の約40%余は交通関係で占められていたことが分かる。交通妨害関係に次いで多いのは,「一定ノ住居又ハ生業ナクシテ諸方ニ徘回スル者」に該当するものであり,同処罰令違反中の約3分の1を占めている。
 警察犯処罰令違反等のほかでは,その他の軽微な事案として庁府県令違反が全体のほぼ30%ないし40%を占めている。治安維持法等の思想犯取締法令,兵役法等の軍関係法令はその重い処罰等により大きな影響をもっていたが,数的には余り多くはなかった。

IV-6表 戦前の主要な特別法犯の実質有罪人員罪名別順位の推移(昭和7年〜18年)

IV-7表 戦後の特別法犯検察庁新規受理人員罪名別順位の推移(昭和24年,29年,34年,38年,42年,49年,54年,59年)


 7 「銃砲刀剣類所持等取締法」とは24年及び29年においては,銃砲等所持禁止令及び銃砲火薬類取締法を,29年においては,銃砲刀剣類等所持取締令,銃砲火薬類取締法及び銃砲等所持禁止令を,34年においては,銃砲刀剣類等所持取締令及び銃砲刀剣類等所持取締法をいう。
 8 「連合国占領軍財産収受所持令」とは「連合国占領軍その将兵又な主連合国占領軍に付属し若しくは随伴する者の財産の収受及び所持の禁止に関する政令」をいう。
 9 「外国人登録法」には,「外国人登録令」を含む。
 10 選挙関係の法令違反は,順位から外した。
 次に,戦前の統制経済下における経済統制法令違反について見てみよう。昭和12年9月輸出入品等に関する臨時措置に関する法律が施行され,統制経済の時代に入ったが,その後その適用範囲が拡大され,また,販売価格の統制も加わり,13年5月施行された国家総動員法による統制経済体制では,あらゆる物資の価格が14年9月18日の価格に凍結され,配給統制のみではなく,価格統制が本格的に実施され,検挙が活発に行われるようになった。これにより,15年以降には経済統制法令違反が激増して特別法犯中の構成比が増大している。その中心的役割を演じた国家総動員法違反を例にとると,その構成比は,15年に11.5%,16年に16.4%,17年に24.4%,18年に32.7%と上昇している。もっとも,戦前のこれら物資,物価関係の経済統制法令違反の大部分は,営業行為として行われたものを対象としたのであり,消費者が処罰されることは,ほとんどなかった。
 このように,戦前の特別法犯の動向は,警察犯処罰令違反,庁府県令違反及び道路取締令等比較的軽微な特別法犯が圧倒的部分を占める昭和14年以前と,これらの構成比が減少して経済統制法令違反が激増する15年以降とに大きく色分けされている。
(2) 戦後の特別法犯
 IV-7表によると,昭和20年代後半から道交違反が激増し,実数及び構成比ともに戦前を大幅に上回っている。道交違反を除く特別法犯では,20年代から30年代半ばにかけて,食糧管理法等の経済統制法令違反が多発し,30年代半ばから40年代までは,売春防止法(ただし,同法違反は40年代には急激に減少した。),銃砲刀剣類所持等取締法及び風俗営業等適正化法(60年2月改正前は,「風俗営業等取締法」)の各違反の多発が目立ち,40年代後半から50年代には,覚せい剤取締法違反等の薬物事犯が増加している。IV-15図は道交違反と戦後これに次ぐ増勢を示した経済統制法令違反の動向を比較したものであるが,道交違反の増勢がいかに激しいものであったかがうかがえる。以下,罪名別にその動向の特徴等を見ることとする。

IV-15図 道交違反及び経済統制法令違反の検察庁新規受理人員の推移(昭和21年〜63年)

ア 道交違反の急増
 戦前においても交通関係特別法犯は相当数に及んでいたが,戦後のモータリゼーションの進行に伴う道交違反の激増は,戦前の実数及び構成比をはるかに超えるものとなっている。IV-7表及び付表4表によると,昭和23年に道路交通取締法が施行され,24年には道交違反が19万9,599人で特別法犯の検察庁新規受理人員全体の18.8%を占めるに至るが,その後29年は124万3,351人,75.5%と増加し,道路交通法が施行された35年には,257万1,963人,92.7%と道交違反が特別法犯全体の圧倒的部分を占めているのであり,その後も急増して40年には496万5,062人,96.6%に達し,その後43年にいわゆる交通反則通告制度が施行され,従来の道路交通法違反の相当部分を刑事処分から外すなどの措置が採られたが,依然その量は多く,63年は125万9,653人,91.9%となっている。
イ 経済統制法令違反の動向
 戦後の特別法犯の動向として,注目すべきは終戦直後の混乱期における経済統制法令違反の激増である。戦後の経済統制は,昭和21年2月金融緊急措置令等の緊急勅令が発布され,また,食糧管理法施行規則の改正により,米麦等の輸送を禁止する規定が設けられ,さらに,3月物価統制令,10月臨時物資需給調整法が施行されて,物価の統制及び物資の配給統制が本格的に行われるようになり,22年以降経済統制法令違反に対する取締り及び検挙が本格化したが,25年以降経済の安定化に伴って,次第に統制は撤廃されていった。
 IV-7表IV-8表及びIV-16図は,食糧管理法違反,物価統制令違反及び臨時物資需給調整法違反の検察庁新規受理人員等の推移を見たものである。昭和21年は,食糧管理法違反9万6,119件,物価統制令違反6万1,508件,臨時物資需給調整法違反629件であり,三者の合計が道交違反を除く特別法犯全体の78.3%を占めているが,その後増加し,24年には,食糧管理法違反52万3,792人,物価統制令違反13万7,690人,臨時物資需給調整法違反9万8,626人となり,三者の合計も全体の88.4%を占めるに至るが,26年以降急速に減少し,30年代後半には,道交違反を除く特別法犯の検察庁新規受理人員上位10立(以下,単に「道交違反を除く上位10位」という。)中から姿を消してしまっている。

IV-16図 経済統制法令違反の検察庁新規受理人員の推移(昭和21年〜63年)

IV-8表 経済統制法令違反の検察庁新規受理人員の推移(昭和21年〜63年)

 経済統制法令違反中では,食糧管理法違反が主役であるが,その多くは米麦等,主食を違法に輸送したとして検挙された一般消費者で占められていた。戦後の混乱期における食糧,物資等生活必需品の不足がもたらした犯罪であり,経済復興に伴い急激に減少している。また,概況で見たとおり,この時期の特別法犯の起訴率は,比較的低いが,多くの被疑者がこれら一般消費者であったための措置と思われる。
ウ 薬物事犯の動向
 次に,戦後の特別法犯の動向の中で注目されるのは,覚せい剤取締法違反等薬物事犯の動向である。IV-9表及びIV-17図は,毒物及び劇物取締法違反を除く薬物事犯の検察庁新規受理人員の推移を示したものであるが,IV-7表中でもその推移をうかがうことができる。
 あへん等薬物事犯については,戦前においても,阿片法及び麻薬取締規則の各違反が見られたが,違反事件数はいずれも多いときで100件台と極めて少ない。

IV-9表 薬物事犯検察庁新規受理人員の推移(昭和21年〜63年)

IV-17図 薬物事犯罪名別検察庁新規受理人員の推移(昭和6年〜18年,21年〜63年)

 戦後,混乱した社会情勢等を背景に麻薬,覚せい剤等が流行するに及んで,昭和23年麻薬取締法,大麻取締法,26年覚せい剤取締法がそれぞれ制定され,28年の現行麻薬取締法の制定,29年の現行あへん法の制定等により薬物事犯規制の体制が整備されたが,覚せい剤取締法違反を筆頭に増勢は激しく,29年には,同法違反が5万2,820人で,道交違反を除く特別法犯全体の13.1%を占め,麻薬取締法違反も2,317人に及び,戦後薬物事犯の最初のピークを迎えることとなった。しかしながら,この覚せい剤事犯の流行は,法改正による罰則の強化,徹底した検挙と取締り,中毒者に対する入院措置の導入,覚せい剤の害毒に関する公報活動等の諸施策により,その後急速に減少し,沈静化した。
 薬物事犯第2の流行期は,ヘロインを中心とする麻薬取締法違反の増加によるものであり,昭和37年の3,093人,38年の3,084人と高い数値を記録したが,前記同様の諸施策が実施された結果,その後急激に減少した。
 第3の流行期は,昭和45年以降の覚せい剤取締法違反の再度の激増によるもので,現在に及ぶものである。同法違反は,51年以降道交違反を除く上位10位のトップを占め続け,57年には,3万4,431人で,道交違反を除く特別法犯の25.7%を占め,その後やや減少する傾向が認められるが,63年は2万6,079人と依然高い数値を記録しており,なお楽観できない状況にある。
エ その他の特別法犯
 IV-10表及びIV-18図は,銃砲刀剣類所持等取締法違反,風俗営業等適正化法違反及び売春防止法違反の検察庁新規受理人員の推移を見たものであるが,その推移は,IV-7表中でもうかがうことができる。
 銃砲刀剣類所持等取締法違反は,昭和30年代に急増し,特に30年代後半から40年代前半にかけて高い波を形成しているが,刑法犯の動向で見た粗暴犯の動きとほぼ重なるものと認められるのであって,暴力団による抗争事件等が多発した,この時代の社会的背景によるものと考えることができよう。24年は8,670人(道交違反を除く特別法犯のl.O%),29年は8,702人(同2.2%)であったものが,34年に1万2,100人(同5.3%)で道交違反を除く上位10位の第3位となり,38年には2万892人(同7.6%)で同じく首位を占め,以後42年までは同じく上位を維持し,その後減少していく傾向を認めることができるが,この銃砲刀剣類所持等取締法違反の高い波は,特別法犯の概況で見た34年,38年及び42年の比較的高い波の形成にあずかっているものと思われる。

IV-10表 銃砲刀剣類所持等取締法違反,風俗営業等適正化法違反,売春防止法違反検察庁新規受理人員の推移(昭和21年〜63年)

IV-18図 銃砲刀剣類所持等取締法違反,風俗営業等適正化法違反,売春防止法違反検察庁新規受理人員の推移(昭和21年〜63年)

 風俗営業等適正化法違反は,昭和30年代後半から40年代半ばにかけて高い数値を記録している。IV-7表及びIV-10表で,その動きを追っても,24年1,124人(道交違反を除く特別法犯の0.1%),29年3,543人(同0.9%),34年6,761人(同2.9%)であったものが,38年に1万344人(同3.7%)で道交違反を除く上位10位中5位に浮上し,42年は1万6,327人(同7.6%)で同3位となるが,その後40年代後半からは上位10位以内にはあるものの,減少していくことが認められる。このように,風俗営業等適正化法違反の高い数値は,特別法犯の概況で見た38年及び42年の比較的高い数値の形成に関係しているものと思われる。
 最後に,昭和33年4月罰則が適用されることとなった売春防止法の違反事件の動向を見ると,34年を頂点とする40年にかけての高い数値が認められ,その後減少するが,50年代後半から60年までやや増加した後,61年,62年と再び減少している。IV-7表でその動きを追うと,34年は1万8,629人(道交違反を除く特別法犯の8.1%)で道交違反を除く上位10位のトップであり,特別法犯の概況で述べた34年の比較的高い数値の形成にあずかっているものと思われ,以後,38年1万1,130人(同4.0%),42年8,188人(同3.8%)と徐々に減少し,その後道交違反を除く上位10位から姿を消すが,59年に3,731人(同2.3%)と再び顔を出している。
 ところで,以上に挙げた3罪は,暴力団関係者によって犯される比率が比較的高い特別法犯であるといえるが,いずれも昭和30年代から40年代半ばにかけて高い数値を記録しているのであって,既に刑法犯の動向において述べたとおり,この時期が,暴力団関係者による犯罪が多発し,その勢力の拡大が目立った時期に当たっていることに注目する必要があろう。