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 平成 元年版 犯罪白書 第4編/第2章/第2節/2 

2 主要刑法犯の動向

 刑法犯の主要なものについて,財産犯,凶悪犯,粗暴犯,性犯罪,その他に分けて,順次その推移を見ることとする。
(1) 財産犯
 IV-6図付表2表及び付表3表は,窃盗,詐欺及び横領の認知件数及び第一審有罪人員の推移を見たものである。
ア 窃  盗

IV-6図 財産犯罪名別認知件数及び第一審有罪人員の推移

 認知件数では,戦前は昭和9年に72万4,986件の頂点を形成し,戦後は23年に124万6,445件を記録し,その後20年代後半にかけてやや減少するが,その後も戦前と比べはるかに高いほぼ100万件を超える数値で推移し,50年代後半には再び増勢となって,63年は142万2,355件と戦後最高を記録するに至っている。
 第一審有罪人員では,戦前は,昭和9年の2万1,843人を頂点とする8年から13年にかけての2万人前後の高い波が認められるが,戦後は,23年の9万9,632人を頂点とする極めて高い波に始まり,その後減少傾向を示し,30年代後半には3万人台となり,40年代後半になって2万人台を割り,その後はほぼ1万7,000人ないし1万9,000人台で推移し,62年には1万6,442人になっている。
 このように,認知件数と第一審有罪人員を比較すると,昭和20年代前半の戦後の混乱期の高い波は,いずれにおいても認められるが,認知件数に見られるその後の高い数値や50年代後半からの高い波は,第一審有罪人員においては認められないなど,大きな相違が認められる。このことは,戦後の混乱期の窃盗については,生産財,食糧などをねらった工場荒らし,店舗荒らし等が多く,窮乏生活下の不法事犯として厳しい措置が採られたが,その後,経済が復興し繁栄するに伴って,窃盗の動機及び態様等が変化し,自転車盗や万引きなど,比較的軽微な事犯が多発するものの,スリや侵入盗など犯情が重い事犯は減少していることによるものと思われる。また,比較的軽微な窃盗事犯は,少年によって犯されることが多く,特に,50年代後半からの認知件数の高い波は,少年による窃盗の急増によるものである。
イ 詐  欺
 認知件数では,戦前は,昭和8年から10年にかけて8年の38万8,666件を最高とする高い波が認められるが,戦後は,23年から28年にかけて25年の18万7,528件を最高とする高い波が存するものの,その後は徐々に減少し40年以降は5万件から7万件台で推移し,63年には6万5,125件となっている。他方,第一審有罪人員では,戦前は,8年から13年にかけて約5,000人から6,000人台の高い波を認めることができるが,戦後は25年の1万2,391人を頂点に23年から30年代初めにかけて1万人前後の高い数値を記録し,その後徐々に減少して49年には3,932人と戦後最低となり,その後はおおむね4,000人台で推移し,62年には4,294人となっている。このように,詐欺についても,認知件数と第一審有罪人員による場合とでは,大きな差が認められるが,概説で述べたように,認知件数の中に,戦前は,起訴されないような軽微な詐欺が比較的多数含まれていたが,戦後は,そのような事犯の認知は比較的少なくなり,逆に,起訴され有罪を言い渡されるような犯情の重いものが比較的多かったということができよう。
ウ 横  領
 認知件数では,戦前は昭和9年の28万2,595件を頂点とする高い波が認められるが,戦後は,23年から29年にかけて25年の6万5,616件を最高とする高い波はあるものの,戦前のそれより低く,その後は徐々に減少し,40年代には1万件弱を記録する程度となったが,50年代に再び増勢となって,63年は4万5,678件の高い数値となっている。他方,第一審有罪人員では,戦前は10年の3,169人を最高とする8年から11年に至る高い波が認められるが,戦後は26年の7,150人を頂点とする23年から30年にかけての戦前より高い波に始まり,その後ほぼ一貫して減少して62年には714人を数えるに至っている。このように横領についても,詐欺と同様に,認知件数と第一審有罪人員による場合とでは差異が認められる。戦前の波と戦後の混乱期の波に関する差異については,前述の詐欺の場合と同様に考えることができるであろう。また,50年以降の認知件数と第一審有罪人員との相違については,認知件数の増加の大部分が占有離脱物横領の増加によるもので,これを除けば,IV-6図中の占有離脱物横領を除く横領事件数の推移に見られるように,認知件数は第一審有罪人員の推移に対応していることが認められる。50年以降の占有離脱物横領の増加は,放置自転車の持ち逃げ事犯等の急増によるものである。
(2) 凶悪犯
 殺人・強盗の認知件数及び第一審有罪人員の推移は,IV-7図付表2表及び付表3表のとおりである。
ア 殺  人

IV-7図 凶悪犯罪名別認知件数及び第一審有罪人員の推移

 認知件数では,戦前は,昭和8年の2,713件が最高であるが,元年から12年まではいずれも2,000件を超える高い数値を示し,13年から20年にかけて徐々に減少している。戦後は,29年の3,081件を頂点とする23年から30年にかけての波があり,その後やや減少するが,36年までは2,600件台の高い数値を記録している。30年代後半からは,2,000件程度から2,300件台を上下しつつも減少する傾向が認められ,50年代前半から2,000件を割り,63年は1,441件となっている。
 第一審有罪人員では,戦前は,昭和9年の1,053人を最高に元年から12年までおおむね800人から900人台で推移し,13年以降減少している。戦後は,34年の1,581人を頂点とする30年代の高い波が認められるが,23年から53年までほぼ1,000人を超えて推移し,その後やや減少し62年は908人となっている。このように,殺人の推移については,大きな変化は認められず,また,第一審有罪人員による場合と認知件数による場合との差異も,ほとんど認められない。
イ 強  盗
 認知件数では,戦前は昭和4年の2,412件,7年の2,435件を頂点に2年から12年まで2,000件前後で推移し,その後1,100件ないし1,500件の間で推移している。戦後は,23年の1万854件を最高とする21年から25年に至る高い波に始まり,その後減少傾向を示し,28年には5,000件台,36年には4,000件台,43年以降はほぼ2,000件台,60年からは1,000件台となり,63年は1,771件となっている。
 第一審有罪人員では,戦前は,昭和7年の862人を頂点に2年から13年まで600人から800人台を推移し,その後減少している。戦後は,23年の9,233人をピークとする25年までの高い波が認められ,その後減少して,27年には2,000人台,35年には1,000人台となり,その後も起伏を見せながら減少し,62年は715人となっている。このように強盗についても,認知件数による推移と第一審有罪人員によるものとの差異は,ほとんど認められない。
(3) 粗暴犯
 IV-8図,付表2表及び付表3表は,暴行,傷害及び恐喝の認知件数及び第一審有罪人員の推移を示したものである。
ア 暴  行
 認知件数では,昭和22年までは,極めて少ないが,これは,22年11月15日施行の「刑法の一部改正」に至るまで暴行罪が親告罪とされていたことによるものである。
 昭和23年以降の推移を見ると,20年代に徐々に増加し,30年代には,34年の4万6,784件を頂点に高い波を形成し,4万件台の高さは40年代初めまで続き,その後減少して50年代初めに2万件を割り,63年は1万4件となっている。
 第一審有罪人員では,昭和23年以降徐々に増加し,30年初めから40年代前半にかけて40年の2万673人を頂点とする高い波が認められ,その後徐々に減少して50年代前半に1万人を割り,62年は3,960人となっており,認知件数による場合とほぼ同様な推移を認めることができる。

IV-8図 粗暴犯罪名別認知件数及び第一審有罪人員の推移

イ 傷  害
 認知件数では,戦前は,昭和10年の2万9,290件を頂点に元年から14年まで2万件をはるかに超えて推移し,その後減少している。戦後は,20年代後半から急激に増加し,30年から40年代初めにかけて,33年の7万3,985件を頂点とし,おおむね6万件を超える高い波が形成され,その後徐々に減少し,50年代前半に3万件を割り,63年は2万1,516件となっている。
 第一審有罪人員では,戦前は,昭和9年の1万391人を最高とする9年から12年に至る波が認められるが,元年から14年までも7,500人を超える数値で推移している。戦後は,認知件数によって見た場合と同様,30年から40年代半ばにかけて33年の5万3,950人を頂点とする4万人をはるかに超える高い波が認められ,その後徐々に減少し,50年代後半に2万人を割り,62年は1万5,162人となっている。
ウ 恐  喝
 認知件数では,戦前は,昭和10年の3万2,173件を頂点とする7年から11年に至る高い波が認められるが,その後減少している。戦後は,まず,20年代前半から徐々に増加し,25年の3万2,740件をピークにする波が認められ,次いで30年代初めから増え始め,36年の4万5,306件を頂点とする40年初めにかけての高い波が続き,その後急激に減少して50年代前半には1万件を割ったが,その後やや増加し,63年は1万2,136件となっている。
 第一審有罪人員では,戦前は,認知件数によって見た場合と同様,昭和10年の2,998人を頂点とする6年から12年に至る高い波が認められ,その後は減少している。戦後は,23年の5,561人を最高とする20年代半ばの波に始まり,その後やや減少するが,37年の5,820人を頂点とする30年代初めから40年代初めにかける高い波が続き,その後も50年代前半までおおむね3,000人台の高い数値を記録し,最近やや減少したものの62年は2,892人となっている。
(4) 性犯罪
 IV-9図付表2表及び付表3表は,強姦・強制猥褻の認知件数及び第一審有罪人員の推移を示したものである。
ア 強  姦

IV-9図 性犯罪罪名別認知件数及び第一審有罪人員の推移

 認知件数では,戦前は,昭和8年から11年にかけて10年の1,598件を頂点とする波が認められるが,他の犯罪とは異なり,戦争中にもかかわらず,17年の1,589件,18年の1,624件とそれぞれ高い数値を記録しているのが注目される。
 戦後は,昭和20年代後半から増加し,30年代前半から40年代前半にかけて39年の6,857件を頂点とする高い波を形成し,その後徐々に減少して63年は1,741件となっている。
 第一審有罪人員では,戦前は,昭和7年以降15年まで200人を超える数値で推移していることが認められる。戦後は,認知件数と同様に,20年代後半から増え始め,30年代前半から40年代後半に至るまで,43年の2,733人を頂点とし,いずれも2,000人を超える高い波を形成し,その後徐々に減少して,62年は661人となっている。
イ 強制猥褻
 認知件数では,戦前は,昭和8年の1,768件を頂点とする13年まで続く波と,16年から18年までの1,000人を超える波とを認めることができる。戦後は,20年代後半から増加し,40年の4,710件を頂点とする30年後半から40年代前半に至る高い波を形成し,その後減少して49年には2,000件台となり,63年は2,867件となっている。
 第一審有罪人員では,戦前は,30人から60人台であり,極めて少数で推移している。戦後は,昭和30年代後半から増え始め,40年代に400人を超えるが,50年代半ばからは起伏を見せながら減少傾向を示し,62年は296人となっている。
(5) 放火等
 IV-10図付表2表及び付表3表は,放火・失火の認知件数及び第一審有罪人員の推移を見たものである。

IV-10図 放火・失火の認知件数及び第一審有罪人員の推移

ア 放  火
 認知件数では,昭和初年ころから10年ころまで2,000件を超える数値が認められるが,その後は戦前,戦後を通じて余り際立った変化は認められず,おおむね1,000件台で推移し,50年代に入って2,000件前後となり,その後若干減少して63年は1,629件となっている。
 第一審有罪人員では,昭和6年から10年にかけて800人ないし900人台の高い波が認められるが,その後はおおむね200人から400人台で推移しており,大きな変化は認められない。
イ 失  火
 認知件数では,戦前はおおむね1万件を超える数値であり,戦後はおおむね7,000件ないし9,000件で推移してきたが,昭和41年前半には6,000件台となり,その後は更に減少傾向を続け,63年は1,036件となっている。また,第一審有罪人員では,戦前はおおむね1,500人から2,000人台であり,戦後は40年代終わりまでおおむね2,000人ないし3,000人台で推移してきたが,その後は急激に減少し,62年は326人となっている。
(6) その他の罪名
 IV-11図付表2表及び付表3表は,賭博・富くじ,賄賂及び誘拐の認知件数及び第一審有罪人員の推移を見たものであるが,いずれも戦前と戦後ではその様相が異なっている。

IV-11図 賭博・富くじ,賄賂及び略取・誘拐の認知件数及び第一審有罪人員の推移

ア 賭博・富くじ
 認知件数では,戦前は,昭和9年の5万3,594件,14年の6万3,396件,18年の6万3,817件等を頂点とする高い波が認められるが,戦後は,20年代前半までは2万件台を記録したものの,その後は減少して30年代には1,000件台となり,40年代には増加して4,000件から5,000件の小さな波を記録した後,減少傾向を続け,63年は1,970件を数えるにすぎなくなっている。
 第一審有罪人員では,戦前は,昭和元年から18年まで4万人から8万人台と高い数値を記録しているが,戦後は20年代前半こそ戦前の延長と見られる高い数値を認めることができるものの,その後は,激減し,30年代後半から40年代にかけて41年の1万3,288人を頂点とする波が認められるが,その後更に減少傾向を続けて62年は4,599人となっている。
イ 賄  賂
 認知件数では,戦前は,昭和8年以降急増し11年の4,471件を頂点とする波を形成し,その後やや減少するが,15年から再び増加し18年の6,166件を頂点とする高い波が形成されている。戦後は,20年代初めから高い数値を記録し,24年の8,941件を頂点とする高い波が形成されるが,その後は30年代後半から40年代前半にかけて2,000件前後の波が認められる程度で,大きな変化は認められず,50年代に大幅に減少して63年は311件となっている。
 第一審有罪人員では,戦前は,昭和10年の1,492人を頂点とする9年から11年にかけての高い波が注目される。戦後は,24年の2,286人を最高とする20年代の高い波が認められるが,その後は40年の1,228人及び43年の1,144人が目立つ程度で大きな変化は認められず,その後減少傾向を続けて62年は329人となっている。
ウ 誘  拐
 認知件数では,戦前は,昭和11年まで1,000件を超える高い数値を記録し,その後20年まで急激に減少している。戦後は,26年の531件を頂点とする20年代半ばの波が認められるが,その後大きな変化は認められず,おおむね150件から300件の間を上下し,50年半ばには150件を割り,63年は112件となっている。
 第一審有罪人員では,戦前は,おおむね100人から200人台で推移しているが,戦後は,激減し,昭和20年代後半から30年代初めにかけてと30年代後半から40年代前半にかけて,それぞれ100人前後を記録する程度で,50年代前半から30人ないし40人台となり,62年は42人となっている。