七 少年犯罪の一般的背景 少年犯罪が戦後著しへ増加し,今日までその増加傾向におとろえをみせないことは前述のとおりであるが,その原因については,実証的に明らかにされたものはないといっても過言ではない。昭和三五年度版の犯罪白書において(同書二九九頁以下),われわれは少年犯罪の特徴的性格として五つの点をあげた。すなわち,即行的性格,享楽的性格,集団的性格,攻撃的性格および犯行の過剰性である。そしてこれらの特性をもつ少年犯罪をうみ出すのに強く作用したと認められる七つの因子をあげ,それぞれについて一応の見解を示しておいた。七つの因子とは,余暇時間の増大,家庭生活の変化,人間的結合の稀薄化,消費生活の豊富化,少年の身体的成熟,戦時戦後の混乱期の影響,およびマスコミの影響である。 右にあげた因子のほかにも少年犯罪の原因として説かれているものが少なくなく,正に百家争鳴の感があるが,現代の刑事学は,まだ少年犯罪の原因を的確につかみだすまでに至っていないので,いずれも経験か直感による推測の域を出ていないといえよう。犯罪の原因を科学的に究明することは,病気の原因を探究する以上に困難な仕事である。病気の究明は,主として人間の体を対象とすればよいが,犯罪の原因には,人間の素質的な要素と社会の環境的な要素とがあり,それらは犯罪者ごとに千差万別,千変万化といえるほどのちがいがあり,しかも,これが複雑に組み合わされ,かつ,重なり合っているからである。 少年犯罪の増加について,われわれがきわめて興味をひかれる点は,それが世界的な傾向をもっているということである。もちろん例外としてスイスやカナダのようにむしろ減少をみせている国がないわけではないが,その数はきわめて少なく,多くの国は,戦勝国であると敗戦国であるとを問わず,また,今次の世界大戦に参加した国であると否とを問わず,ひとしく少年犯罪の増加をきたしているということである。なかには,たとえば,日本やアメリカのように著しい増加率を示している国もあれば,フランスのようにゆるやかな増加にすぎない国もあるが,増加傾向を示していることには変わりがない。しかも,戦後十数年を経た今日,戦争による破壊は完全に復旧し,経済的安定は回復し,国によっては戦前以上の繁栄を誇っている国々でも,少年犯罪の増加に悩み,その対策に苦慮しているのである。 第一次世界大戦の直後,敗戦国であるドイツ,オーストリー等において,少年犯罪が著しく増加したことは,われわれのまだ記憶に新たなところであり,リープマンの「ドイツにおける戦争と犯罪」(一九三〇年),エクスナーの「オーストリーにおける戦争と犯罪」(一九二九年)は,戦争と犯罪とくに少年犯罪がいかに密接な関連をもっているかをわれわれに教えたが,しかし,これらの国では経済事情の回復,社会生活の安定とともに,犯罪は漸次減少し,少年犯罪も第一次大戦前の状態に立ちもどったのである。しかるに,第二次世界大戦の場合はやや趣きを異にして,戦勝国にも少年犯罪の増加がみられたのみならず,経済的回復に伴って社会生活が落着きを取りもどした後も,少年犯罪は減少するきざしをみせていない。そこで,最近の少年犯罪の増加は,戦争とは直接関係のない,世界的に共通の要素があって,これが原因となっているのではないかという意見もあらわれている。 少年の趣好というか趣味について世界的に共通なものがあることは疑いない。マンボ・ズボンが流行すると,どの国の少年もこれを愛好する。ジャズや軽音楽は,青少年の間に異常なほど流行しているが,ソ連圏の国々でも青少年の間に流行のきざしがあるといわれている。また,ツウィストが流行し始めると,またたく間に,世界中の少年がこれに熱狂する。ことは服装や音楽といった風俗娯楽の面に限られない。学生の政治運動についてもそうである。最近いろいろな国で政治的革命が起こり,また,起ころうとしているが,これらの多くは,大学生がその推進役をつとめている。たとえば,韓国,ハンガリー,ポーランド等において,学生の演じた役割は,決して過少評価することはできない。 このような世界的傾向は,もちろん航空機の発達,電信電話の普及,ラジオ,テレビによる外国事情の紹介等によって,世界が狭くなったことから生じたものかも知れない。すべての国々は,今や隣国となったともいえるであろうし,また,ヨーロッパ共同体に属する国々では,一つの県になろうとしている位であるから,犯罪とくに少年犯罪についても,世界的に共通な要素が認められるのも当然かもしれない。 こう考えてみると,少年犯罪の増加の原因について世界的な観点からこれをながめる必要があろう。少なくとも少年犯罪の増加には世界的な背景といったものがあるという前提に立って,その原因を探究することは無意義ではない,このような考え方から,西ドイツのハンブルグ大学のジーフェルト教授が西ドイツの少年犯罪の増加の原因としてあげている諸要素は,われわれの少年犯罪を考えるうえで参考となるであろう。 ジーフェルト教授は,次の八点をその因子だと主張する。 第一は,戦後における少年の著しい身体的成熟に伴った精神的成熟が認められないと,いいかえると,生物学的成熟が精神面の成熟を伴っていないために,少年の反社会的行動や態度が惹起されている。 第二は,学校生活から新しい職業生活しに移行する際に問題があると,すなわち,義務教育を終了して,新たな職場に入る年齢層の少年に著しく刑法犯が増加しているが,これは,新しい職場という全く環境のちがった世界へ入るための心の準備が十分にできていないために,その心的困難が社会的適応障害という形をとってあらわれる。 第三は,少年に対して教育能力ないし訓育能力のない,または教育的責任をかく両親が増加していることである。多くのドイツの家庭では戦後家庭構造の変化を受け,両親の権威は失墜したとともに,父親はその職業に追われて子供に対する教育的機能を十分に果たすことができず,また,母親も共稼ぎに出ている家庭も少なくなく,このため昼間は放置され,または他人の手にゆだねられている少年が著しく増加してきている。 第四は,もっぱら家庭にあって子供の教育に尽くしている母親と職業をもっている母親とでは,子供の学校の成績に相違があるばかりでなく,母親の面倒をみてもらえない子供には,たとえば,接触障害のような奇異な傾向が認められる。 第五は,東独からの逃亡者の数は大きく,この大きな人口移動かどの程度に少年犯罪に影響をもたらしたかは学問的には実証されていないが,逃亡者が経験した経済的,社会的苦労は,その少年達に対して社会的解体の危険をもたらしたと推測される。しかし,逃亡者の子供と土着の子供とを調査したところによると,必ずしも逃亡者の子供の犯罪率が高いという結論が出なかった。すなわち,これらの子供は健全な家族と共にいる限り,外部的な苦労,困難にもかかわらず,とくに高い犯罪率を示していない。したがって,子供に対して愛情のある健全な家庭は,少年の不良化,非行化をある程度防止することができる。 第六は,戦争の末期および戦争直後には,生活の根拠を失い,または家族から離れた少年達の多くが浮浪者となり,または犯罪者となったが,これ以外の少年でも,その幼年期には空中戦の体験を受けた者が少なくなく,これが精神的影響を与えて,その思春期に社会的適応障害の形となってあらわれることがある。 第七は,経済的困窮のために犯罪を犯すという傾向は,経済的回復とともに姿をひそめたが,消費生活が豊になったことから,少年の欲求はこの豊かになった消費物資の入手にむけられているため,少年の財産犯の多くは,このような動機によって犯される。 第八は,映画,テレビと少年犯罪との関係であるが,不良映画やテレビが少年犯罪の原因となったという証明はなされていないし,また,その証明は困難であろうが,ただ,今日の不良映画やテレビが少年の欲求を不健全にたかめ,そのため少年の非行のなんらかの誘因となっているという疑いは多分にいれられる。 ジーフェルト教授の指摘した点は,いずれもわが国でも少年犯罪の原因または背景として従来主張されてきたところであって,とりたてて新しい見解ということにできないが,わが国と西ドイツとに共通した要素が考えられているという点に,興味がある。このように,西独とわが国とでは共通の要素が認められるのであるが,これは西独に限らず,他の国々にもあてはまることといえるのではなかろうか。 少年犯罪の原因または背景として考えられる諸要素のうち,とくに重要とおもわれるのは,家庭におけるしつけと環境である。もちろんこのほかにも少年犯罪を助長し,またに誘発する社会的な要素があり,これを軽視することはできないが,少年がその幼少時に最も影響を受けるのは家庭内の環境であることは否定できない。この意味では親の責任は重大であるが,とくに子供に対する訓育が子供の将来に大きな影響を与えているという点で,親の責任は大きい。戦後,親は子供に対して権威をもってのぞまなくなったと一般にいわれているが,これは,戦争を境として道徳の基準やものの考え方が大きく動揺し,価値観も変わったために,親は自信をもち,また,権威をもって子供に対することができなくなったことによるのであろう。このために,子供に対する訓育ないししつけは一般におろそかにされている傾向にあるといえる。この点は,学校教育がもっぱら知識を教え込む場と化していることとも共通しているのであって,学校教育のあり方についても前述のように再検討を要するものがあるといえるが,その点はしばらく措くとして,非行に陥るおそれのないような健全な青少年に育て上げるという意味で,家庭内の幼少時のしつけは重要である。 青少年が非行に陥った場合に,それが環境に支配され,また周囲の事情によって誘発されたと認められる場合が多いが,また,その反面同じような環境の下にあっても非行に陥らない少年も少なくないのである。この差異はどのような原因から生ずるかはむずかしい問題であるが,その一つとして,非行を誘発し,または助長するような環境にありながら,その誘惑を阻止する力,すなわち抑制力が働いたために非行に陥らなかったと認められる場合が少なくない。この抑制力は犯罪阻止のために大きな力となるが,この抑制力は,家庭内における訓育や学校内における教育によって培われ,とくに幼少時からこれを養なう必要がある。この意味で,家庭内の訓育またはしつけは重大なことであるが,これを十分に行ない得ない事情にあるという点に,非行少年対策のむずかしさがあるといえよう。 しかし,いつまでも無為に手をこまねいているべきときではない。家庭も学校も,また,社会全体も非行少年を増加させていると認められる原因を究明し,そのひとつびとつを強力に除いてゆく意欲を示すべきである。百の議論より一の実行,これこそ非行少年対策に与えられた言葉というべきである。
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