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 昭和54年版 犯罪白書 第1編/第1章/第1節/3 

3 主要犯罪の国際比較

I-15表 主要犯罪の国際比較(1977年)

 我が国の主要犯罪の発生件数及び検挙人員を,西ドイツ,フランス,イギリス及びアメリカの欧米主要4箇国と比較して見ることとする。I-15表は,1977年(昭和52年)における殺人,強盗,傷害,窃盗及び強姦について,各国の公的統計書によって対比したものである。
 これらの犯罪は,法制や統計方法の相違によって受ける影響が比較的少なくて比較に適する罪種と考え,選択したものである。なお,アメリカのいわゆる指標犯罪は,窃盗を不法侵入(burglary),窃盗及び自動車盗に分類し,西ドイツとフランスもほぼ同様の区別をし,イギリス(ただし,イングランドとウェールズのみ。)は更に細かく区別しているが,ここではすべて窃盗として包括した。傷害については,アメリカでは加重暴行傷害(aggrava-ted assault),すなわち「武器の使用によって,又は死亡若しくは重い傷害を伴うような同種の手段によって,重い傷害を加える目的でなされる他人に対する違法な攻撃」(アメリカ連邦捜査局F.B.I.の統一犯罪報告書の定義)のみに関するデータであるが,他の国では重傷害,軽傷害などを全部合計して表示した(I-15表の注6参照)
 I-15表によると,発生率(人口10万人当たりの犯罪発生件数)において,我が国は欧米4箇国に比べて極めて低いことが明らかである。これを罪種別に見ると,我が国は,殺人では,アメリカの約5分の1,西ドイツの約2分の1,強盗では,アメリカの約100分の1,フランスの約28分の1,傷害では,アメリカ及び西ドイツの約8分の1,窃盗では,アメリカの約5分の1,イギリス及び西ドイーツの約4分の1,強姦では,アメリカの約11分の1,西ドイツ及びイギリスの約4分の1などとなっている。検挙率においては,我が国は,前記の全犯罪においてすべて最高である。
 I-16表は,1977年(昭和52年)における欧米主要4箇国と我が国の銃器使用犯罪を殺人,強盗及び傷害について見たものである。発生件数のうち銃器が使用された件数の比率は,我が国の場合,殺人においてアメリカの約12分の1,フランスの約10分の1,強盗においてアメリカの約38分の1,西ドイツの約10分の1,傷害においてアメリカの約230分の1,西ドイツの約42分の1である。

I-16表 銃器使用犯罪の国際比較(1977年)

 I-17表は,我が国における銃器使用犯罪を殺人,強盗及び傷害について,昭和49年から53年までの5年間にわたって見たものである。銃器使用件数の全発生件数に対する比率は,この5年間,殺人において3.7%ないし5.4%,強盗において0.4%ないし1.2%,傷害において0.1%である。

I-17表 殺人等における銃器使用事件(昭和49年〜53年)

 我が国が先進工業国の中で最も犯罪水準の低い国であるという世界的な評価は,以上掲げたような統計的数字によっても十分裏付けられているように思われる。
 欧米諸国の犯罪状況がこのように悪化した原因について,欧米諸国においては,
 [1] 高度に発達した資本主義社会の大量生産方式がもたらした人間疎外。その結果としての伝統的倫理への無関心ないし反発,あるいはそこからの逃避
 [2] 豊かな社会にあふれる消費物資によって刺激される欲望の増大と,それが充足されない場合の強い欲求不満
 [3] 価値観の多様化,コミュニティの解体,権威尊重の希薄化などによる非公式な社会統制の崩壊
などのような社会的諸事情を踏まえて,上昇する繁栄は上昇する犯罪を生み,また,貧困が犯罪を生むのではなく,豊かな社会における相対的な貧困又は不平等の意識が犯罪を生むとするなど,多くの分析がなされている。
 しかし,このような分析は,我が国には完全には適合しないと思われる。I-1図に示した業過を除く刑法犯の発生件数の推移によって見ると,次のことが指摘できる。
 すなわち,昭和30年を起点とすると,業過を除く刑法犯の発生件数は,起伏を示しつつも大勢は減少傾向を示し,48年には最低に達した。経済的,社会的に見ると,30年は我が国が戦後の混乱期を脱して戦前の所得水準まで回復した年であり,以後我が国は重化学工業化を通じて高度成長を達成し,所得水準の上昇,分配の平等,自由時間の増大,人口の都市集中,都市的な生活様式の定着など,大量生産・大量消費の都市型社会に発展した。国民総生産,実質成長率及び実質国民所得は,いずれも年々上昇した。ところが,この間,犯罪は逆に減少傾向を示している。例外的に窃盗などが増加した時期がないわけではないが,殺人,強盗,傷害,強姦などの重大な刑法犯はすべて減少している。つまり,30年から48年に至る18年間に欧米型の高度工業化社会を実現する過程において,我が国の犯罪は,欧米とは逆に減少の傾向を示した。その理由としては,次のような我が国の社会的,文化的特質に由来しているといわれている。
 [1] 自然の国境をもつ島国として,民族・言語・文化の完全な統一性をもつ社会的・文化的同質性
 [2] 家族・コミュニティ・企業などの強い連帯性と団結性。それから生ずる集団性と組織性
 [3] 古い文化的伝統から生まれた固有の倫理。すなわち,恥と名誉を重んじ,克己・錬成の中に道を求めようとする精神。自己と他者,敵と味方という対立相克よりも,「思いやり」や調和・情感を重視する価値観
 [4] このような倫理と集団性の強固な基盤から生ずる非公式な社会統制の強い力
 [5] 固定した社会階層が存在せず,地位・職業・収入などが個人の努力により上昇の機会を平等に保障されている高度の流動性をもつ社会。上昇指向と克己の倫理から生ずる勤勉性
 [6] 公式な社会統制としての刑事司法の統一性と効率性。特に,警察の高い捜査能力。検察の起訴独占・便宜主義の適正・柔軟な運用。裁判における実体真実主義と当事者主義の統合。矯正における規律と教育の調和。更生保護における大幅な公衆参加
 [7] 歴史的伝統に胚胎する殺傷用銃器に対する国民的な拒否意識と,それに基づく銃器規制の有効性
 ところで,昭和49年以降の犯罪の動向を見ると,すでに述べたように,業過を除く刑法犯は49年から連続5年間(全刑法犯では50年から連続4年間)増加を続けており,増加継続期間も長く,48年以前とは様相を異にするものがあるように見受けられる。特に,53年には,前記のように銃器使用の金融機関強盗が多発し(その傾向は54年にも継続している。),また,窃盗,横領のほか,略取・誘拐,詐欺,偽造などの増加も顕著に見られた。更に,薬物犯罪の激増,暴力団犯罪の悪質化,贈収賄の増加などの事情をあわせ考えると,我が国の最近における犯罪現象は,必ずしも楽観を許さないものがあるように思われる。もとより,我が国独自の伝統的な社会的,文化的特質から見て,このような犯罪傾向が欧米のように深刻な状態に至ることはあり得ないとも考えられるが,現今のように国際交流の激しい時代にあっては,伝統的文化も変質を免れないのであり,そして,53年に増加した前記の各種犯罪の基底に見られる社会的風潮,例えば,窃盗,贈収賄の増加に見られる倫理感の低下,薬物犯罪の激増に見られる享楽指向,暴力団犯罪の利潤指向や詐欺,偽造の増大に見られる利欲的傾向,更には,一般的に看取される最近の物質的・金銭的価値偏重の風潮などをあわせ考えると,我が国の犯罪傾向が欧米型に変質しつつあるとする指摘を無下にしりぞけることもできないように考えられるのである。少なくとも,今後の動向については,警戒を怠ることができないであろう。