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 昭和36年版 犯罪白書 第二編/第一章/一/2 

2 統計からみた起訴猶予率

 昭和三五年度の犯罪白書において(一四八頁),われわれは,昭和七年から昭和一一年までの五年間と昭和二九年から昭和三三年までの五年間とにつき,検察官が起訴不起訴の終局的処理をした総数と起訴猶予人員との比率を道路交通取締法令違反事件(以下道交違反という)を除くその他の事件についてみたが,いまこれに昭和三四年のそれを加えて再掲すると,II-1表のとおりとなる。

II-1表 検察庁処理事件中の起訴・起訴猶予等の百分率(昭和7〜11年,29〜34年)

 これによると,昭和七年ないし一一年における起訴猶予率はほぼ五五%前後ということができるが(もっとも,当時は少年に対する起訴猶予が行なわれていたので,厳密にいうと戦後と比較することはできない),戦後においては,昭和二九年の五二・九%より年とともに逓減傾向を示し,昭和三四年には最低である三七・四%となっているのである。戦前に比して起訴猶予率は低下しており,しかも,それは六年間に一五・五%もの減少をみているのである。
 この統計は道交違反を除く全事件であるが,次に,道交違反を含めた全事件と刑法犯だけとについて起訴猶予率の推移をみると,II-2表のとおりである。道交違反を含めた全事件では,起訴猶予率は,昭和三〇年の三七・三%から昭和三四年の二〇・一%と五年間に一七・二%の減少を示し,また,刑法犯では,昭和三〇年の四四・八%から昭和三四年の三四・六%と約一〇%の減少をみせているのである。

II-2表 検察庁終局処分総人員中の起訴・不起訴(起訴猶予・その他)人員の百分率(昭和30〜34年)

 これらによって,道交違反を含む全事件の場合が最も起訴猶予率が低く,刑法犯に限る場合が最も高いこと,起訴猶予率が年とともに下降カーブを示しているのに対比して,起訴率は逆に上昇カーブを示していることがわかる。道交違反を含む全事件の起訴猶予率が低いのは,道交違反はその全事件において占める比率が圧倒的に多く,かつ,その起訴猶予率がきわめて低いから,その結果があらわれたものといえよう。
 すなわち,II-3表に示すように,道交違反の起訴猶予率は,昭和三四年は一二・四%にすぎず,しかも,昭和三〇年の三一・九%から年とともにいちじるしい減少を示し,五年間に二〇%近い減少を示しているのである。これは最近における自動車,三輪車等の急激な増加とこれに伴う道路交通取締法令違反の激増に対処して採られた厳しい措置のあらわれということができるであろう。

II-3表 道路交通取締法令違反の起訴猶予率等(昭和30〜34年)

 このような道交違反を除外し,かつ,刑法犯だけを考えてみても,この五年間に約一〇%の減少をみせていることは,注目すべき傾向といわなければなるまい。
 起訴猶予率とは,起訴,不起訴の総数で起訴猶予の数を除したものであるが,起訴猶予の実数は,どのような推移を示しているであろうか。これを示すものがII-4表である。同表によると,道交違反を含む全事件では,昭和三〇年の八八六,八四九人から昭和三四年の四八三,六九六人へとほぼ半減しているのである。もっとも,この数のなかには道交違反の占める比率が多いので,これを除外してみると,昭和三〇年の四一万台から昭和三四年の二七万台へと約三三%の減少をみせており,さらにこれを刑法犯だけに限ってみると,昭和三〇年の二三万台から昭和三四年の一七万台へと約二五%の減少をみせている。しかも,この減少傾向は,年とともにほぼ下降カーブをえがいているのである。なお,この表の〔II〕と〔III〕において,不起訴の総数が昭和三四年において昭和三三年よりやや増加をみせているのは,東京地方検察庁が昭和三四年末に従来中止処分に付した一八,〇一四人を再起のうえ,時効完成で不起訴処分に付したという特異な現象があったことの影響であって,この数を除外すると,刑法犯については,不起訴の総数も昭和三〇年以降逓減の傾向を示すものといえるのである。

II-4表 不起訴・起訴猶予処分人員と比率等(昭和30〜34年)

 もっとも,起訴猶予がその実数において,また,終局処理の総数における比率において,最近五年間減少の一途をたどっているといっても,刑法犯についてみれば,その実数において一七万五千人台,その比率において三四・六%もの多数が起訴猶予処分となっていることは,注目されなければならない。もし,これらの事件が公判請求されるとすれば,現在のわが国の裁判組織と訴訟手続のもとでは到底さばき切れるものとは考えられないし,また,これに伴う国費の支出は膨大なものとなろう。それにもまして重要なことは,刑罰に値しない者が起訴されることによって無益な刑罰を受けることになり,その一生を誤るといった事態が起こる場合も考えられるということである。しかし,起訴猶予に処せられた者の再犯率が高いとすれば,その運用について反省しなければならないから,その適正な運用は,刑事政策的立場から特に望ましいものとしなければならない。
 しかるに,起訴猶予の実数のみならず,その比率も漸減傾向を示しており,刑法犯についてみれば,最近の五年間にその実数において約二五%もの減少を示しているのであるが,これは,どのような原因に基づくものであろうか。
 この原因としては,いろいろ考えることができると思うが,さしあたって,次の二点を指摘することができると思う。その一として,わが国の経済事情は昭和二九年ごろを境として顕著な立ち直りをみせ,同年以降はもはや戦後ではないといわれたように,戦争の影響を一応断ち切ることができた時期といえるのである。このような経済事情の好転,これに伴い社会生活に落着きが取り戻されたことは,起訴不起訴を決するうえにおいても,当然考慮されたものといわなければならない。敗戦から昭和二八年ごろまでは,起訴不起訴を決するにあたって,戦争の影響ないしは敗戦後の社会的混乱という事情が強く考慮され,本来ならば起訴すべき案件であっても,これらの事情から起訴猶予とされる場合が少なくなかったと思われるが,昭和二九年ごろを境として,このような特種事情が考慮される余地が徐々に少なくなったのではなかろうか。特に,社会生活が落着きを取り戻したのにかかわらず,犯罪事情は必ずしも好転せず,悪質犯,凶悪犯は依然として増加の傾向を示したために,検察官が起訴不起訴を決するにあたって次第に厳格な態度で臨むようになり,これが起訴率の上昇と起訴猶予率の減少を招いたものと思われるのである。起訴猶予の基準を高めて厳しい態度で犯罪に臨むことが,もとより犯罪を防遏する唯一の手段ではない。犯罪者に対する適正な科刑が行なわれ,犯罪者を収容する矯正施設がその改善と更正のために万全の機能を果たし,出獄者に対する補導と援護が十分に行なわれ,かつ,社会全体が犯罪をひき起こさないような環境を醸成することが必要なことは,いうをまたないところであるが,検察が厳しい態度で臨むということも,犯罪防遏の一手段としてある程度のはたらきをもつことも,否定し得ないところである。この意味で,起訴率の高まってことは,理解されうるところといえよう。
 その二として考えられることは,犯罪者のうち前科のある者の占める比率が次第に増加し,初犯者の占める比率が漸次減少しつつあることである。もとより前科があるとしても,必ずしも起訴猶予に付することができないわけではなく,後述するように,前科のある者に対しても,相当活発に起訴猶予処分が活用されているが,一般的にいえば,前科のあること,特にそれが同罪質の前科であったり,また,近接した時期における前科であったりするような場合には,起訴猶予が相当でないと判断される場合が少なくないのである。
 昭和三二年から昭和三四年までの三年間につき,刑法犯について起訴および起訴猶予に付された者の総数を,初犯者と前科者とに分けて,その比率を示すと,II-5表のとおりである。これによると,前科者は,その実数において昭和三二年の一二二,四六五人から昭和三四年の一四九,一五七人と約二万七千人の増加をみせているばかりでなく,その総数において占める比率も,昭和三二年の二八%から昭和三四年の三四・七%へと増加しているのである。これに関する昭和三一年以前の統計を検察統計年報によって明らかにすることはできないが,刑法犯で起訴猶予に付せられた者につき初犯者と前科者別を明らかにすることができるので,その比率を昭和二六年以降の分につき示すと,II-6表のとおりである。

II-5表 起訴および起訴猶予に付された者の初犯者・前科者別比率(刑法犯)(昭和32〜34年)

II-6表 起訴猶予に付された者の初犯者・前科者別比率(刑法犯)(昭和26〜34年)

 これによると,前科者の起訴猶予の総数において占める比率は,昭和二六年の一〇%から昭和三四年の二三・四%まで約二倍以上の増加をみせているのであって,これに反して初犯者は,昭和二六年の九〇%から昭和三四年の七六・六%まで減少しているのである。このことは,犯罪者のうちで前科者の占める比率が次第に増大していることを物語るものといえよう。そして,前科者に対する起訴猶予の基準をある程度高めていっても,なお,賄い切れないものが次第に増加していることを示すものではあるまいか。昭和三五年度の犯罪白書において(二二六頁参照),われわれは終戦以降の刑務所に新入した受刑者の初犯者,累犯者別の比率をみた。そしてそこで最近七年間のいちじるしい特徴として累犯者の占める比率の増加していることを指摘したが,この事実も前科者が犯罪を犯す傾向の高いことを示す一つの資料とすることができよう。