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まず,経済的環境が犯罪現象に対して大きな影響を与えることは,古くから学者によって指摘されている。一九世紀の後半には,西欧諸国において穀物の価格の変動が窃盗の増減と密接な関係があることが明らかにされた。すなわち,経済的に恵まれない階層の者の生活は,穀物の価格の上昇によって困難となり,その結果窃盗が増加するとされたのである。しかし,その後経済関係が複雑となるとともに,穀物の価格との関連は薄くなり,このような単純なものだけをみたのでは不十分とされるようになった。そして労働者の賃金と関連させる必要が感ぜられ,労働者の生活の難易を示す統計として,その実質賃金指数またはこれに代わるものが使用されるようになった。その他,景気の変動,インフレーション,失業者の数の増減等と犯罪現象との関係が研究され,その間に密接な関係があるとされるに至った。経済的に余裕ができると,通常,財産犯罪は減少するが,他面,一部に過度の飲酒や不健全な娯楽にふける傾向を生じて,暴行,傷害,賭博のような犯罪が増加するといわれている。
わが国の最近の経済状態について概観すると,敗戦後の日本経済の混乱は,昭和二四年には一応安定し,経済状態は,昭和二五年から昭和二九年までの間に急速に回復して戦前の水準に近くなった。昭和三〇年には,わが国の経済は好景気に恵まれて発展し,日本人全体の経済生活は,大体において戦前程度に戻った。昭和三一年にも好景気が続き,昭和三二年下半期から昭和三三年上半期までは不況が続いたが,その不況はさほど深刻なものではなく,その社会的影響は軽微であった。昭和三三年の年末には景気は回復し,昭和三四年に入ると,景気は上昇して好況に転じ,昭和三五年も好況状態が続いた。最近における好況は,I-35表に明白に示ざれている。すなわち,生産指数,雇用指数,実質賃金指数等は,いずれも毎年順調に上昇し,消費水準および実質国民所得は,戦前の昭和九-一一年を基準としてもこれを上回る指数が示されている。失業者,被保護者等のなかには,この経済の発展の恩恵に浴していない者もあり,このような点が他の環境とあいまって犯罪現象に不良な影響を与えていると考えられる。 I-35表 産業総合生産指数・常用労務者雇用指数等(昭和30〜34年) しかし,一般的には国民の生活状態は戦前より良くなっているので,経済状態の不良な面の犯罪現象に与える影響は,戦前と比較すれば大きくないということができよう。そして,最近における傷害および暴行のような犯罪の動きについては,経済状態の良好なことが他の不良な環境と競合して,これを増加させる面に影響を与えているのではないかと考えられる。次に,文化的環境の面において,新聞,雑誌,ラジオ,テレビ,映画などについてみると,戦後のこれらの発展には目ざましいものがあり,一般文化の向上に果たした役割は大きい。しかし,それらの一部には営利的,商業主義的な方法で運用され,いわゆる不良文化財とよばれるものが発生した。これらの不良文化財が犯罪の増加にどれだけ影響を与えたかを調査することはきわめてむずかしいが,少なくとも戦前と比較すれば,犯罪醸成の原因となっている不良文化財が増加していることは否定できないであろう。 次に,一般の社会的環境の面においては,人口の都市集中傾向について留意する必要がある。都市はつねに農山村と比較して犯罪の発生率が高いといわれているから,都市に人口が集中すれば,それだけ犯罪が増加する傾向を生ずることになる。大都市とその他の地域との犯罪率を比較するために,昭和三〇年と昭和三五年における六大都市とその他の地域について刑法犯発生件数と犯罪発生率とを対比してみると,I-36表に示すとおり,六大都市の刑法犯発生率は,昭和三〇年においても二七・二であって,その他の地域の一四・五に対して二倍近い。昭和三五年には六大都市は二四・二と低下しているが,それでもその他の地域の一四・〇に対して一・七倍である。 I-36表 六大都市・その他の地域別の刑法犯発生件数と率(昭和30,35年) そして,最近のわが国の人口の動きについては,人口が大都市に集中する傾向が顕著である。昭和三五年一〇月一日に行なれれた国勢調査による全国人口概数によると,大中都市の人口増加率はきわめて高い。大中都市に生活貧困者が集中し,これらが集団的に居住するスラム街が発生すると,犯罪現象との関係において,弊害が生ずることになる。また,わが国には暴力団が多数存在し,暴力団関係の犯罪の少なくないことをさきに述べたが,これらは主として都市に集中しているのである。暴力団は戦後の混乱期に多く発生したのであって,その当時としては,あるいはやむを得ないことであったかも知れないが,しかし,社会秩序が回復した現在においても,依然として暴力団が勢力を有することは,文明国として恥辱というほかはなく,世界の文明国にはみられない現象といえよう。 |