前の項目   次の項目        目次   図表目次   年版選択
 昭和51年版 犯罪白書 第1編/第3章/第1節/1 

第1節 窃盗

1 戦前・戦後の推移

 昭和元年(大正15年)から50年までの半世紀における窃盗発生件数の推移を示すと,I-15図及びI-66表のとおりである。まず,戦前における発生状況を見ると,昭和元年のそれは36万4,441件であったが,その後逐年増加して,9年には72万4,986件に達し,同年が戦前におけるピークをなしている。戦後は,20年から23年までの間に,56万1,537件から124万6,445件へと急激に増加し,23年には,戦前・戦後を通じて最も多い発生件数を記録した。しかし,24年からは減少に転じ,25年には98万2,341件にまで減少し,その後は緩やかな起伏のある動きを見せながら,大きな変化はないまま50年に至っている。

I-15図 窃盗発生件数の推移(昭和元年〜50年)

I-66表 窃盗発生件数の推移(昭和元年〜10年,15年,20年〜30年,35年,40年,45年,50年)

 次に,これらの犯罪動向を人口の動態と関連させて検討してみることとする。
 前述のように,昭和50年の我が国の総人口は,元年の約2倍近くに増加している。人口10万人当たりの窃盗発生件数で見ると,元年のそれは600であったのが,戦前のピークである9年には1,061に増加し,戦後のピークである23年では1,558という高い数値となっている。30年以降は発生件数自体は大きな変化がないが,この人口比で見ると,30年のそれが1,184であるのに対し,50年のそれは927に減少している。
 このように,戦前において,昭和9年まで窃盗が逐年増加を続けたことは,2年に発生した金融恐慌に始まり,いわゆる1930年代世界恐慌の波に巻き込まれた当時の構造的経済不況と密接な関連があると思われる。
 昭和6年,満州事変が起こり,軍需景気等によって経済状態は次第に回復に向かったが,他面,物価の騰貴が一般国民の経済生活を圧迫することとなり,また,そのころ続発した凶作のため,農村の窮状も著しく,全般的には,貧困者の生活が改善されたとは言えない。経済状態が回復に向かった後もなお窃盗の発生が増加していた背景としては,このような事情も考え併せる必要があろう。
 昭和20年に至る10年代の減少は,戦争の影響であるが,本編第2章で検討した生命・身体犯の動向と比較すると,その減少の程度は大きくはなく,また,戦争の末期には次第に増加している点が異なっている。このことは,生命・身体犯と財産犯との罪質の差を示すものであり,戦時中においても,窃盗の動向が国民生活の困窮度と深くかかわっていたことがわかる。
 終戦時,我が国の経済は,原料の供給の途絶と生産設備の空襲による滅失などによって壊滅状態にあった。国民生活は,物資の欠乏,食糧難,インフレーションの急進等によって窮乏の度を加え,浮浪者や失業者がちまたにあふれた。また,従来の道徳や価値観が覆され,法秩序の維持に当たるべき警察力が弱体化するなど,社会秩序の混乱も著しかった。昭和23年のピークに至る終戦直後の窃盗発生件数の急増は,このような経済的・社会的情勢を背景とするものである。
 その後,経済の復興に伴って減少し,昭和30年以降も,人口比においては減少を続けて50年に至っている。
 諸外国においても,第二次大戦後に著しい経済成長を遂げた国は多い。しかし,それらの国々は,同時に窃盗を含む犯罪の多発にも悩まされている。そのため,我が国が驚異的な高度経済成長を達成しながら,犯罪防止にも成功しているという事実が各国の注目するところとなっている。
 前述のような検討結果から,犯罪の大部分を占める窃盗の発生がその時の経済状態と密接に関連していることは明らかであるが,社会が進展するにつれて,その関連が複雑化していることにも注意しなければならない。昭和50年版犯罪白書においては,社会的条件と犯罪の発生について検討し,窃盗の発生に対しては,戦後復興期の経済成長の初期にあっては,経済的要因が直接的に関連していたが,次第により社会的,文化的要因に取って替わられつつあることを指摘した。
 このような観点から,我が国の窃盗の動向を見ると,次のようなことを指摘することができる。
[1] 戦前における昭和9年をピークとする窃盗発生件数の急増は,不況によって生じた貧困と関連があり,戦後における23年をピークとする急増は,インフレの進行によって生じた貧困や敗戦後の社会秩序の混乱と関連がある。
[2] 戦前と戦後とでは,窃盗発生件数において著しい格差がある。すなわち,昭和元年から20年までの間における年間平均は約58万件であるのに対し,31年から50年までの最近20年間における年間平均は約102万件である。このことは,経済状態をもってしては説明することができず,都市化,工業化といった社会構造の変化や,「豊かな社会」の陰にある窃盗の機会の増加,新しい欲望の刺激,規範意識の希薄化等の社会病理現象との関連を考慮しなければならない。
[3] 最近2,3年における窃盗発生件数の増加は,全般的には,昭和30年以降の起伏のある動きの一環としてとらえることができる。