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 昭和43年版 犯罪白書 第三編/第二章/二 

二 刑務所

 江戸幕府時代には,江戸に,主として奉行所で審理中の未決の者および有罪の言渡しを受けた者を刑の執行まで拘禁する施設として小伝馬町牢屋敷があったほか,病監および少年監である品川,浅草の両溜,無宿者,刑余者らの更生授産の施設である石川島人足寄場等があり,各藩には,それぞれ各藩の牢屋があり,また,水戸,大阪,函館,福岡,長崎等に人足寄場が設けられていた。
 明治元年五月,江戸の牢屋敷,溜,人足寄場は,江戸鎮台府に所属することになったが,同年七月,江戸が東京と改称され,東京府がおかれるとともに,寄場を除く江戸獄舎を東京府に所属させ,地方の獄舎は,それぞれの地方に任せることとなり,京都の六角獄舎,悲田院も,京都府に所属することとなった。なお,江戸小伝馬町の牢屋を管理していた囚獄石出帯刀の世襲が免ぜられた。
 石川島人足寄場は,同年八月,会計局所属となったが,さらに,同年一二月,東京府所属となり,徒場にあてることとなった。また,同年八月,大阪府は,元寄場の高原溜を徒場にあて,一二月,神戸市外に徒刑場が新設されたほか,翌二年三月ごろまでに,長崎,京都の両府を始め,各府県に徒刑場が設置された。
 明治二年一二月,刑部省に囚獄司がおかれ,翌三年一月から,東京府が所轄していた小伝馬町獄舎,品川,浅草の両溜,石川島人足寄場を刑部省に所属させ,同年二月,石川島人足寄場を徒場と改称した。さらに,明治四年七月,刑部省を廃止して司法省が設置され,同年八月には,司法省は,囚獄司を廃止して,囚獄の事務を地方長官に委任することとし,東京の囚獄,徒場は,再び,東京府所属となった。なお,明治六年二月,徒場を懲役場と改称した。
 明治三年一二月,東京鍛治橋内に,未決囚の一時拘禁所である監倉事務取扱所が新設され,明治五年八月に定められた「司法職務定制」において,各裁判所に監倉をおき,検事の所管とする旨規定されたが,同六年七月,監倉のない地方裁判所については,従来の獄舎の中を区画して仮監倉を定めることとされた。同八年一二月,司法省構内に新監倉が落成した。
 明治七年一一月,司法省および各裁判所所属の監倉を除き,全国の未決,既決の両監を内務省の統轄とした。同八年五月,東京市市ケ谷町谷町に市ケ谷囚獄が落成し,小伝馬町囚獄の禁囚を移し,小伝馬町旧監は,懲役人の病監とし,同年九月,市ケ谷囚獄に病監を増設し,浅草および小伝馬町の病監を廃止した。同年一二月,東京府所管の囚獄,懲役場の事務を警視庁に主管させることとし,翌九年二月,監倉を内務省の統轄とし,東京は,警視庁に,その他は,その所在地の府県にそれぞれ管理させることとした。
 同年三月,警視庁は,懲役場,囚獄役所,監倉事務所を,懲役署,囚獄署,監倉署と改称した。なお,同年二月,小伝馬町囚獄跡を仮懲治監として,無籍者や売淫苦使の者を収容することとしたが,同年四月,これを廃止し,在囚は,石川島懲役署に移した。明治一〇年,東京警視庁が廃止されて,その事務は,内務省に移管され,あわせて,内務省警視局において,全国の監獄事務を掌理することとなった。同年七月,警視本署は,囚獄署を廃し,懲役署を監獄署と改称し,さらに,同年一二月,監倉署を廃し,監獄署において既決囚および未決囚に関する一切の事務を管理させることとした。
 明治一二年四月,徒刑,流刑,終身懲役などの罪囚を収容するため,内務省直轄の集治監が東京府葛飾郡小菅村および宮城県宮城郡小泉村におかれた。同年七月,内務省に監獄局をおき,囚獄,懲役等の事務を管理させることとなった。また,同一四年三月,同省は集治監職制および府県職制を定め,集治監および監獄に,典獄,副典獄,書記,看守長,看守をおいた。さらに,内務省は,同年八月,開拓使管下(北海道)石狩国樺戸郡に既決監を設け,樺戸集治監としたほか,同一五年六月,石狩国空知郡市来知村に空知集治監,翌一六年三月,福岡県三池郡下里村に三池集治監,同一八年九月,釧路国川上郡熊牛村に釧路集治監を設置した。また,同一七年七月,兵庫県下兵庫に仮留監を設置して,内務省の直轄とし,東京,宮城,三池の三集治監に仮留監を付設し,北海道集治監に発遣する囚徒を一時拘禁せしめた。同二四年六月,北見国網走郡に釧路集治監網走分監を設置し,同年七月北海道集治監の組織を変更し,本監を樺戸に,分監を空知,釧路,網走に設置した。
 明治一五年一月一日から監獄則が施行されたが,これによると,監獄は,留置場,監倉,懲治場,拘留場,懲役場および集治監に分けられ,明治二二年の改正監獄則では,監獄の種類は,集治監,仮留監,地方監獄,拘置監,留置場および懲治場の六種とされた。さらに,明治四一年一〇月一日から施行されている現行の監獄法では,監獄は,懲役監,禁錮監,拘留場,拘置監の四種とされている。
 明治三三年一月,「府県監獄費及府県監獄建築修繕費ノ国庫支弁ニ関スル件」が公布され,監獄に関する費用が国庫支弁となり,同年四月,集治監,仮留監に関する事項は,内務省から司法省に移管され,さらに,同三六年三月,監獄官制を公布し,すべての監獄は司法省の直轄するところとなり,集治監および府県監獄署は単に監獄と改称され,小菅監獄等五七監獄の名称および位置が定められた。また,監獄職員は,典獄,看守長,技手,監獄医,教誨師,教師,薬剤師,看守,女監取締等となった。
 大正一一年一〇月,監獄官制の全面改正が行なわれ,監獄職員は,典獄,典獄補,看守長,通訳のほか,保健技師,同技手,教誨師,教師,作業技手,看守および女監取締となり,また,監獄の名称を刑務所と改めたが,監獄としては,小菅刑務所ほか五六刑務所,分監として,市谷刑務所八王子支所ほか五三支所,特設監獄として,小田原,川越,姫路,名古屋,岩国,福岡および盛岡の七少年刑務所が設けられた。
 少年刑務所は,昭和二年七月市谷刑務所八王子支所が八王子少年刑務所となったが,昭和二一年八月,水戸と奈良に新設され,同二三年一〇月には,八王子,川越,水戸,松本,姫路,奈良,岩国,佐賀,盛岡および函館の一〇少年刑務所と新光学院の一一か所となり,翌二四年,さらに愛知少年刑務所が設けられたが,同二六年,八王子少年刑務所は,八王子医療刑務所となり,同二八年,愛知少年刑務所および新光学院が廃止されて,現在九か所となっている。
 昭和二二年八月,刑務所及び拘置所令が制定され,監獄官制が廃止されて,東京,京都,大阪,神戸,名古屋の各拘置所および小菅刑務所ほか四三の刑務所の名称および位置が定められた。同二四年六月,法務庁設置法の一部改正が行なわれ,刑務所及び拘置所令が廃止されて代わりに刑務所,少年刑務所及び拘置所組織規程が制定され,監獄としては小菅刑務所ほか五〇刑務所,東京拘置所ほか四拘置所,分監として横浜刑務所横須賀刑務支所ほか一三刑務支所,豊多摩刑務所熊谷拘置支所ほか八四拘置支所となった。
 その後のこれらの施設数の推移をみると,昭和二五年末には,刑務所五五,刑務支所一六,拘置所五,拘置支所九二であり,昭和三五年末には,刑務所五七,刑務支所一七,拘置所七,拘置支所九三となったが,昭和四二年末には,刑務所五七,同刑務支所一六,拘置所七,拘置支所九八となっている。