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 昭和43年版 犯罪白書 第三編/第二章/一 

第二章 刑事関係制度の変遷

一 裁判所・検察庁

 明治元年一月,京都におかれた太政官に,監察,弾糺(罪状を問いただして弾劾すること),捕亡(罪人をとらえること),断獄(罪を裁くこと)および諸刑律のことをつかさどる刑法事務課がおかれ,同年二月,刑法事務局と改められた。同年閏四月,政体書が公布され,太政官の権力を分けて,立法,行政,司法の三権とし,司法権を所掌するものを刑法官とし,長官たる知官事のほか副知官事,判官事,権判官事等をおき,執法,守律,監察,糺弾,捕亡,断獄をつかさどることとし,その管轄下に,監察司,鞫獄司(罪を裁いて刑に処することをつかさどる。)および捕亡司をおいた。
 東京においては,明治元年四月,討幕軍が江戸城に入城した後,同年五月,江戸鎮台がおかれ,寺社領の民政,裁判等の事務を管轄していた寺社奉行所を社寺裁判所に,江戸の市政,町民の裁判等の事務を管轄していた南・北奉行所を南・北市政裁判所に,天領の民政・領民の裁判等の事務を管轄していた勘定奉行所を民政裁判所に改めた。七月,江戸を東京と改称する詔書が発布され,鎮台を廃して,鎮将府および東京府がおかれた。八月,市政裁判所を廃止し,民政裁判所は鎮将府会計局と改称されたが,一〇月,鎮将府が廃止され,東京に刑法官支庁をおき,同年一二月から,東京府下の犯罪人の審鞫(訊問取調)は,士人は刑法官,庶人は,東京府が管轄することとなった。
 明治二年三月初めの東京遷都を控え,同年二月下旬,太政官が東京に移り,刑法官も,東京を本官とし,京都を留守と称することとされた。同年五月,刑法官内におかれていた監察司を廃し,これに代えて弾正台をおき,執法,守律,内外非違の糺弾をつかさどることとなった。同年七月,中央官制の改革により,刑法官は刑部省となり,同省に,卿,輔などのほか,刑名を断定し,諸争訟を判するものとして,大・中・少判事をおき,争訟を問窮することをつかさどるものとして大・中・少解部,捕亡をつかさどるものとして逮部長・同助長・逮部がおかれた。
 明治四年七月,刑部省および弾正台を廃して司法省が設けられ,司法省に卿,輔,管事,録,判事,解部などがおかれた。同年八月,東京府所管の聴訟,断獄の事務は,司法省に所属することとなり,当初は,司法省吏員が東京府庁に派遣されてその事務を執ったが,一二月,司法省内に東京裁判所を設けて,右事務を取り扱うこととなり,翌五年三月,東京裁判所の管下の東京府下六大区に各区裁判所が設置された。
 明治五年八月,司法職務定制が定められたが,これは,本省職制・章程・分課,判事・検事職制・章程,地方邏卒兼逮部職制,捕亡章程,代言人職制,各裁判所章程・分課などから成り,司法省は,全国の法憲をつかさどり,各裁判所を統括するものとし,省務を支分するものとして,裁判所,検事局,明法寮とした。裁判所を分けて司法省臨時裁判所,司法省裁判所,出張裁判所,府県裁判所,区裁判所とし,司法省臨時裁判所は,国家の大事に関する事件および裁判官の犯罪を審理するため,臨時に設けられるものとし,司法省裁判所は,各裁判所の上に位し,司法卿が所長を兼掌するものとし,府県裁判所の裁判に服しないで上告する者を覆審処分し,各府県の難獄および訴訟の決し難い者を断決することとし,東京近傍以外の遠隔の府県裁判所を便宜区画して,司法省裁判所の出張裁判所を設けることとした。府県裁判所は,各府県に設置し,流以下の刑を裁断し,死罪および疑獄は,本省に伺い出てその処分を受けることとし,区裁判所は,府県裁判所に属し,地方の便宜によって設置し,笞杖の刑を断刑することとした。府県裁判所としては,前年に設けられた東京のほか,この年,印旙,木更津,神奈川,栃木,宇都宮等関東各地および大阪,兵庫,京都等に設置され,明治七年には,長崎,函館等に新設された。なお,判事は大・中・少(権)判事,大・中・少(権)解部とし,検事は大・中・少(権)検事,大・中・少(権)検部とした。
 明治八年四月,大審院が設けられ,翌五月,大審院諸裁判所職制章程,司法省検事職制章程が定められた。これによると大審院は,民事,刑事の上告を受け,上等裁判所以下の審判の不法なものを破毀し,全国法憲の統一を主持するところとするほか,国事犯等の重大なものおよび違警犯を除く各判事の犯罪を審判することとし,その下に,東京,大阪,長崎および福島(八月,宮城に移す。)に上等裁判所がおかれ,府県裁判所の裁判に服しないで控訴する者を覆審し,大審院の審閲批可を得て死罪を審判するものとし,また,管下府県の死罪を断獄するため,巡回裁判を行なうものとした。さらに,各府県に,原則として一つの府県裁判所をおき,懲役以下の刑事事件を審判することとし(ただし,終身懲役は,上等裁判所の審批を受ける。),裁判所をおかない県は,地方官が判事を兼任することとした。府県裁判所は,従来から設置されているもののほか,この年から翌九年にかけて,高知,山口,鹿児島,宮城,愛知等に設置された。なお,各裁判所に判事,判事補,検事,検事補がおかれた。なお,明治八年九月,東京に三支庁がおかれたほか,翌九年にかけて,大阪その他各府県裁判所の支庁が設置された。
 翌九年九月,府県裁判所を廃し,これを統合して,全国二十数か所に地方裁判所をおき,地方官が判事を兼ねることをやめ,また,その管下に支庁のほか,区裁判所をおき,懲役三年以下の刑事事件を審判しうるものとした。
 明治一三年七月布告された治罪法により,裁判所の構成は大審院,控訴裁判所,始審裁判所,治安裁判所となり,治安裁判所は,違警罪裁判所として違警罪を裁判し,始審裁判所は,軽罪裁判所として軽罪を裁判するほか,重罪および軽罪の予審を行ない,また,管内の違警罪裁判所の始審の裁判に対する控訴を裁判し,重罪を裁判する重罪裁判所は,控訴裁判所または始審裁判所において開くものとした。また,控訴裁判所は,軽罪裁判所の始審の裁判に対する控訴を裁判し,大審院は,上告,再審の訴等を裁判するものとされた。なお,当分の間,違警罪は,府県警察署およびその分署で裁判し,上訴を許さず,軽罪のうち,予審を要しないものは,治安裁判所において軽罪裁判所を開き裁判することができることとされ,また,軽罪についても,明治一八年まで控訴を許されなかった。同一四年一〇月に,各裁判所の位置および管轄区域を改正して,控訴裁判所を東京,大阪,長崎,宮城,名古屋,広島および函館に,始審裁判所を東京ほか八九か所に,治安裁判所を東京市日本橋区ほか一八〇か所におくことにし,大審院および各控訴裁判所に検事長をおいた。また,明治一六年二月には,始審裁判所を四三か所とし,支庁四七庁を設け,本庁と同一の権限を有するものとした。
 明治一八年九月,違警罪即決例が制定され,警察署長等に違警罪の即決処分権が与えられ,これに不服の者は,違警罪裁判所に正式裁判を申し立てうることとされた。
 明治一九年五月,裁判所官制が制定され,控訴裁判所を控訴院と改め,裁判官は,裁判所の長(大審院長,控訴院長,始審裁判所長),局長(大審院の局長),評定官,判事および判事試補とし,検察官は,検事長,検事および検事試補としたほか,治安裁判所を除く裁判所に検事局をおくこととした。
 明治二二年二月発布の大日本帝国憲法は,第五章に司法に関する条章を設け,司法権は,天皇の名において,法律により裁判所が行なうことを定めたほか,裁判官の資格・身分保障,裁判の公開,特別裁判所等について規定し,この規定を受けて,翌二三年二月裁判所構成法が公布された。同法は,通常裁判所を大審院,控訴院,地方裁判所および区裁判所の四種とし,区裁判所は,違警罪,二月以下の禁錮または百円以下の罰金にかかる軽罪等を管轄し,地方裁判所は,区裁判所の権限および大審院の特別権限に属しない刑事訴訟ならびに区裁判所の判決に対する控訴審につき裁判権を有し,控訴院は,地方裁判所の第一審判決に対する控訴および区裁判所管轄事件の上告等につき,大審院は,控訴院の第二審判決に対する上告および皇室に対する罪等の予審および裁判につき,裁判権を有するものとされた。また,判事および検事のほか,予備判事および予備検事の名称を設け,各裁判所に検事局を付置し,大審院検事局に検事総長,控訴院検事局に検事長,地方裁判所検事局に検事正をおくことを定めた。なお,同年一一月,裁判所構成法施行に伴い,裁判所は,大審院(東京)のほか,控訴院が東京,大阪,名古屋,広島,長崎,宮城,函館の七庁,地方裁判所が東京ほか四七庁,区裁判所が東京地方裁判所管内の京橋ほか二九九庁となった。なお,大正一〇年四月,函館控訴院は,札幌に移され,札幌控訴院と改称され,昭和二〇年八月には,高松控訴院が設けられ,長崎控訴院は,福岡に移転のうえ,福岡控訴院と改称された。
 裁判所構成法は,その後,たびたび改正されたが,その間,区裁判所の事物管轄がしだいに拡大され,大正二年四月には,予審を経ない有期の懲役,禁錮または罰金にかかる罪のすべてを裁判しうることとされた。ただし大正一一年四月の改正では,右のうち,短期一年以上の懲役または禁錮にかかる罪を除くものとされた。昭和一七年二月,裁判所構成法戦時特例が公布され,安寧秩序に対する罪,強・窃盗罪等にかかる事件の控訴禁止等を定め,昭和一八年一〇月には,同法の一部改正が行なわれ,短期一年以上の有期の懲役または禁錮にかかる罪についても,予審を経ないものは,区裁判所が事物管轄を有することとし,全事件について控訴を許さず,二審制を採用した。
 昭和二二年五月,日本国憲法の施行とともに,裁判所法,検察庁法が施行された。これによって,最高裁判所を東京におくほか,下級裁判所として高等裁判所(東京・大阪・名古屋・広島・福岡・仙台・札幌・高松の八庁),地方裁判所(四九庁),簡易裁判所(五五七庁)が設けられ,また,裁判所に付置されていた検事局は廃止され,裁判所に対応して,最高検察庁,高等検察庁,地方検察庁および区検察庁がおかれることになり,裁判所と検察庁は分離した。なお,裁判官として,最高裁判所長官,同判事,高等裁判所長官,判事,判事補および簡易裁判所判事をおき,検察官として,検事総長,次長検事,検事長,検事および副検事をおくこととされた。
 昭和二三年一月,全国に地方裁判所支部二二七庁が設置され,これに対応する地方検察庁支部が設けられたが,その後,松江,金沢,函館,宮崎,岡山,秋田に高等裁判所および高等検察庁の支部が設置された。
 また,昭和二四年一月には,少年事件の審判等を行なう家庭裁判所が,東京ほか四八か所の地方裁判所所在地に設置された。