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 昭和43年版 犯罪白書 第三編/第一章/一 

第三編 犯罪と犯罪者処遇の一〇〇年

第一章 刑事関係基本法令の変遷

一 刑法

 慶応三年一〇月,第一五代将軍徳川慶喜が大政を奉還したが,刑法については,当分の間,幕府の旧制によることとなった。
 明治元年に,刑法官が仮定し,執務上の準則としたのが仮刑律である。この仮刑律は,刑罰として死刑,流刑,徒刑,笞刑の四刑を定め,死刑は刎,斬とし,そのほかに極刑として磔と焚を認め,流刑は,近流,中流,遠流の三等とし,徒刑は,一年から三年までを五等に分け,笞刑は,十から百までを十等に分けた(ただし,同年一一月の太政官達で,死刑は,梟首,刎首,絞首,流刑は,七年,五年,三年,徒刑は,二年,一年半,一年,笞刑は,百,五十,二十とされた。)。また,犯罪については,賊盗,闘殴,人命,訴訟,捕亡,犯姦,受賍,詐偽,断獄,婚姻,雑犯の一一項目に分けて規定した。
 明治三年一〇月,新律綱領の案である新律提綱ができ上り,仮刑律に代わることとなったが,同年一二月,新律提綱は,新律綱領として頒布された。同綱領は,八図一九二条から成り,笞・杖・徒・流・死の五刑を定めた。「笞」は十から五十まで,「杖」は,六十から百までを五等に分け,「徒」は,各府藩県の徒場に入れ,業を与えて役使するもので,一年,一年半,二年,二年半,三年とし,「流」は,北海道に発遣して服役させるもので,一年,一年半,二年の三等とし,「死」は,絞および斬の二種とし,梟示を認めた。また,士族に対しては,閏刑として,謹慎(外部の人に接見通信する事を許さないもの),閉門(門扉を閉ざし,薪糧等を通ずるほか,奴婢といえども出入りすることを許さないもの),禁錮(一室内に鎖錮させるもの),辺戍(北海道に送り,辺境の軍役にあてるもの),自裁(自ら屠腹させるもの)の五種の刑を設け,官吏・僧侶らにも準用した。また,犯罪として,職制律,戸婚律,賊盗律,人命律(上下),闘殴律,罵言律,訴訟律,受賍律,詐偽律,犯姦律,雑犯律,捕亡律,断獄律の一四律を定めた。新律綱領は,なお封建的な色彩が強く,右に述べたとおり,犯罪者の地位身分により,名誉を重んじた閏刑を定め,また,被害者の身分により,刑罰を重くする規定をおいている。また,新律施行以前の事件についても,この律を適用し,類推解釈を許すなど,罪刑法定主義を認めていないが,一方,犯罪の類型を細分化して規定し,これに対し絶対的法定刑を定めている。たとえば,殺人をみると,殺人を謀殺,毒殺,闘殴殺,故殺,戯殺,誤殺,詐称殺,過失殺などに分け,さらに謀殺を,被害者が,一般人か,本属長官か(さらに,勅任官,奏任官,判任官に分ける。),祖父母や父母などか,あるいは家長かによって,類型を分け,さらに,既遂と未遂,本犯と従犯等に分けて,それぞれ,特定の刑を定めている。
 明治六年六月,太政官布告で,改定律例が頒布された。同律例は,一二図一四律(三一八条)から成り,初めで逐条主義を採用した。刑罰としては,従来の笞・杖・徒・流の刑を改めて懲役とし,十日から十年までを,一八等に分け,懲役十年の上に懲役終身の刑を設け,持兇器強盗,監守常人盗,謀故殺,放火,反獄,偽造宝貨を除く犯罪で,死刑に該当する犯罪を犯した者に科することとした。また,士族に対する閏刑は,すべて禁錮とし,十日から十年までを一八等に分け,その上に,禁錮終身の刑を設けた。犯罪類型の定めかたについては,おおむね,新律綱領と変わらなかったが,この改定律例の頒布直後から明治七年にかけて,偽造宝貨条例,強盗条例,犯姦条例,窃盗条例,無正条條例等,多数の条例が制定され,律例が補正された。
 明治一三年七月,太政官布告で,刑法改正が布告され,同一五年一月一日から施行され,また,同一四年一二月には,刑法附則が布告された。この刑法は,四編四三〇条から成り,総則,公益に関する重罪軽罪,身体財産に対する重罪軽罪および違警罪の四編に分けられ,総則は,法例,刑例,加減例等一〇章を収め,公益に関する重罪軽罪は,皇室に対する罪,国事に関する罪等九章から成り,身体財産に対する重罪軽罪は,謀殺,故殺の罪等身体に対する罪一三種,窃盗,強盗の罪等財産に対する罪一〇種を規定している。また,法律において罰すべき罪を重罪,軽罪および違警罪の三とし,刑を,主刑および附加刑に分け,重罪の主刑を,死刑(絞首),徒刑(無期・有期),流刑(無期・有期),懲役(重・軽),禁獄(重・軽)とし,軽罪の主刑を,禁錮(重・軽)および罰金とし,違警罪の主刑を,拘留および科料とした。右のうち,徒刑は,島地に発遣し(ただし,婦女は島地に発遺せず,内地の懲役場に入れ),定役に服し,流刑は,島地の獄に幽閉し,定役に服しないもので,有期の徒刑または流刑は,一二年以上一五年以下とされている。また,重懲役および重禁獄は,九年以上一一年以下で,軽懲役および軽禁獄は,六年以上八年以下とされ,懲役は定役に服し,禁獄は定役に服しないものとされ,禁錮は,重軽を分けないで,一一日以上五年以下とされ,重禁錮は定役に服し,軽禁錮は,定役に服しないものとされている。さらに,附加刑として,剥奪公権,停止公権,禁治産,監視,罰金および没収を規定した。従来は,犯罪を細分化し,被害者の身分等によって刑を差別していたが,刑法は,これを改め,たとえば,前述した殺人罪については,謀殺および故殺の二種とし,毒殺は,謀殺をもって論じ,詐称誘導して人を殺した者,または誤まって他人を殺した者は,予謀の有無により,謀殺または故殺をもって論じることとしている。次に,各法典の差異を,最も一般的な犯罪である窃盗罪の類型と法定刑とについてみると,次のとおりである。
 窃盗罪については,仮刑律,新律綱領および改定律例では,窃取した金品の価格に応じて刑を定めており,また・大祀大社の神御,神宝,官印,官文書,官物等を盗む者には,重い刑を定めている。なお,牛馬や田野の穀麦,山野の柴草等を盗む者も窃盗に準ずることとしている。通常の金品の窃盗についでは,仮刑律は,窃盗未遂は笞二十とし,既遂については,窃取金品の価格が一貫文から八九貫文までを一六等に分け,笞三十から笞百遠流までとし,もし価格がこれをこえ,その情状の重い者については,臨時に判決することとした。新律綱領も,基本的な構成は仮刑律と同じで,通常の窃盗は,未遂は笞四十,既遂は一両以下は笞五十,一両をこえると杖六十,五十両以上は徒一年,百両以上は流一等(役一年),三百両以上は絞と定めているが,三犯以上の者については,特に,五十両以下は流三等(役二年),五十両以上は絞として刑罰を重くしていることが注目される。次に,改定律例では,笞・杖・徒・流の刑が懲役に改められ,貨幣の単位が両から円に改称されたことに伴って,法定刑が改められたほか,官物など特殊なものの多額窃盗を除いては,一般に,窃盗で死罪に処せられることはなくなり,新律綱領では絞罪とされた三百両(円)以上の窃盗または三犯五十両(円)以上の刑も,懲役終身に改められた。
 ところが,旧刑法は,窃取金品の価格に応じて刑を区別することをやめ,むしろ,犯行の手段,態様等によって,刑の軽重を定めることを原則とし,わずかに,山林・田野の産物,牧場における牧畜の獣類等の窃取について,例外的に,軽い刑を定めるにとどめている。旧刑法では,窃盗罪については,二月以上四年以下の重禁錮とし,「水火震災其他ノ変ニ乗シテ窃盗ヲ犯シタル者」および「門戸牆壁ヲ踰越損壊シ若クハ鎖鑰ヲ開キ邸宅倉庫ニ入リ窃盗ヲ犯シタル者」は,刑を重くして六月以上五年以下の重禁錮とし,「兇器ヲ携帯シテ人ノ住居シタル邸宅ニ入リ窃盗ヲ犯シタル者」は,軽懲役(六年以上八年以下)に処することとした。なお,現行刑法では,第二三五条で,「他人ノ財物ヲ窃取シタル者」は,十年以下の懲役に処することとしている。
 明治三八年四月,「刑ノ執行猶予ニ関スル法律」が公布され,わが国に初めて刑の執行猶予制度が導入された。この法律によると,刑の執行猶予を付する条件として,前に禁錮以上の刑に処せられたことのない者あるいは禁錮以上の刑に処せられても,執行終了または執行免除のあった日から十年以内に禁錮以上の刑に処せられたことのない者が,一年以下の禁錮に処せられたとき,情状に因り,二年以上五年以下の期間,刑の執行を猶予することができることとなっている。
 明治四〇年四月,現行の刑法が公布され,四一年一〇月一日から施行され,明治一三年公布のいわゆる旧刑法は廃止されるこ之になった。この刑法は,二編二六四条から成り,第一編総則,第二編罪に分かれている。旧刑法に比べ,おもな改正点は,重罪,軽罪および違警罪の区別を廃し,違警罪にあたる軽微な犯罪を刑法典から削除したこと,刑罰の種類を減じ,主刑のうち徒刑,流刑,禁獄を廃止して,死刑,懲役,禁錮,罰金,拘留および科料とし,付加刑を没収のみとしたこと,各犯罪の構成要件を抽象化,簡約化して,犯罪類型の細分化をやめ,法定刑の幅を広くすること等により,裁判官に,広範な裁量の余地を与えたほか,刑の執行猶予に関する規定を設け,明治三八年の「刑ノ執行猶予ニ関スル法律」を廃止したこと等である。
 この刑法は,その後,現在までに,九回にわたり改正が行なわれているので,以下そのおもな改正点を付記しておく。
 まず,大正一〇年四月の一部改正では,業務上横領罪の法定刑の懲役の下限の一年を削り,一〇年以下の懲役とした。昭和一六年三月には,強制執行不正免脱,競売入札妨害,談合ならびに事前収賄,第三者供賄,枉法収賄および事後収賄の罪のほか安寧秩序に対する罪を新設し,没収の対象を拡げた。
 昭和二二年一〇月には,皇室に対する罪,外患罪の一部,安寧秩序に対する罪,姦通罪等を廃止し,刑の執行猶予を付しうる要件を緩和し,刑の消滅に関する規定を新設し,暴行罪について,その法定刑を引き上げ,これを非親告罪とした。昭和二八年八月の改正によって,刑の執行猶予の条件が緩和され,再度の執行猶予が認められ,その猶予中の者に保護観察を付することとなり,また,昭和二九年四月の改正では,初度目の執行猶予者にも,保護観察を付しうるものとされた。詔和三三年四月には,証人威迫罪,斡旋贈収賄罪,兇器準備集合罪が新設され,輪姦が非親告罪となった。昭和三五年五月には,不動産侵奪罪等が新設され,昭和三九年六月には,身代金目的の拐取およびその予備罪が新設された。最後に,昭和四三年五月には,業務上(重)過失致死傷の法定刑に,五年以下の懲役刑が加えられるとともに,禁錮刑の長期が三年から五年に引き上げられる等の改正が行なわれた。
 大正一五年四月,「暴力行為等処罰ニ関スル法律」が公布されたが,この法律の立法の理由について司法大臣は,第五一回帝国議会において,「近年に至り,団体を背景として威力を用いまたは暴力を使用して,暴行,脅迫,器物毀棄,面会強要,その他これに類似する犯罪をなし,良民に迫害を加える者が多い。このようになった原因は,思想上,経済上,その他社会上,特別の原因に基づくものがあると思われるが,法制上の不備も,その一原因と考えられる。そのおもなものをあげてみると,暴行,脅迫その他の行為について,親告罪となっているものがあるため,親告罪の被害者が後難を恐れて告訴をなさないこと,暴行,脅迫,面会強請等を犯しても,刑が軽いこと,また,これらの犯罪を犯す者を利用する者に対する取締規定が全然ないことなどである。したがって,これらを取り締まるために,親告罪を非親告罪にして訴追を自由にし,刑を重くして法の威力を示し,新たに法規を設けて不備を補う必要がある。」と述べている。なお,昭和三九年六月,同法の一部改正が行なわれ,持兇器傷害,常習的傷害等の罪を新設し,常習的暴力行為とともに,加重した法定刑を定めた。
 昭和五年五月,「盗犯等ノ防止及処分ニ関スル法律」が公布された。この法律は,四条から成るが,第一条第一項は当防衛に関する規定,第二項は誤想防衛に関する規定,第二条以下は,特殊の強窃盗に対し,刑法上の法定刑の短期を重くした規定である。この法律が立法されたのは,昭和四年春ごろ,東京には,いわゆる説教強盗や講談強盗が出没し,人心が不安におののいていたことなど,当時の世相にかんがみ,正当防衛権の行使を保障し,強窃盗の刑を加重する必要が認められたためである。
 昭和一六年三月国防保安法が公布され,国家機密の漏泄等についての罰則を設けるとともに,諜報謀略に関係のある犯罪事件について,検事による強制捜査,弁護士の指定,控訴審の省略等特別の刑事手続を定めた。また,翌一七年二月,戦時刑事特別法が公布されたが,この法律は,戦時に際し,燈火管制中または敵襲の危険その他人心に動揺を生じさせるような状態がある場合の放火,強制わいせつ,強姦,強盗,恐喝等について,刑を加重し,あるいは,戦時に際して,国政変乱を目的とする殺人,公共の防空建造物の損壊等の特別類型を設けるとともに,弁護人数の制限,判決書の簡素化等の刑事手続の特例を設けたものである。