2 交通犯罪の被害者をめぐる問題 交通犯罪をめぐる問題をとりあげるとき,これを,被害者の側から考察することも,きわめて重要な視点である。以下,被害者側からみた問題点の二,三を取り上げ,若干の考察を加えることとする。 問題点の第一は,交通犯罪による被害は,量的に大きいばかりでなく,質的にも重大な影響を被害者またはその家族に及ぼしている場合が多いということである。 昭和四二年においては,交通事故による死者数は一三,六一八人,負傷者数は六五五,三七七人であって,きわめて膨大な数に上っている。いいかえるならば,最近では,交通事故によって,一日平均,三七・三人が死亡し,一,七九六人が負傷していることとなっているのである。交通事故の中には,被害者の側にのみ過失がある場合も,若干含まれているから,この数がすなわち交通犯罪による被害であるということはできたいが,交通事故の大部分(昭和四一年においては九七・五%)は,その原因の全部または一部が加害者側の過失にあるとされているから,右の死者および負傷者のほとんどが,交通犯罪に起因するものであると推定して,まず,さしつかえないと思われる。このように,交通犯罪による被害は,量的に膨大であり,かつ,被害者を死亡させるというような重大な損害を与えているばかりでなく,被害者またはその家族に有形無形の被害を及ぼしている場合が多い。法務総合研究所が行なった,前記の交通事犯受刑者に関する調査の対象となった一七七人の受刑者が犯した交通事犯の,被害者またはその家族の中から選び出された四〇の詳細な事例研究の結果によれば,生存している被害者一七人のうち現在健康である者は,わずか二人であって,他の一五人は,手足が不自由になったり,季節の変わり目などに身体が痛むなどなんらかの形での身体的後遺症状が残っていた。また,死亡した被害者の家族の場合は,一家の支柱を失って経済的に困窮し,または,精神的に著しく不安定になったり,夫の死亡のため,妻が働きに出なければならなくなり,または,子供が落ち着きがなくなったり,妻に死なれたため,家事の負担が年寄りにかかるようになったり,店番がいなくなって,商売を変えたり,または,家庭内の雰囲気が暗くなったりしたなど,経済的ならびに精神的な被害が,ほとんどすべての事例にみられたのである。とくに,夫を失った盲目の妻が,生きる希望を失いかけているもの,入院費用の弁済が十分でないため,経済的に極貧状態に追いこまれたもの,夫が死亡したため,妻が女中奉公に出て子供を養育しているもの,父が死亡したため,中学在学中の子供が進学を断念せざるをえなくなったものなど,悲惨な事例もあることが明らかにされている。この研究の対象となった事例が,とくに重大な被害な受けた者にかたよっていたことも考慮しなければならないが,交通犯罪の被害者一般についても,これらの事実は,程度の差はあっても,かなりの数にみられることであると思われる。 問題点の第二は,交通犯罪によって受けた被害の補償が,必ずしも,適切に実行されていないとみられることである。 被害の補償ならびにそれらの経過については,これを,全国的な次元で明らかにするための資料は,さしあたってみられないが,たとえば,松江地方検察庁が,昭和四一年一〇月以降同年一二月末日までの三か月間に,起訴,不起訴または家裁送致として処理した業務上過失致死傷事件中,犯罪地が,同地方検察庁管内にあるもの五一三件,五一三人について調査した結果によれば,被害の補償およびそれらの経過については,次のようなことが明らかにされている。ちなみに,右の調査対象中,被害者が死亡したものは四・九%,一か月以上の傷害を受けた者は二四・六%となっている。 [1] 補償問題の解決方法としては,示談が圧倒的に多く,九〇・四%を占め,裁判または調停によるものは,一・六%にすぎない。示談のうち,調査時(昭和四二年七月末日)までに成立したものは,示談によるものの六九・二%である。 [2] 示談の交渉者は,本人である場合が七二・三%,親族,知人,上司である場合が一九・六%である。弁護士は〇・二%にすぎない。 [3] 示談成立までの期間は,成立したものの六一・七%が,事故後一か月以内である。示談成立金額については,七四・五%が五万円以下ないし示談金なしであるが,傷害程度が二か月以上ないし六か月以内では,一〇万円以上三〇万円以下の者が多く,致死の場合は,すべて一〇〇万円以上とたっている。 [4] 示談金の支払方法は,一時払の約定をしたものが八一・〇%,分割払の約定をしたものが一六・三%であるが,約定の履行については,示談成立当時支払いをしないものが八%あり,その後,約半年後においても,一時払の方法によるもののうちでは,二五%が支払期日を徒過し,また,分割払いの方法によるもののうちでも,全額支払っているが,遅れがちであったものが一八・二%,一部を支払わないものが六・一%,全く支払わないものが三%ある。 また,関東人権擁護委員連合会が,昭和四〇年九月に,昭和三九年度上半期に東京都を中心とする,その周辺の十県で起こった交通事故被害者中,被害者が死亡するか,または,治療一か月以上を要する重傷(自損行為によるものを除く)を負ったもの五,三三三人(うち死亡九六五人)を対象として実施した調査結果によると,被害の補償ならびにその経過については,事故後,一年余を過ぎても補償問題が解決しないものが三〇%あること,補償問題の解決は,九八%までが示談によっていること,加害者が一方的に定めた金額を渡されただけの者が三二%もいること,示談は,一年以内に九八%が成立していること,死亡の場合の示談額は一〇〇万円前後が普通であり,重傷の場合の示談額の九割までが二五万円以下であること,六一%が一時払い,二六%が分割払いの約定を結んでいるが,全体の一割の者が約束を履行していないことなどが指摘されている。 右にあげた二種の調査は,その対象,調査時期,地域などが異なるから,一律に扱うことは適当ではないが,この限りでも,交通犯罪によって受けた被害の補償が,必ずしも,適切に実行されていない面があることをうかがい知ることができるであろう。 問題点の第三は,被害者と加害者の間に,相互認識が正確でない場合が多いということである。 前述の法務総合研究所の調査において,加害者と被害者またはその家族の双方から得られた情報を照合した結果,加害者側の言い分と被害者側の言い分の食い違いが,次のような諸点で発見された。 [1] 相手方の職業,収入,生活程度については,正確な認識が双方とも欠けており,一般に,相手方を高く評価している。 [2] 事故によって生じた被害については,経済的,精神的,身体的のいずれの場合も,加害者は過小に評価し,被害者は過大に評価する傾向がある。 [3] 補償の経過についても,具体的な補償金額,支払者などに関し,双方の言い分にかなりのずれがみられ,一般に,加害者は,補償額を低く認識している。保険によって支払がなされた場合でも,加害者は,自分の金で支払ったという意識が強い。 [4] 被害者の入手金額は,全事例の過半数が,加害者の支払ったと主張する金額よりも低額である。 したがって,加害者は被害者に対し,また,被害者は加害者に対して,相互に疑心をいだいている場合が多い。これらの言い分の食い違いについて,いずれの言い分が正しいかということは,さしあたって明らかではないが,交通犯罪の加害者・被害者関係においては,補償にからまる利害感情から,客観的かつ公正な判断が下されない場合が多いことがうかがわれるのである。 問題点の第四は,被害予防という観点からみて,被害者の側で,留意ないしは反省すべき点がいくつかみられるのではないかということである。 前述の法務総合研究所の調査によれば,被害の態様として,季節的には,秋から冬にかけて,全体の六〇%の事故が発生しており,また,午後四時から六時の間に二七・五%,午後一〇時から一二時の間に二〇・〇%が発生している。被害時,被害者が歩行中のものは四五%,乗車中のものは四〇%であり,被害地の道路の幅は,「やや広かった」というものが過半数を占め,被害地の交通状況は,「あまり混雑していなかった」または「閑散としていた」というものが合計して六七・五%を占めていた。要するに,交通犯罪の被害は,狭くて,混雑した場所では,あまり発生していなかったのである。交通事故は,被害者の側で,より細心の注意を払っていれば,かなりの数は,未然に防止できたのではないかと思われる。前記関東人権擁護委員連合会の調査では,純粋の無過失で被害者となった者は,全体の三六%であって,六四%は,被害者の側にも,なんらかの過失があったとされており,また,松江地方検察庁の調査においても,被害者の側にも過失があったものは,六六・七%であったと報告されている。ちなみに,松江地方検察庁の調査例でみると,「車前飛出し」,「車前横断」,「左右不確認」などの原因で被害者となった者が,過失ある被害者の四〇・三%を占めている。 ところで,事故における過失の有無については,被害者側に事態の正確な認識が欠けている場合も,かなり見受けられる。法務総合研究所の調査によれば,検察庁記録と被害者の認識が一致していないものが全事例の四〇%に見られている。これらの不一致の大部分は,自己の側の過失を過少に評価している者であって,交通関係法令に対する被害者側の正確な知識の欠如の一端を示すものといえよう。 交通犯罪の被害者をめぐる問題は,もとより,以上の諸点に尽きるものではない。しかし,以上の問題点のみを取り上げるとしても,膨大な交通犯罪による被害を未然に防止し,他方,不幸にして交通犯罪によって被害を受けた被害者またはその家族を,公正かつ適切に救済するために,当面,解決を迫られている問題は多いといわなければならない。
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