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 昭和43年版 犯罪白書 第二編/第二章/五/1 

五 交通犯罪をめぐる諸問題

1 交通犯罪者をめぐる二,三の問題

 いうまでもないが,いわゆる人身事故事件,あるいは,一般に,物件事故と呼ばれている事件は,結呆の発生については犯意のない,いわば,善良な市民が,一瞬の不注意によって,犯罪者となる可能性のある犯罪である。道路交通法その他の交通開係取締法規違反は,その多くが故意犯であるが,殺人とか,窃盗といった,自然の道徳律に反する犯罪とは,全く異質の,不名誉ならざる犯罪と考えられていることが少なくない。確かに,交通犯罪の一面には,運の悪かった紳士の失敗ともみられる場合が,ありえないでもなく,これまで,交通犯罪者の素質が問題とされ,研究の対象とされることの少なかったことも,そのような意味で,無理からぬことと思われる。
 しかしながら,多くの交通犯罪者の中には,自動車の運転の方法や,運転すること自体が,常軌を逸していると思われる者,あるいは,あまりにしばしば,事故を起こしたり,違反をしたりする者があって,これらには,身体の欠陥があるのか,それとも,注意深くない性格などといったものとは異質の,一般の犯罪者と共通した特性が,発見できるのではないかと思われることがある。
 法務総合研究所では,試みに,昭和四〇年一一月一日から,四一年六月四日までの間に,中野刑務所に入所した,自動車の交通により,人に死傷の結果を与えた禁錮刑受刑者のうち,刑期六月以上の者一七七人について,その素質,前歴,犯罪事実,あるいは,後に触れる被害賠償等の関係を調査しているが,その結果によると,交通犯罪により,処罰され,または保護処分を受けた前歴のある者が,一七七人のうち一一三人(六三・八%)に及んでおり,そのうち,人身事故の前歴のある者二六人が含まれている。それだけでなく,窃盗とか,恐喝など,交通犯罪以外の前歴のある者が四一人で,ほぼ四人に一人の割合で含まれていることが判明した。この中には,窃盗前科一犯,業務上過失致死傷罪の前科四犯で,仮出所後日ならずして,横断歩道上の歩行者をはねとばした者も含まれている。
 自動車運転者の身体的能力のうちで,事故に最も密接な関係を持つものの一つに,視力がある。右調査対象者について,視力を検査し得たのは,いろいろな事情から一二四人にとどまったが,まず,両眼視力についての検査結果を,日本交通安全推進協会が職業運転手四,六九四人について行なった検査結果と対比して示したのが,II-103表である。両眼視力〇・五といえば,「原付免許」と「小型特殊免許」しか取得できないはずであるし,〇・四以下では,どのような免許も取得できないこととされているのであるが,調査対象者にあっては,無免許者の二五・〇%,有免許者でも一二・五%が,限界またはそれ以下の視力しわないといら結果となっている。次に,夜間視力,視力回復力(ヘッドライトの照射を一定時間受けた後,視力が回復する時間を測定したもの)についての検査結果を,前同様の方法で示したのが,II-104表であるが,職業運転手の場合には,これらの能力について問題のある者が,約九%ないし一四%であるのに対し,調査対象者の場合には,約三七%ないし四〇%に問題があるという結果をみている。

II-103表 対象者の両眼視力比較

II-104表 対象者の夜間視力,視力回復力比較

 自動車を発進・停止させたり,交通標識を記憶したりするのは,さほど高い知能を要することではないが,わが国の複雑な道路事情のもとで,与えられた事態を正確に認識し,事故の発生を回避するため,的確な判断を下すためには,ある程度の精神的能力が必要であろう。II-105表は,右の一七七人を,有免許者と無免許者とに分けて,知能指数の検査結果を示したものである。知能指数六九以下の,一般に精神薄弱の範囲に入れられている者が,無免許者四五人中一一人,有免許者一三二人中にも一五人含まれていた。これに,知能指数七九以下の,常人よりやや劣ると考えられる者を加えると,合計六二人となり,総数の三五・〇%を占めることとなるのである。さらに,前記の六九以下の中でも,軽愚(魯鈍)の中で比較的程度の高い層を除いた,知能指数五九以下の者が,無免許者の中に五人,意外なことに,有免許者の中に三人も含まれている。この八人の犯罪事実を検討してみると,うち六人までが,道路の状況を全く無視して暴走し,道路外に逸走したものとか,ある一つの事象に気をとられると,それ以外の事態は,すべて考慮の対象外となったとしか思えない事故を,いずれの場合にも,アルコールの影響なしにひき起こしていた。

II-105表 運転資格と知能指数との関係比較

 次に,これら禁錮受刑者の脳波の検査は,刑期六月未満の者をも含めて,二五三人について実施した。そして,これら受刑者と比較するため,ある大学の医学部附属病院に勤務する健康な成人職員五〇人を選び,脳波の視覚的判定の結果を対照したのが,II-106表である。一見して明らかなように,対照群にあっては,正常な範囲の者が,総数の九〇・〇%を占めているのに対して,受刑者群においては,これが,六二・四%にすぎないだけでなく,正常の範囲内とはいえ,問題を含む者が,その大半を占めているのである。参考までに,これら対象受刑者の,受刑中の行動を調査すると,知能の低い者,脳波に異常のある者は,それぞれ,知能が標準程度の者,脳波の正常な者に比較して,いずれの場合も,刑務所の規則に違反することが多いという結果が報告されている。

II-106表 脳波の視覚的判定結果比較

 このようにみてくると,これらの禁錮受刑者について,前歴,視力,知能,脳波と,わずか四つの点について概観しただけでも,交通犯罪者の中には,その素質に問題のある者が,少なからず含まれていることを知り得よう。もちろん,量的にも質的にも,限られた対象者についての調査結果によって,交通犯罪者全体の傾向を論ずることはできないが,この種犯罪の防止を考えるにあたって,なおざりにすることのできない問題であろう。事犯や前歴の内容によって,交通犯罪者の心身の状態を効果的に診断し,免許の拒否,取消等の行政的措置をも含めた,適切な再犯防止の方法を採りうる体制を樹立することが,交通犯罪防止のため必要なことと考えられる。