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1 確定裁判の概況 昭和四二年に確定裁判を受けた者の総数は,四,四三〇,九四五人である。この裁判結果別内訳を,昭和三八年以降,同四二年までの五年間について対比し,昭和三八年を一〇〇とする指数によって,その増減の状況を示すと,I-46表のとおりで,また,昭和四二年を円グラフにしたのが,I-9図である。確定裁判総数についてみると,昭和三九年,四〇年と増加し,四一年は,やや減少したが,昭和四二年は,三八年の一・二一倍である。
I-9図 裁判結果別確定判決を受けた人員と比率(昭和42年) I-46表 裁判結果別確定裁判を受けた人員(昭和38〜42年) 昭和四二年の内訳をみると,総数の九八・〇%が罰金刑で,懲役が一・五%,公訴棄却が〇・二%,禁錮〇・二%,科料〇・一%,無罪〇・〇〇九%となっている。五年間の推移をみると,まず,懲役刑は,昭和三九年に,やや減少したものの,その後増加して,横ばい状況を続けたが,昭和四二年には減少している。昭和三八年を一〇〇とすると,三九年が九五,四〇年,四一年は,いずれも一〇一,四二年は九一となっている。禁錮刑は,逐年増加が著しく,昭和三八年を一〇〇とすると,三九年一一九,四〇年一三七,四一年一六〇で,昭和四二年には一七九となっている。これは,自動車による業務上過失致死傷事件が,毎年,激増し,その科刑も重くなって,禁錮刑を科せられる者が多くなってきた結果である。罰金刑も,増加していて,昭和三八年を一〇〇とすると,昭和四二年は一二〇という数字を示しており,かつ,確定裁判総数のうちにおける割合も,九八・〇%と,その大部分を占めているが,これは,激増した交通犯罪の大部分が罰金刑に処せられている結果である。科料は,逐年減少を続け,昭和三八年を一〇〇とすると,三九年六六,四〇年五二,四一年四七で,昭和四二年には四四となっている。このように,科料が激減したのは,昭和三五年一二月二〇日施行の道路交通法により,道交違反の法定刑から科料が大幅に削られ,道交違反に科料が科せられる余地が少なくなったことおよび科料の上限が一,〇〇〇円未満であるために,きわめて軽微な犯罪についてのみ,科料が適用され,それ以外の罪で,他に選択刑のある場合には,ほとんど,科料が適用されなくなったことなどによるものと思われる。 次に,公訴棄却であるが,年々減少し,昭和三八年を一〇〇とすると,三九年八二,四〇年六七,四一年四四,四二年三四となっている。公訴棄却の増減は,主として,道交違反事件の略式起訴の場合の略式命令不送達の増減によるものと思われる。 次に,懲役と禁錮を刑期別に区分して,昭和三八年,四〇年および四二年を対比すると,I-47表[1][2]のとおりである。 I-47表 自由刑の刑期等別人員(昭和38,40,42年) まず,懲役についてみると,無期は,各年とも,総数の〇・一%にすぎず,その実数も,四九人ないし七五人にすぎない。次に,有期懲役の中で,実刑を言い渡されたものをみると,一年以下の刑期のものが約五割を占め,三年以下を加えると約九割を占めている。このように,わが国の懲役の刑期は,比較的,短期に集中していることが明らかである。また,執行猶予に付せられた率をみると,昭和三八年が五一・一%,四〇年が五三・五%,四二年が五四・六%と,例年五割以上を占めている。このように,刑が短期に集中し,しかも,執行猶予率の高いことが,戦後の科刑の大きな特色となっている。 次に,禁錮についてみると,執行猶予の率は高く,昭和三八年で七四・四%,四〇年で七六・〇%,四二年は七四・二%となっているのが注目される。また,実刑のうち,約九割が,一年以下の刑になっているが,禁錮の実刑のうち,刑期が一年をこえるものの数が,昭和三八年に七八人,四〇年に一四八人,四二年には一九九人と増加しているのが目をひくが,これは,禁錮刑に処せられる者の大部分が自動車による業務上(重)過失致死傷事犯を犯したものであるから,この種事犯に対する科刑が,交通犯罪の激増に伴い,しだいに重くなりつつあることを示していると思われる。 |