大正12年1月、多摩少年院及び浪速少年院の二つの矯正院が誕生した(法律上は「矯正院」であるが、各施設の名称は「少年院」が用いられていた。)。令和5年には、この二つの少年院が誕生して100周年を迎える。そこで、このコラムでは「少年院100年のあゆみ」について紹介したい(少年法制の主な動きについては第7編第2章1項参照)。
少年を20歳以上の者と区別して処遇しようとする制度は、既に明治の初頭から見られ、監獄内において、懲役刑に処せられた少年や、刑罰法令に触れる行為をしたものの罪には問わないとされた少年を収容する「懲治場」で教科教育などの特別な教育が行われていた。一方で、少年犯罪者の矯正を監獄内で行うことに対する批判もあり、少年の矯正については教育によることを重視すべきという観点から、一つの寮で夫婦の指導員が家庭的な雰囲気の中で指導を行う「感化院」における特別な教育も行われていた。
明治41年、懲治場に留置する制度が廃止されたが、感化院の収容力が極めて小さかったこと、大正初期に入り、当時の少年犯罪の増加・悪質化が進んだことから、非行のある少年に対処するための特別法が必要であるとの機運が生じ、大正11年に旧少年法が制定された。同法では、九つの保護処分が定められたところ、そのうちの一つとして「矯正院への送致」の処分が設けられ、翌12年の同法の施行により、我が国初の矯正院(少年院)である多摩少年院と浪速少年院の運営が開始された。当時、この2施設しか設置されなかったのは、少年の審判を行う少年審判所が東京と大阪だけに設置されていたことによる。以後、少年審判所が全国各地に設置されていくのに併せ、矯正院も次々と設置されていった。
矯正院の処遇は、性格を矯正するため、厳正な規律の下で教養を施し、生活に必要な実業を練習させることとされ、中学校及び実業学校(第二次世界大戦前の旧学制における旧制中等学校の一つ)以下の学校に準じた教科教育と農業、木工等の実科教育が行われた。また、少年が生活する寮舎における生活指導が教育の中心と考えられており、寮舎においては、寮長等の役割分担を決めるなどの自治的活動も行われた。
矯正院の処遇は、厳正な規律の下に実施するという面では少年監獄に近く、教育的な処遇を行うという面では現在の児童自立支援施設に当たる感化院と同様の性質を有することから、矯正院は、少年監獄と感化院の中間的な性格を有していたといえる。
その後、第二次世界大戦下の矯正院においては、保護処分の運用を変え、2か月の短期間で矯正教育を行った後、民間の軍需工場へ出業させる短期錬成を行うこととされた。
昭和23年、現行の少年法及び旧少年院法が公布され、矯正院は、法律上も少年院という名称が用いられることとなった。旧少年院法の特色としては、<1>矯正教育を授ける施設として明文化したこと、<2>年齢、性別、犯罪的傾向の程度及び心身の状況等に応じて、初等、中等、特別及び医療の4種類を設けたこと、<3>学齢の在院者について普通教育の保障を掲げたこと、<4>段階処遇を導入したことなどが挙げられる。
各少年院では、生活指導、教科教育、職業補導、体育といった教育が行われた。その中で、職業補導においては、木工、板金、溶接、電気工事等の種目の職業訓練を実施してきたが、これらの種目は、昭和38年以降、労働省から職業訓練法に基づく公共職業訓練として認められるようになった。
昭和52年には、それまでの処遇における少年の収容期間が1年程度に固定しがちであったことや処遇内容が画一的になりがちであったことなどに対する反省から、「少年院の運営について」(通達)が発出され、これにより現在の少年院につながる基盤となる制度が整えられた。その内容は、個々の少年のニーズに応じた処遇の個別化の推進のため、<1>少年院の処遇を短期処遇と長期処遇に区分した上で、短期処遇には一般短期処遇と交通短期処遇が設置され、長期処遇には生活指導、職業訓練、教科教育、特殊教育及び医療措置の各処遇課程(コース)が設置され、<2>施設ごと処遇課程ごとに基本的処遇計画(施設ごとコースごとの教育計画)を作成し、教育の過程を新入時教育、中間期教育、出院準備教育の3期に分けた上で、それぞれにふさわしい教育内容・方法を発展的・段階的に編成することとし、<3>個々の少年について個別的処遇計画(少年個々の教育計画)を作成し、個人別に達成させるべき事項を教育目標として定め、この目標を達成するために必要な教育内容・方法を系統的に配置するというものであった。以上の処遇の個別化のほかにも、少年院における施設内処遇と仮退院後の保護観察との有機的一体化を図ること、関係諸機関や地域社会との連絡調整を一層強化することなどを基調とするものであった。さらに、昭和55年には、教育課程の編成・運用、成績評価の運用の基準が定められ、平成8年には、コースごとの教育目標、教育内容・方法等が標準化されるとともに、教育課程の編成、実施及び評価の基準も明らかにされた。
平成期に入ると、ニーズに対応した処遇の推進など、短期処遇や長期処遇の改編が行われた。また、少年院の在院者も含めた刑務所出所者等に対する国の施策として、再犯防止と改善更生が重要課題として取り上げられるようになると、再犯防止に向けた各種支援制度も充実していった。平成18年度には、法務省(矯正施設、保護観察所等)と厚生労働省(都道府県労働局、公共職業安定所等)が連携し、刑務所出所者等に対し積極的かつきめ細かな就労支援を行う「刑務所出所者等総合的就労支援対策」が開始され、19年度からは、少年院内において、高等学校卒業程度認定試験が実施されるようになり、21年4月からは、矯正施設の被収容者のうち、高齢又は障害を有し、かつ、適当な帰住先がない者について、釈放後速やかに、適切な介護、医療等の福祉サービスが受けられるようにするため、法務省と厚生労働省が連携した「特別調整」が実施されるようになった。
平成26年6月には少年院法が全面改正され、翌27年6月に施行された。これにより、旧少年院法下で行われていた実務を踏まえつつ、<1>矯正教育の基本的制度や社会復帰支援の法定化、<2>在院者の権利義務関係と職員の権限の明確化、<3>不服申立制度の整備、<4>施設運営の透明性の確保など、再非行防止に向けた取組の充実及び社会に開かれた施設運営の推進が図られることとなった。
令和4年の民法上の成年年齢引下げに伴い、少年法の改正が行われ、同法の対象は20歳未満の者としつつも、成年に達した18歳及び19歳については、「特定少年」として、その立場に応じた取扱いをすることとなった(現在の少年院における処遇については、本編第2章第4節参照)。
再犯防止推進法の下、「誰一人取り残さない」社会の実現に向け、国・地方公共団体は、民間の団体、その他の関係者との緊密な連携協力の確保に努めることとされ、地域との連携を更に進めていく時代となった。矯正施設においては、その有する人的・物的な資源を活用した再犯防止への取組のみならず、地域創生策等の地域の課題解決にまで貢献できる新たな取組が始まっている。少年院においても、介護施設での介護補助、障害児入所施設での児童との交流、地域の清掃・環境美化、点字絵本の製作・寄贈、災害で汚損した写真の洗浄作業補助等、様々な社会貢献活動が行われている。
少年院は100周年を迎えた。これからの少年院は、地域に支えられるだけでなく、地域を支える施設として、地域社会と共に歩んでいくことが期待される。