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2 精神病理学的考察 すべての犯罪者は精神障害者であるなどということはできない。また,すべての精神障害者が犯罪者になるということもない。ただ,一部の精神障害者が,その精神障害のために自傷または他害行為(精神衛生法第二九条)におよぶのである。自傷行為は,犯罪を構成しないことが多いであろうが,他害行為は,ほとんどすべての場合,刑罰法規に触れるものと考えられる。しからば,どのような精神障害者が他害行為におよぶ可能性があるか,また,その可能性が大きいかということになるが,これまでの臨床例の集積は,これに関してある程度の回答をする。以下,精神衛生法第三条による精神障害の分類にしたがって分説する。
(一) 精神病と犯罪 ライシャワー大使傷害事件を機として「野放しの精神病患者」という批判が述べられたが,これと並んで,精神病患者はすなわち潜在的犯罪者であるとの考え方が,世間の一部にあるように思われる。しかしながら,実務的経験のうえでは,犯罪者のうち,精神病患者の比率は,一般人口のうちにそれが占める比率に比べると,むしろ低いと推定されている。また,精神病患者を対象とする病院などの実務家の見解でも,自傷はとにかくとして,他害のおそれのあるものは,比較的まれであるという。ただし,この点に関しての全面的な精神鑑定制度が整備されていない現況下においては,いまにわかに,正確なひん度を示すことはできない。
つぎに,精神病患者が犯罪をおかす場合,悪質重大の行為を犯しやすいであろうと常識的には考えられがちであるが,実務的経験によれば,必ずしもそうではない。むしろきわめて,軽微な窃盗などを犯し,そして精神鑑定を受ける機会が与えられず,そのまま,実刑に処せられているものが少なくない。刑務所においては,精神病にかかっている者を発見した場合には,速やかにその旨を検察官に通報して,刑の執行停止を求めるとともに,他方患者に対して,専門的治療その他適当の治療を施すことができないと認めたときは,情状により,その者を仮に外部の専門病院へ移送するよう取り計らっている。 つぎに,精神病患者を比較的多く発見するのは,二人も三人もの人間を同時に殺害したというような殺人犯人の場合である。ついで,老人の初犯者に多く,これらは,ともに,精神病患者のひん度が二〇%以上に達すると報告されている。疾患の種類としては,精神分裂病が最も多く,病的めいてい,てんかん,老人性精神病,中毒性精神病などがこれに続いている。 最後に注意すべきことは,精神病患者の犯罪があった場合,その犯罪行為を直ちに精神病の症状に結びつけて考えることは軽率であり,ときには,誤った結論を導くおそれがあるということである。犯行時の精神状態が問題であり,また,犯行と精神病症状とに直接的な因果関係が証明される(たとえば,幻覚や妄想観念から犯罪行動がじゃっ起されるという場合)ことが確証されねばならない。また,一過性の精神異常状態(たとえば,異常な興奮や感動状態)が犯行時にのみ認められ,犯行の前または後では,ほぼ正常とみなしうる場合もあり,精神鑑定に際しての現在の精神状態のみにとらわれて,犯行時の精神状態についての充分な考察や検討がなされないと,重大な過誤に陥る危険がある。あるいは,犯行後,とくに拘禁環境下において,しばしば見受けられるヒステリー反応や拘禁反応の荒々しい症状に幻惑されて,犯行時,正常な精神状態にあったことを見失うおそれがないではない。また,周期的精神異常や挿話的精神異常については,時期的にそれらが犯行時と一致しているか否かについての充分な検討が必要である。右に述べたことは,精神病と犯罪との関係を論ずることと直接関連するものではないが,参考として付記したのである。 さらに,精神異常者の犯罪については,現実の行為が精神病症状から直接ひきおこされるということは,予想に反してむしろ少なく,多くは,発病前の性格,生活体験および行為の動機となった心的刺激や犯行時状況によって,大きく影響されているものである。したがって,たとえ,ある犯罪者が精神病であると判明した場合においても,その調査に当っては,精神病であるという点にのみとらわれることなく,かれの全人間,人格の全体像をは握するための,必要にして充分な手続きをすべて踏まなくてはならないのである。換言すれば,ある犯罪者が精神病であるとしても,その人格およびその行為の考察に当っては,いわゆる力動的,全体的なアプローチを必要とするのである。 (二) 知能(とくに精神薄弱)と犯罪 知能は,環境や狭義の教育の力によっては,変更することのできない生得的,遺伝的なものとされている。したがって,それは,人格の重要な面として,その素質を考察する場合,必ずとりあげられてきた。
ことに,一九〇五年フランスにおいて,知的能力の測定の手段として発明されたビネー・シモン法は,約五年を経てアメリカに紹介され,間もなく,アメリカを中心に知能測定のブームをまき起こした。サザランドは,一九一〇年から一九二八年に至る間の犯罪者を対象とした知能に関する研究調査の数と,それぞれの報告に現われた精神薄弱の割合をIII-29表のようにまとめている。この表から明らかなように,研究者によって差はあるが,相当数のものが精神薄弱と認められた。なお,この間に(一九一四年)ゴダードのいわゆる犯罪者低能説(かれは「ロンブロ-ゾのいう生来性犯罪者とは要するに精神薄弱児のことである。」とした。)が発表された。 III-29表 犯罪者の知能に関する研究結果(サザランドによる1931年) しかし,その後,検査法が改良され,検査条件の統一を図るなどの工夫が重ねられるにつれ,犯罪者のうちに精神薄弱者の占める割合がそれほど多くないことが漸次明らかになった。他方,第一次世界大戦に際してアメリカで実施された陸軍検査(一九一七年)の結果,犯罪者と犯罪者となっていない一般国民との間に,知能の点では相違のないことが証明されるに至った(一九二六年)。このようにして,ゴダードの見解は根拠を失うこととなった。右に述べたように,犯罪者のうちに精神薄弱者の占める比率は,研究が進むにつれ,多少の変動はあるが,漸減の傾向をたどっているといってよい。ラウチットの調査によると,非行少年中に精神薄弱者の占める比率は,一九二五年から一九三五年までの間の七研究における中央値は一三%であったが,一九四五年から五〇年までの間の五研究におけるそれは五%に減っているとされている。 III-30,31表は,わが国の非行少年および犯罪者に関する諸調査に現われた精神薄弱者の割合の一覧である。これによると,わが国の研究結果においても,精神薄弱者の漸減の傾向が認められるように思われる。ただ,男子と女子とを比較すれば,女子に精神薄弱者の比率が高く(III-31表),ことに,売春防止法関係の婦人補導院収容者では,四〇%ちかくに達していることが注目される(III-30表)。なお,このIII-30表のうち,昭和二三年調査の二つの中等少年院在院者について六・一%という率が示されているが,少年院関係では,比較的重い精神薄弱者は医療少年院に送られるという事実があるので,医療以外の少年院では,全国の平均比率よりも低い比率となりうることに注意されたい。 III-30表 精神薄弱者の比率 III-31表 男女別精神薄弱者の割合 他方,知能指数の分布からみると,III-32表のとおりで,七〇から八九までの,いわゆる境界知の段階にあるものが多数を占めている。なお,法務省矯正局で行なった実態調査(昭和三一年-三三年)の結果では,III-33表のように,非行少年の知能構造は,動作的知能に比べ,言語的知能が劣っていることが明らかにされた(同種のことは,かつてウェクスラーもアメリカの非行少年について報告している。)。さて,境界知の段階にあるものは,一般に,劣等感と,その代償として高い欲求とをもっているものが多く,このような者は,行為の結果を考えることなく,洞察の不足と計画性の欠如のままに行動しやすい。劣等感を補い,欲求を満足するためには,自己の能力を正当に評価することができないまま,短絡的にまたは模倣的に行動しやすいのであって,このことは,犯罪や非行の決定要因として重要な役割を演じているように推察される(ちなみに,放火および性犯罪は知能の低いものによって行なわれることが多いとされている。)。III-32表 犯罪者・非行少年の知能指数 III-33表 少年院在院者の知能指数(ウェクスラー・ベルビュー法による) III-34表 知能と犯数 つぎに,知能と犯数との関係についてみると,一例として,神戸拘置所で昭和三八年中に刑が確定した者について調査した資料によれば,初犯者群が累犯者群よりやや高い知能指数を示し,累犯者群に,精神薄弱またはそれに近い程度のものが多いことが報告されている。最後に,前述したアメリカにおいて非行少年のうち精神薄弱の比率が低下したということについては,同国において精神薄弱者に対する特殊教育,保護育成対策が効を奏しつつあるとされる背景的事実の存在を付言しておこう。その一例として,アメリカで施設に収容中の精神薄弱者の数は,一九〇四年が一四,〇〇〇人,一九二三年が四三,〇〇〇人,そして一九五一年が一二〇,〇〇〇人と増加したとされている。いま,これに対比すべきわが国の正確な統計を持ち合わせていないのは遺憾であるが,思うに,精神薄弱者に対する治療教育,職業補導,専門施設への収容などが積極的に行なわれるならば,かれらが,社会不適応から救われて,犯罪や非行に陥る可能性が減少するのは当然である。 (三) 性格の異常と犯罪(精神病質について) 犯罪や非行の背景には,性格の病的な異常が大きな役割を占めているという趣旨の主張は,かなり古く,一七世紀の中ごろから存在した。一九世紀の初期には,「背徳狂」という概念が構成され,この種の異常者を狂人の一種とみなす考え方が支配的になった。この背徳狂という概念を明確に記載したのは英国の精神医プリチャードである。かれは一八三五年,その著「狂人論」の中で,感情,気分,性向,習慣,道徳的努力および衝動の病的な抑制欠如を特徴とする一群の精神障害をあげ,これを「背徳狂」と呼んだ。その後一三〇年の間,幾多の精神医学者や心理学者が,この「対人関係を結ぶうえに著しい困難を示す変り者」たちについて,各種の面から研究を進めて来た。
今日,一般の見解では,異常性格の成因について,その程度の著しいもの,すなわち精神病質といえども,生物学的な意味での疾患ではなく,遺伝性ないし先天性におきた個体全体の偏倚と考えられている。しかし,脳の疾患などにより,後天的に性格の変化をきたす場合もまれではなく,そして,その状態像は先天性または遺伝性の偏倚とほとんど変りのないことが少なくない。このような事例を仮性精神病質と呼ぶ。他方,アメリカを中心とする精神分析学派では,性格の形成に関して,生育史,ことに,幼少時における心理的体験を重要視する。すなわち,性格は,幼児期に両親やその他の養育者との関係の間で,発達的に形成されていくものであると考える。したがって,その著しいかたよりに対しては,神経症と同様に,生育史の心理的力動機制から理解できるものと主張する。この両派の理念には,根本的な対立があり,容易に統合できるものではないと思われて来た。しかし,近年しだいに,異常性格の成因を,いわゆる原因と,その内容を具体的に条件づける動因とに分けて考察する方向づけがとられ出して,ようやく両派の統合の気運がみられるようになった。すなわち,異常性格を原因的に等質なものとはみなさず,異質的なものの集合概念であるとして,その原因には,おそらく,生物学的偏倚,心理学的障害あるいは社会文化的異質がそれぞれ数種類にわたって組み合わされているものと考えようとする。しかも,その具体的発達の過程,すなわち動因に関しては,ことに,深層心理の力動機制を分析しなければ,ある人のある時点におけるその行為を理解することはできない。刑事学は,一面において,ある特定の行為との対決を目的とする場合の多いところよりして,法律学における判例研究や臨床医学における症例研究を統合したいわゆる事例研究の集積が要求されるのであるが,このことは,精神病質については,とくにそうである。 つぎに,現在わが国で,精神病質に関し最も広く用いられている考え方は,ドイツの精神医シュナイダーの定義とその類型であるといえよう。かれは,「正常人格からの偏倚であって,その異常性のために社会が悩まされるか,あるいは自身が悩むもの」を精神病質と定義した。そして,これを無体系的,現象的につぎの一〇種の類型に分けた。[1]発揚型 [2]抑うつ型 [3]自信欠乏型 [4]狂信型 [5]自己顕示型 [6]気分易変型 [7]爆発型 [8]情性欠如型 [9]意志欠如型 [10]無力型がそれである。しかし実際には,一人の精神病質者が数種の類型の複合体をなしていることが多い。たとえば,意志が弱く,同時に,情性の乏しい型は,常習性犯罪者の中で最もしばしば遭遇する類型の一つである。 ところで,人格(性格)は,全体性,独自性および持続性によって特徴づけられるものであり,しかも,常に,それ自体の内部から,あるいは,他者との関係によってある程度変化している,。とくに,思春期と更年期には変化が著しい。したがって,これらの時期に,一時的な社会的逸脱行動を示すこともまれではなく,時にそれが非行や犯罪として現われる。この種の異常性を精神病質とは呼ばないが,実際には,その診断は,かなり困難で,精神病質あるいは精神病と誤診されることも少なくない。 性格の著しいかたより,ないしは精神病質の診断基準の設定が困難なこととともに診断に関する技術的訓練の機会が乏しいために,全国的な規模でそのひん度を調査することはきわめてむつかしい。III-35表に非行少年について行なわれた若干の調査結果を示した。これによると,少年院収容者の二五%から五〇%は精神病質者と考えられ,これに軽い性格異常者を加えると,五〇%から八〇%にものぼる。つぎに,この表のうち,特別少年院三施設と中等少年院二施設の収容少年に関する調査(法務省矯正局,東大精神医学教室および東大医学部脳研究所などによる共同調査)において,精神病質またはその傾向と診断されたものにつき,シェナイダーの類型診断を行なったが,意志欠如型と考えられるものが最も多く,六〇%をこえている。ついで,発揚型および情性欠如型がいずれも二〇%以上を占めている。 III-35表 非行少年中の精神病質の割合 成人犯罪者については,終戦後の犯罪激増期に,東大精神医学教室が宇都宮刑務所の男子受刑者に対して行なった調査では,明らかな精神病質が三二・九%,その傾向を示すものを加えると,六五・二%と報告されている。また同じ頃,ある研究者は,東京拘置所において,受刑者中の明らかな精神病質者一七・〇%,その傾向を示すものを加えると四一・四%と報告した。その後,各種の犯罪者について多くの調査が行なわれているが,精神病質傾向を示すものまで含めると,初犯者では三〇%,累犯者では八〇%を越える報告が多い。常習性犯罪者についてシュナイダーの類型診断を行なった結果をみると,意志欠如型が七〇%以上を占め,情性欠如型と発揚型がこれについでいる。以上述べたとおり,常習性犯罪人のうちには,とくに多くの精神病質者がみられる。このことは,かれらの再犯への危険性がきわめて高く,したがって,刑事政策のうえで,かれらの本質を十分理解した対策が立てられなくてはならないことを意味している。それとともに,今後,かれらに対する医学的,精神療法的あるいは治療教育的働きかけが活発になるよう切に期待される。 |