前の項目   次の項目        目次   図表目次   年版選択
 昭和41年版 犯罪白書 第三編/第一章/一/2 

2 少年刑法犯の推移

 わが国近時の犯罪現象の一特色として,少年犯罪の増加が指摘される。戦争直後のような社会的,経済的混乱期には,犯罪が増加しやすいが,それらの状勢が安定すると,犯罪は減少するのが当然と考えられる。しかるに,わが国戦後の犯罪現象をみると,成人犯罪は,おおむね社会的,経済的安定に比例して減少傾向を示しているが,少年犯罪は,これとは異なった傾向を示している。
 このことは,刑法犯について顕著である。戦後の刑法犯少年検挙人員数の推移を,成人刑法犯検挙人員数の推移と対比してみると,III-1表のとおりであり,これを図示したのが,III-1図である。

III-1表 少年・成人別刑法犯検挙人員の推移(昭和21〜40年)

III-1図 少年・成人別刑法犯検挙人員人口比の推移(昭和21〜40年)

 III-1図によれば,昭和二三年ごろから昭和二六年にかけて,少年刑法犯は著しく増加した。しかし,この時期には,成人刑法犯も増加傾向をしめしており,これらは,戦後の混乱を反映したものと考えられる。すなわち,戦後の混乱が収まるにつれ,成人刑法犯は昭和二五年から,少年刑法犯もまた昭和二六年をピークとして,急速に減少していった。ところが,成人刑法犯がその後も引き続き減少傾向にある(最近数年の増加傾向は業務上過失犯の増加であることは別に述べた。)のに対して,少年刑法犯は昭和三〇年から再び増加し,その増加の割合もきわめて高い。そして,昭和三五年には,前述の昭和二六年のピークをはるかに上回ることになった。ちなみに,昭和三五年における少年刑法犯検挙人員は一四七,八九九人,少年人口一,〇〇〇人に対する割合(以下これを人口比という。)は一三・七であった。しこうして,少年刑法犯は昭和三五年以後も,やや増勢が緩慢になったとはいえ,増加傾向にあり,昭和四〇年に至ってやや減少傾向をみせたが,いまだ楽観を許さない状勢にあるといってよい。すなわち,昭和四〇年は,人口比において一四・七となり,前年に比し低下したが,検挙人員数は一九〇,八六四人で,前年に比して四二二人の増加となっている。
 右に述べた少年および成人の刑法犯検挙人員の推移を,さらに年令層別に比較してみよう。
 少年を一四歳ないし一七歳の年少少年層と一八歳および一九歳の年長少年層にわけ,成人を二〇歳ないし二四歳の青年層と二五歳以上の成人層の二群にわけて,それぞれの年令層別に刑法犯検挙人員および人口比を示すと,III-2表のとおりであり,これを図示したのがIII-2図である。

III-2表 刑法犯検挙人員の年令層別推移(昭和21〜40年)

III-2図 刑法犯検挙人員年令層別人口比の推移(昭和21〜40年)

 四つの年令層別に人口比の推移を図示すると,III-2図であきらかなように,刑法犯検挙人員の人口比およびその推移は,年令層によってかなりの差異がある。
 戦後二〇年間を通じて,一八,九歳の年長少年層および二〇歳から二四歳までの青年層の刑法犯検挙人員の人口比は,年少少年層および成人層のそれよりは常に高率である。しかし,これを年次別にみると,それぞれの年令層別人口比の推移は,昭和二一年以降,昭和三〇年ごろまでは,ほぼ同一の傾向にあったが,その後は,各年令層の推移は,著しく異っている。すなわち,成人層では,だいたい漸減の傾向を続けている。ところが,二〇歳から二四歳までの青年層では,引き続き高率のままで,ほぼ横ばい状態を保っている。これに反して,年長少年層および年少少年層では,昭和三〇年以後急激に上昇しはじめた。とくに,年少少年層の増加率は高く,昭和三一年のこの年令層の人口比は七・二であったが,昭和四〇年には一四・一であり,この一〇年間に約二倍に増加している。
 年少少年層の刑法犯検挙人員は,急激に増加したために,その層の人口比は,年長少年層の人口比に近づきつつあることに注目しなければならない。
 また,年少少年層ほどではないが,年長少年層の増加率は高く,その人口比は,最近では,青年層のそれとほぼ同様であり,両層の間に差異がみられなくなってきていることも注目に値する。
 つぎに,前掲III-1表によって,全刑法犯検挙人員中にしめる少年刑法犯検挙人員の割合をみよう。昭和二一年から昭和三二年までの一二年間は,約二〇%程度であったが,その後,この割合はしだいに増加して,昭和三八年には二八・七%にまで達した。これは,成人刑法犯検挙人員の推移が停滞ないしは減少傾向にあるのに対して,少年刑法犯の増加の勢いが大きいことを示している。しかし,昭和三九年,四〇年では,成人刑法犯は,主として業務上過失犯の増加によってやや上昇し,少年の刑法犯の増勢が弱まったために,全刑法犯中にしめる少年の割合は,わずかながら減少し,昭和四〇年のそれは二七%である。