篤志面接委員は,矯正施設の職員とは異なる立場から,広い識見と専門性を持って被収容者を理解し,彼らが人間的に成長し変容するよう支援している。篤志面接委員 渡辺道代 氏は,「障害者と健常者が一緒に働ける場を作り,両者を結び付けるキューピット役を果たしたい。」という思いから,昭和62年にダイレクトメールの封入・発送を手がける株式会社キューピットワタナベを起業し,その後,協力雇用主(第2編第5章第5節4項(3)及び本編第3章第1節3項(2)イ参照)として刑務所出所者等も従業員として受け入れるようになった。そうした多忙な仕事の合間を縫って,平成3年から篤志面接委員となり,以後,20年以上にわたってその活動を続けている。現在では,多摩少年院及び立川拘置所に月1回訪問し,被収容者と個人面接を行っているほか,府中刑務所に月2回訪問し,就労支援に関する講話も行っている。
渡辺氏は,個人面接を行う際の心掛けとして,「自分自身が話をするのではなく,被収容者本人の思っていることを聴くこと」,「被収容者本人の頑張りを見守り,主体性を奪わないこと」を大切にしているという。また,他人から言われて何かをやるのは誰にとっても嫌なので,篤志面接委員としての自分の思いは伝えるが,最終的な決断は本人がするという姿勢で関わるようにしているとのことである。そのほか,「頑張って。」という言葉は,時に「自分一人で頑張って。」というニュアンスで受け止められかねないことから,「一緒に頑張りましょう。」と声掛けをするよう配意しているという。
少年院では,入院当初は個別担任の法務教官と反りが合わず,そのことを個人面接の場で泣きながら訴えてくる少年もいるという。そうした際に,「それは違うよ。」と諭したくなる気持ちもあるが,それでは,せっかく話をしてくれた少年が話をしてくれなくなってしまうため,頭ごなしに否定するのではなく,必ず一旦受け入れて話を聴くようにしているとのことである。そのような少年も,最終的には個別担任の法務教官の思いが伝わり,「あの先生が自分の担任で良かった。」という言葉を残して出院していくことが多いが,個別担任の法務教官には言いにくいことも,外部の篤志面接委員には話してくれることがあり,そうしたところに篤志面接委員の意義があるように思うという。ただし,こうした篤志面接委員の活動は,地域社会の人々だけでなく,矯正施設の職員にさえ十分には知れ渡っていないように感じられるともいう。
渡辺氏は,時折,周囲の人々から「どうして犯罪者や非行少年の味方をするのか。」,「彼らと接するのは怖くないか。」と尋ねられることがあるという。そうした疑問に対して,渡辺氏は,「誰からも手を差し伸べられないでいる人たちに手を差し伸べたいという思いがあってこれまで関わってきたけれども,一度も怖いと思ったことはない。協力雇用主としても感じることだが,きっかけさえ作ってあげれば頑張ることのできる人が多い。知らないと怖いと思うかもしれないが,初めから犯罪者になろうと考えている人はいないはずで,不幸にして罪を犯した人も幸せになる権利はあると思いながら彼らと接している。」と述べる。刑務所出所者や少年院出院者の立ち直りは,こうした多くの熱心な民間の篤志家によって支えられている。