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平成22年版 犯罪白書 第7編/第2章/第4節/1

1 事例の紹介

(1)大学在学中に遊び感覚の軽い気持ちからいわゆるオヤジ狩りを重ねて受刑した20歳代男性

【事案の概要】

欲しい物は何でも買い与えられるなど,親から過保護に育てられ,大学入学後は,親に買ってもらった高級車を乗り回すなど,遊興中心の生活を送っていた。

本件は,大学在学中に,友人と共に,深夜の路上で通行中の中年男性から金員を強取するなどの犯行を繰り返したという事案であり,強盗致傷及び窃盗により懲役3年6月の実刑判決を受けた。

【刑事施設における状況】

本人は,わがまま放題に育てられ,自己の欲求に支配されて,先のことを考えないまま行動する傾向が強かったが,刑事施設内での規律ある集団生活を経験することで,軽率な行動を慎むようになり,刑務作業を通じて,辛抱強く計画的に物事に取り組む姿勢を身に付けていった。また,逮捕後に,被害者に与えた痛みや恐怖に気付き,謝罪の手紙を送るなどしていたが,刑事施設での指導を通じて,被害者に対する慰謝の在り方等についても深く考えるようになった。さらに,親や兄弟との面会等を通じて,家族の有難さを改めて実感し,事件によって家族にも辛い思いをさせてしまったことを反省した。

【保護観察の経過】

釈放後の住居を両親のもととして仮釈放が許され,保護観察が開始された。保護観察を実施する上では,就労や交友関係の在り方を中心に指導が行われたが,過去の生活態度を十分に反省して出所した本人は,当初から保護観察官や保護司の指導によく従い,出所直後から求職活動を行って,まじめにアルバイトの仕事に就き,保護観察期間中,交友関係や余暇の過ごし方にも問題は見られず,安定した生活態度を維持した。毎月2回,約束どおりの日時に保護司を訪問して生活状況を報告し,就労等に関する指導や助言を受けた。

保護司は,「本人は懸命に社会復帰への道を模索している。その姿勢は極めて真剣でまじめである。」と評価していた。

なお,保護観察期間終了後,本人は,刑事施設で取得した建設機械の運転の資格を活かして建設会社の正社員として働くようになり,結婚して子供にも恵まれるなど,堅実な生活を送り,仮釈放から数年が経過した時点で,恩赦(復権)を受けている。

(2)ホームレス状態で強盗を犯して受刑した40歳代男性

【事案の概要】

身体的な障害に加え,知的能力も若干劣っていたことから,小学校入学直後にいじめに遭い,中学を卒業するまで,ほとんど不登校状態を続けた。幼少時に実母が家出し,中学時代に実父が死亡したことから,児童養護施設に入所した。中学卒業後,児童養護施設を出て,住込みで働くようになったが,不遇な家庭環境に加え,小学校時代からいじめを受けていたことなどから,本人は,対人不信感が強く,自分に自信を持てない気弱な性格から,職場での人間関係をうまく結べずに転職を重ねていた。その後,40歳代半ばに就職した工場で同僚たちから執拗ないじめを受けたことから,衝動的に工場を飛び出し,自暴自棄的にホームレス生活を送るようになり,所持金を使い果たしたことから,店舗強盗を犯し,懲役3年の実刑判決を受けた。

【刑事施設における状況】

本人は,対人不信感が強く,刑事施設でも,当初,集団生活になじむことができず,集団で実施される生活指導では,自分の考えに固執し,刑事施設の職員や他の受刑者の意見や助言を率直に受け止めることができない頑なな態度を示していた。しかし,職員の親身な指導や助言によって,徐々に心を開き,他人の意見や助言にも耳を傾けるようになって,対人不信感も次第に薄れ,他の受刑者とも協調して生活するようになり,行動にも積極性が見られるようになっていった。

【保護観察の経過】

頼るべき親族がなかったため,更生保護施設を帰住予定地として仮釈放が許され,早期に就労すること,堅実に生活を送ることなどを処遇方針として保護観察が開始された。本人も,保護観察官や更生保護施設職員の指導・助言を素直に受け止め,早期就労が第一の課題であると自覚し,出所直後から連日ハローワークに通って求職活動に励み,採用面接まで至っても不採用になるということを重ねながらも,くじけることなく,約2か月間求職活動を続け,市内の工場に採用された。また,その間に,更生保護施設職員の助言を得て,身体障害者手帳も取得した。工場に採用された後は,一度も欠勤することなく,まじめに働き,そのことで自信も徐々に回復してきたのか,更生保護施設内においても職員や他の在所者と円満な関係を維持し,成績良好の状態で,期間満了により保護観察は終了した。

(3)酒やギャンブルに溺れ,経済的に行き詰まったことなどから,うっ屈した気分を晴らすために放火を重ねて受刑した50歳代男性

【事案の概要】

少年時に窃盗の非行歴があるものの,成人してからは,建設関係を中心に継続的に就労し,結婚をして子供をもうけ,普通の社会生活を送っていた。ところが,妻の浮気が原因で離婚して単身生活をするようになり,職場での人間関係がうまくいかなかったこともあって,嫌なことを忘れたいとの思いから酒やギャンブルに溺れ,その遊興費を捻出するため,サラ金に手を出すようになった。やがて,サラ金数社への債務が返済不能なほど多額になり,打開の道も見出せなかったことから,自暴自棄になり,うっ屈した気分を晴らすため,飲酒酩酊した上でアパート等に放火することを繰り返し,現住建造物等放火及び非現住建造物等放火により懲役7年の実刑判決を受けた。

【刑事施設における状況】

刑事施設において,職業訓練を受け畳や塗装の技能を学び,出所後の職業生活に対する自信を回復していくとともに,苦しい状況に陥っても逃避せずに頑張るという忍耐強さも徐々に身に付けていった。また,生活指導により,犯行当時の生活状況や問題行動を振り返り,飲酒やギャンブルで憂さを晴らそうとしても解決にはならないことなどに気付き,飲酒やギャンブルに依存しない生活の在り方を考えるようになった。受刑当初は,頼るべき親族もない状態であったが,受刑中に,ある親族が本人の引受けを申し出て,「人間は弱いものである。自分も完全ではない。今後の更生を誓うなら,できる限りの支援をしたい。」との考えから面会等を積極的に行ってくれたことで,本人の更生意欲は一層高まっていった。

【保護観察の経過】

前記の親族を引受人として仮釈放が許され,断酒継続,仕事中心の堅実な生活の維持等を処遇方針として保護観察が開始された。本人は,出所後間もなく,引受人の援助により,建設関係の職に就き,強い意欲を持って就労に励んだ。断酒については,その必要性を十分に自覚し,保護観察官の勧めで断酒会に入会し,定期的にミーティングに参加するなどして,断酒を続けた。

さらに,引受人から,二度と犯罪を繰り返さないためには負債を整理することが必要だとの助言を受けたことから,同人に紹介された弁護士を通じて,借入金の整理を進めることにした。また,本人は,受刑中から被害弁償を行わなければならないと考えていたことから,弁護士に相談し,被害者との間で示談を成立させた。

本人なりに当時の問題を解決することができたことから,更生意欲に更に弾みがつき,その後も,仕事中心の堅実な生活を送り,次第に引受人以外の親族との交流も深まり,疎遠であった実子との交流も復活し,成績良好の状態で,期間満了により保護観察は終了した。

保護観察終了間際には,保護観察官に,「親族とにぎやかに年末年始を過ごすことができ,忘れていた正月の楽しさを思い出しました。これも保護司の先生方のおかげです。」と,周囲への感謝の言葉を述べていた。

(4)保険金目的で親族を殺害し,無期懲役により受刑した30歳代男性

【事案の概要】

中学卒業後,工員として働き,結婚後,妻の実家の援助を得て独立し,町工場を経営していた。ところが,独立してから数年で経営不振に陥り多額の負債を抱えるに至り,生命保険金を得る目的で,遊び仲間と共謀して親族を殺害し,殺人により無期懲役の判決を受けた。

【刑事施設における状況】

本人は,逮捕後の取調べや裁判の過程で,自己の行為を振り返ることで,その非道さにがく然となり,悔悟の念を抱いた。

受刑中は,毎日朝晩の読経を重ねるとともに,宗教教誨も積極的に受け,被害者の供養を続けた。また,生活指導により,犯行当時の生活を振り返り,自信過剰で自己顕示欲が強かったために実力以上に背伸びをして事業を拡大させようとし,そのために経営不振に陥ったことに思いが至るとともに,平然と親族を殺害することができた自分の自己中心性を改めて認識し,今後は自分のためではなく他人のために生きるような人間に変わっていかなければならないと強く思うようになった。そうした決意は,受刑態度にも表れ,刑務作業やその他の諸活動において,刑事施設の職員の指導や助言を素直に受け入れ,他の受刑者とも協調して献身的に取り組む姿勢を示していた。仮釈放の審理のための面接においては,「人に尽くすことの尊さを知りました。」と述べている。

【保護観察の経過】

約17年間,受刑した後,50歳代で,親族に引受け可能な者がなかったため,更生保護施設を帰住予定地として仮釈放が許された。保護観察は,まずは求職活動に関する指導を重点的に行うという方針で開始された。また,長い受刑生活によって社会適応能力に不安が持たれたことから,1か月間,同施設で中間処遇(社会適応訓練)が実施されることになり,更生保護施設職員の同伴を得て,ハローワークや市役所等に出向き,就労に必要な手続の進め方等を学ぶとともに,更生保護施設内でのグループワーク(ロールプレイングによって社会適応能力を高めていく生活技能訓練等)に参加することで,対人関係能力の向上を図った。こうした指導が効を奏し,中間処遇の実施中に工場での就職が決まり,更生保護施設からの通勤を経て,職場の寮に転居した。

しかし,間もなく,工場で使用されていた化学物質が体質に合わず,体調に異変を来したため,担当保護司の紹介で,別の会社に転職し,見習期間における勤務態度が認められ,正社員となり,仕事に精勤した。「自分にできることは,何でもやりたい。」と述べるとおり,本来の仕事のほか,職場の環境整備等の雑役も積極的に行い,会社に溶け込もうとする努力がうかがわれた。また,本人の事情を承知していた雇用主は,年金資格のない本人にとっては就労を続けることが何より重要であると考え,定年を超えてもなお本人の雇用を継続した。

本人は,保護司にしばしば「先生(保護司)のおかげです。」という言葉を述べ,就職のほか生活全般にわたって親身になって更生を支えてくれた保護司に深く感謝している様子がうかがわれた。

職場の同僚や近隣の住民とも,一緒に囲碁や短歌を学んだり,野菜を育てて近隣に配ったりするなどし,良好な付き合いを続けた。また,被害者の慰霊を忘れたことはなく,毎日自室において被害者の冥福を祈り,被害者の菩提寺への送金を続けるなど,慰霊に努めた。

約20年間,このように,仕事中心の堅実な生活を続けていたが,急死し,保護観察は終了した。

【担当保護司からの聴取り】

保護司は,本人の社会復帰に大きく影響した要因として,「過去は過去であり,今うまくいっているかどうかが大切。本人は,会社で働き続けたことで,生活の安定を得るとともに,『受け入れられる安心感』と『頼りにされている自負』とを持つことができたのではないか。更生を願う対象者にとって,『環境』をいかに整えるかが非常に重要だと感じた。」,「よき会社(雇用主)との出会いが第一であり,その出会いを大切にし,会社の恩に報いるため,一生懸命仕事に取り組み,それがまた会社の信頼を生み,雇用継続につながるといった好循環を生み出したことが良かった。」と述べている。

なお,本人の就職は,保護司の紹介によるものであったが,この点につき,保護司は,「生活の糧を得るには就労が不可欠であったが,本人が生活歴のない土地において自力で仕事を探すのは困難であった。そこで,知人の経営する会社の中から,本人に適した職場を選び,雇用主にのみ事情を打ち明けた上で面倒を見てもらうこととなった。その後は,折に触れて雇用主から本人の仕事ぶりを確認するとともに,本人に対しては,雇用主が勤務態度を高く評価していることを伝え,仕事が続くよう援助した。」と説明している。

また,本人は,職場の同僚や近隣の知人等と積極的に交流していたが,この点につき,保護司は,「本人なりに,二度と間違いを犯さないために,信頼できる人の間に自分の身を置こうと考えていたのだと思う。自分の弱さを自覚していたからこそ,学ぶ努力や良い環境を作る努力をしたように思う。職場や近隣住民に,積極的にいろいろなことを聞き,良好な人間関係を作っていった姿は,印象的であった。」と振り返っている。