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 平成18年版 犯罪白書 第6編/第2章/第3節/1 

第3節 社会的背景と国民の意識

1 犯罪情勢とその社会的背景

 平成元年版犯罪白書は,我が国の犯罪が少ない理由として,「遵法精神に富む国民性,経済的な発展,低失業率,教育の高水準,地域社会の非公式な統制の存在,島国である地理的条件,刑事司法運営に対する民間の協力,銃砲刀剣類や薬物の厳重な取締り,高い検挙率で示される効果的な警察活動及び刑事司法機関の適正かつ効果的な機能等」を挙げた。
 しかし,これらの諸要因について,現在の状況を見ると,我が国の社会それ自体が有する犯罪抑止機能が多くの点で低下したといわれている。
 近年の犯罪白書では,犯罪情勢悪化の実相を明らかにするため,様々な特集を組んで,統計的,数量的な分析だけでなく,犯罪情勢の背景となる社会的要因の分析を試みている。
 例えば,平成14年版犯罪白書は,昭和末期から平成初期のいわゆるバブル経済が崩壊して以来,長期に渡って経済不況が続き,この間,大企業の倒産,金融機関の破綻,リストラの強化,完全失業率の上昇等の事態が続出し,これが近年の犯罪情勢に深く関わっていると述べるとともに,家庭・学校における教育機能の低下,社会の規範意識の希薄化,地域社会の連帯機能の低下等,我が国において伝統的に犯罪を抑止する機能を有していた諸要因がいずれも弱まってきたことを,近年の犯罪動向の背景の一つであると指摘した。
 また,平成16年版犯罪白書は,新受刑者・保護観察対象者の無職率の上昇からうかがわれる長引く不況の影響,平均世帯人員の減少及び離婚率の上昇の背景にあると思われる家族的結合の希薄化,聞き込み捜査を端緒にして主たる被疑者を特定した事件の数及び比率の減少から推察される捜査機関に対する国民の協力意識の低下等を指摘した。
 今,こうした社会的な諸要因の変化が犯罪情勢に与える影響の分析と,より実効性のある対策の立案・実施が求められている。そのためには,まず,犯罪情勢と社会的な諸要因との関連を客観的データに基づいて冷静に分析することが必要であろう。
 しかし,犯罪情勢には,数多くの社会的要因が複雑に絡み合って影響を与えていると考えられる。犯罪情勢に影響を与える社会的要因をデータに基づき特定したり,その要因と犯罪情勢との関係を明らかにすることは容易なことではない。あくまで多くの仮説の中の一つとして指摘できるにすぎない場合も多いであろうし,一部の要因のみを取り上げて論ずることが適切でない場合もあるかと思われる。
 ここでは,これらを前提とした上で,近年の犯罪白書が,犯罪情勢の背景となる社会的要因の一つとして共通して指摘している経済情勢に関係するデータについて見る。
 昭和55年以降の完全失業率の推移は,6-2-3-1図のとおりである。

6-2-3-1図 完全失業率の推移

 一般刑法犯の認知件数の推移と同様に,完全失業率は第II期の初め前後から上昇し,平成14年に近年で最も高水準を記録したが,15年以降は低下傾向にある。
 認知件数や失業率の推移を見ると,不況の影響による失業率の上昇が一般刑法犯の認知件数の大部分を占める財産犯を増加させるなどの影響を与え,同様に,失業率の低下が,犯罪を減少させる方向で影響を与えたものとうかがうことができる。
 失業率の推移が財産犯の増減に影響を与えている蓋然性はかなり高いとの指摘もあり,これを前提とすれば,犯罪を犯した者等,特定の対象者に対する就労支援等の雇用対策は,犯罪抑止のための有効な施策の一つであるということができよう。
 他方,既に我が国は,世界でもまれに見る少子高齢化社会に移行しており,経済のグローバル化や規制緩和の進行等も社会の変化を速めている。地域における人間関係の希薄化,高度ネットワーク社会の出現等の社会情勢の急速な変化は,犯罪情勢に影響するとともに,今後,予想もしない新たな類型の犯罪を次々と出現させるおそれもある。そのため,過去のデータを積み上げることによって犯罪情勢に影響を与える社会的要因を特定し,将来の犯罪動向を予測することは困難化している。
 近年,我が国においては,金銭万能主義や個人の願望充足を最優先するような風潮が広まっているが,他方において,犯罪情勢の急激な悪化は,こうした社会の在り方に対する疑問や反省を促しているとも思われる。
 こうした社会状況及び犯罪情勢を踏まえると,犯罪原因を特定し,その犯罪からいかに国民や地域社会の安全を守るかという観点ばかりではなく,いかなる類型の犯罪に対しても強い抵抗力を持った社会をいかに築いていくかという観点を重視すべき時期にきているのではないだろうか。地域社会においては,住民の自主的防犯活動が活発化するなど,既に国民意識の変化の兆候が現れている。
 今後の刑事政策を考えるに当たっては,社会全体の犯罪抑止機能を強化するという観点から,家族を含めた地域社会の在り方や我が国自体の在り方について,改めて考え直し,「犯罪に強い社会」を築き上げることが重要になってくると思われる。