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 昭和39年版 犯罪白書 第三編/第一章/四/9 

9 医療,衛生

 昭和三七年に,刑務所,拘置所などの被収容者でり病したものの人員は,五三,七二七人で,前年よりも二・五%増加している。そのうち,入所後の発病者は四二,二一三人(七八・六%)で,III-42表のとおり前年よりも,一,七七三人(四・四%)の増加であった。昭和三七年の一日平均収容人員は,前年に比較して,減少しているのであるから,被収容者のり病率は,わずかではあるが上昇したといえよう。

III-42表 り病者の発病区分および転帰事由(昭和33〜37年)

 これらのり病者について,休養(医療をうけて,二日以上休養したもの),非休養(休養しないが,医療をうけて三日以上治ゆするに至らなかったもの)別にみると,昭和三七年では,休養者は二三,七四七人(四四・二%,昭和三六年は,二三,八四〇人,四五・五%)であった。また,治ゆ者の割合は,休養者では七〇・八%(前年は七一・二%),非休養者では八一・五%(前年は八一・三%)で,社会一般の治ゆ率(八八・七%)よりやや低い。それは,未治ゆのまま出所させなければならない理由があることにもよる。同様の理由で,り病日数についてみても,昭和三七年では,休養者ひとりあたり七一・七日(昭和三六年は七五・四日),非休養者五九・三日(昭和三六年に五三・五日)で,社会一般のり病日数一二九・二日よりは短かくなっている。
 死亡者(刑死を除く)の数は,被告人,被疑者を合わせて,昭和三八年には,一一一人で,前年より二一人少ない。死亡者の内訳は,病死が大部分を占め(九三人),変死は一八人であった。変死は,半数が自殺で,そのほか,被収容者間のけんかの傷によるもの,メチール・アルコール盗飲,睡眠剤の中毒死などである。施設における死亡率は,一日平均収容人員に対して,〇・一七%にすぎず,社会一般の〇・七五%に比較し,かなり低い。その理由は,社会一般と年齢構成に差のあること,病死については,刑または勾留の執行停止の配慮をしていること,変死については,そのような事故の起らないように日夜注意していることなどによるものである。なお,昭和三八年に,疾病によって,刑の執行停止をしたものは一三六人,勾留の執行停止をしたものは一七〇人である。
 施設の衛生管理上,もっとも注意を要するのは,伝染病の発生である。この予防のため,全国四四か所に防疫センターを設け,昭和三八年には,延べ二四一,二五一件の検査を行なった。その結果,伝染病の発生は,著しく減少し,昭和三八年には,真性,疑似をあわせて,赤痢二五名,パラチフス一名にとどまった。
 刑務所における医療衛生は,受刑者や未決拘禁者の健康維持のため,必要不可欠な業務であるが,これに従事する医師は,定員(二二〇人)を充足することが困難なため(昭和三九年三月一日現在二〇三人),昭和三六年から矯正医官修学資金貸与制度が設けられ,昭和三九年三月末現在で五〇人に対し修学資金が貸与され,すでに九人の修了者(うち七人は,昭和三八年修了)が矯正医官に採用された。
 また,全国矯正施設の医師を中心に,日本矯正医学会が組織され(昭和三九年四月一日現在会員数八一五人),日本医学会第五二分科会として,毎年一回大会(昭和三八年度大阪,昭和三九年度東京)を開催しているほか,機関誌「矯正医学」(季刊)を発刊し,矯正施設被収容者処遇の科学化に努力している。また,昭和三八年秋には,第二回国際矯正医学会がウィーンで開催され,矯正医官三名が派遣された。