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 昭和39年版 犯罪白書 第一編/第一章/二 

二 最近における暴力犯罪の傾向

 まず,終戦以後における暴力犯罪の推移をみよう。後に,第三章において述べるとおり,何を暴力犯罪とするかについては議論の存するところであるが,ここでは殺人,(尊属殺人を含む)強盗(同致死傷,同強かんを含む),強かん(同致死傷を含む),傷害(同致死,同助勢,尊属傷害致死を含む)暴行,逮捕監禁(同致死,尊属に対するもの含む),脅迫,恐かつの八罪種を主要暴力犯罪としてとりあげることとする。I-4表は,この八罪種の合計の発生件数および検挙人員数の推移を示すものである。

I-4表 主要暴力犯罪の発生件数,検挙人員数およびその人口対比率(昭和21〜38年)

 この表によって明らかなとおり,主要暴力犯罪の発生件数および検挙人員数は,戦後急増し,昭和二五年をピークとして翌二六年には一時減少したが,二七年からは再び増加を続け,発生件数は昭和三四年に一八三,〇一九件,検挙人員は昭和三三年に一七七,一八三人の最高数に達した。しかし,その後昭和三五年,三六年の曲折を経て後は,昭和三七年,三八年と若干減少している。
 いま,その増減の状況を,有責人口一〇万人に対する比率によってグラフに示すと,I-5図のとおりである。このグラフによって,人口対比率の推移も,発生件数のピークが昭和三三年であるほかは,さきに述べた実数の推移とほぼ同じ傾向を示していることがわかる。

I-5図 主要暴力犯罪発生件数,検挙人員数の有責人口10万人に対する率(昭和21〜38年)

 そこでこれを刑法犯全体の動向と対比してみよう。刑法犯全体の発生件数と検挙人員数の人口対比率をグラフによって示した前掲I-2図と,右のI-5図とを対照してみると,両者の間に大きな差異のあることが一見して明らかである。すなわち,刑法犯全体では発生件数は戦後の昭和二三年をピークとして漸減し,検挙人員数は昭和二五年をピークとして同じく漸減し,いずれも昭和三一年以降は,ほぼ安定した姿を示しているのに,主要暴力犯罪においては,多少の曲折はあるにしても,昭和三三年のピークに向かって増加の一途をたどってきたのである。昭和三三年,三四年頃から,暴力犯罪が社会の大きな問題としてとりあげられるに至ったのも,まことにもっともなこととしてうなずかれるのである。しかし,さきにも述べたとおり,主要暴力犯罪はその後減少し,ことに昭和三七年,三八年には,その事実がやや質著にみとめられるように思われる。
 このような状況のもとにおいて,われわれは,暴力犯罪の問題は既に峠を越えたものとして,意を安んずることが許されるであろうか。この問題については,後に第三章において,さらに立入った考察を加えるので,詳細はそこに譲るが,現下の暴力犯罪中には,さしあたりその数において,やや減少した部分もあるが,その発生状況等をみるとき,なお,楽観を許さぬ多くの問題を含んでいるのである。いま,そのうちの特に重要な二,三の点を指摘してみよう。
 第一の問題は,少年の暴力犯罪の増加である。前回の犯罪白書において,昭和三七年に刑法犯で検挙された少年の数が,戦後最大の数に達したことを指摘したが,その数は昭和三八年においてさらに増加し,一七四,三五一人に達した。その増加の傾向を罪種別に区分してみると,最も顕著な増加を示しているのが,粗暴犯を中心とする暴力犯罪である。I-5表は,最近一〇年間に,主要な粗暴犯的暴力犯罪によって検挙された少年の数の推移を示すものであるが,この一〇年間に暴行は四倍近く,傷害は一・六倍強,脅迫は二・五倍近く増加している。さらに増加の勢いは,恐かつにおいて著しく,昭和二九年に二,九一五人であったものが,昭和三八年には一四,六三六人と,実に五倍強の増加におよんでいるのである。これを,それぞれの罪名によって検挙された総人員と対比してみると,I-6表のとおりで,各罪とも少年の占める比率がしだいに上昇しているが,とくに恐かつにおいては,総検挙人員の六割を少年が占めるに至っている。

I-5表 少年粗暴犯検挙人員の推移(昭和29〜38年)

I-6表 粗暴犯検挙人員中少年の構成比率(昭和29〜38年)

 そこで,この増加の著しい恐かつについて,少年の年齢別にこれを検討してみると,さきに述べたように,この一〇年間に,少年の検挙人員は総数において約五倍の増加をみたのであるが,一八,一九才の年長少年においては二・七倍,一六,一七才の中間少年においては,四・五倍であるのに対し,一四,一五才の年少少年においては一一・四倍の増加を示している。しかも,このような現像は,程度の差こそあれ暴行,傷害などの他の粗暴犯的な犯罪にもみられるところなのである。暴力犯罪全体の数は,やや減少の傾向にあるとしても,そのうちに占める少年の比率がこのように増加し,しかも,それが一四,一五才の低年齢層において,とくに著しいということは,看過することのできない点である。
 第二の問題は,暴力組織の動向である。暴力組織の正確な実態をは握することは困難であり,統計的にこれを示すことは不可能に近いともいわれる。そこでさしあたり,取締り当局がは握している資料によれば,暴力組織の数は五,〇〇〇団体をこえ,その構成員数は年年増加のすう勢にあり,しかも,その構成員中に占める犯罪前歴者の率も増加している。I-6図は,警察のは握した暴力組織構成員の数およびその中に占める前歴者の比率の最近の動向を示すものである。構成員の数の増加は,警察の調査の進行度によって影響されるとしても,ひとたび検挙の対象となった前歴者の動向は,より正確に実態をあらわしているものとみることができるであろう。いずれにせよ,昭和三八年において,構成員数は一八四,〇九一人におよび,前歴者比率はその八二・七%に達しているとされていることは注目すべき事実である。

I-6図 暴力組織構成員および前歴者の推移(昭和33〜38年)

 さらに,近時における暴力組織の動向として,組織の系列化,広域化という現像があげられる。すなわち,大都市を中心とする一部の強力な暴力組織は,その勢力範囲の拡大をはかり地方中小都市の暴力組織に働きかけ,これを自己の系列下におこうとする動きがみえる。警察庁の調査によれば,昭和三五年から三七年までの三年間に,構成員数一〇〇人未満の暴力組織の数は,ほぼ横ばいの状態にあるのに,構成員数一〇〇人以上の暴力組織は五八団体から一〇三団体と約一・八倍の増加を示し,さらに,二つ以上の都道府県にまたがって勢力を有する暴力組織は六七〇団体から一,〇二〇団体へと一・五倍の増加を示しているのである。
 このような動きは,必然的に,地方の中小暴力組織との衝突を招き,また大暴力組織相互の対立抗争をひき起すこととなる。暴力組織の対立抗争事件は最近しだいに増加しており,警察庁の調査によれば,昭和三三年の七〇件に対し,昭和三八年には一二三件を数えるに至り,しかも,そのうちの半ば以上は,二つ以上の都道府県にまたがる広域暴力組織が介入している事犯となっている。
 さらに,これと関連して見のがすことのできないのは,暴力組織による凶器の保有の問題である。もとより,かれらの手に,どの程度の凶器が隠匿されているかを明らかにすることはできないが,相次ぐ取締りにもかかわらず,暴力組織構成員から押収される凶器は減少するどころか,逆に増加しているように思われる。暴力組織関係犯罪で押収された凶器は,昭和三八年にはけん銃三三〇丁,けん銃以外の銃砲二六四丁,刀剣類三,三四六口で,五年前の昭和三四年と比較すると,けん銃,刀剣類は二倍以上,その他の銃砲は三倍をこえる数に達している。このような凶器は,主として暴力組織相互の抗争にそなえて隠匿されているのであろうが,右の数は,たまたま刑事事件発生の際に,発見押収されたものにすぎず,いわゆる氷山の一角ともいうべきものであるとすれば,全国の暴力組織によって隠匿保有されている凶器の数は,その何倍かに相当するものと考えなければなるまい。
 以上述べてきたように,暴力犯罪は最近若干の罪種については減少の事実が見られるとはいえ,いまたやすく楽観を許さない種々の問題を含んでいる。そしてこの問題は,それ自体十分警戒を要するところであるが,さらに,将来,また再び,前記一種を含めて数の上でも,全般的に増加するにいたるおそれなしとはしない。したがって暴力問題については,今後とも不断の注意を怠らず,国民すべてが暴力なき真の民主主義社会の建設に向かって,いっそうの努力をつくす必要があると思われるのである。