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昭和三六年中に,全国の検察庁で処理した事件の被疑者の総数は五,〇三〇,四九三人であるが,この年間処理総数は,昭和三二年以来逐年増加しており,昭和三二年の処理総数を一〇〇とする指数により,その増加の状況を示すと一四八と増加している。これを処理区分別に示すと,II-13表のとおりである。
II-13表 処理区分別被疑者総数(昭和32〜36年) この表で,まず目だつのは,検察庁間の移送の率が,昭和三二年は全処理数の一八・一%であったが,逐年その率が上昇し,昭和三六年には二三・五%に達し,その実数も,昭和三二年を一〇〇とすると一九二の増加を示している。これは道交違反事件の増加に伴い,検挙地の検察庁から,被疑者の居住地を管轄する検察庁への移送が,増加したためと考えられる。次は起訴率であるが,これも逐年上昇しており,その実数も,昭和三二年以後逐年増加し,同年を一〇〇とすれば,昭和三六年の指数は一五一となっている。これに反して,不起訴の率は,昭和三二年には一九・七%であったものが順次低下し,昭和三六年には一二・〇%にまで下がっており,実数も昭和三二年を一〇〇とすると,昭和三六年は九〇に減少している。これは道交違反,業務上過失傷害等の交通関係事犯および暴行,傷害等の暴力事犯に対する検察庁の処理方針が,しだいにきびしくなってきたことが,かなり大きく影響していると思われる。次に,起訴区分別被疑者数を最近五か年間の統計によってみると,II-14表のとおりである。前述のように,昭和三二年の起訴総数を一〇〇とすれば,昭和三六年のそれは一五一となっているのに対し,公判請求の実数は昭和三五年までの四年間逐次減少し,昭和三六年にはわずかに増加したものの,昭和三二年の公判請求数には及ばず,各年次内における起訴合計に対する公判請求数の比率も七・三%から順次低下し,昭和三六年にはわずかに四・八%に至っている。これに反して,略式命令は年ごとに増加の一途をたどり,昭和三二年を一〇〇とすると,昭和三六年は一六四に増加しており,各年次内の起訴合計数中に占める比率も,昭和三二年に七七・〇%であったものが毎年増加して,昭和三六年には八三・八%に達している。 II-14表 起訴区分別被疑者処理人員(昭和32〜36年) 次に,道交違反を除いたその他の刑法犯,準刑法犯,特別法犯の処理区分状況をみると,II-15表のとおりである。これによると,道交違反を含んだ前二表の統計と比較し,起訴の占める割合が著しく低く,反対に,不起訴の占める割合が非常に高くなっているが,これは道交違反事件の起訴率が,他の一般犯罪の場合より,きわめて高いためである。起訴のうちの,公判請求と略式命令請求の区分別処理人員は,II-16表のとおりであるが,昭和三六年を例にとってみると,公判請求の占める割合は三二・八%であり,道交違反を含んだII-14表の公判請求率四・八%に比し,きわめて高い率を示している。これは道交違反の処理人員が非常に多く,そして道交違反で公判請求されるケースがきわめて少ない結果である。II-15表 刑法犯・準刑法犯・特別法犯処理区分人員(昭和32〜36年) II-16表 刑法犯・準刑法犯・特別法犯起訴区分別(昭和32〜36年) そこで次に,全受理人員の七割五分ないし八割になんなんとする道交違反被疑事件の処理状況をみよう。昭和三二年以降の推移を統計によってみると,II-17表のとおりである。すなわち,処理総数の増加に応じて起訴数も増加し,昭和三五年から飛躍的に増加して,昭和三二年を一〇〇とすると昭和三六年には一五八に達している。なお,この増加率は,昭和三一年を一〇〇とすると一九五というさらに大きな数字に達するものであることを特に付言しておかねばならない。これに対して不起訴の数は,昭和三二年(昭和三一年を一〇〇とすると八七に減少している。),昭和三三年,昭和三四年と減少し,昭和三五年以降わずかに上昇を示しているが,それでも,昭和三二年の不起訴数には及んでいない。次に,道交違反の起訴区分について,昭和三二年からの推移をみると,II-18表のとおりである。公判請求数は昭和三五年から増加しているが,これは道交違反に対する検察方針の強化が,その原因であると考えられる。しかし,その数は,なおきわめて少数である。これに対し,略式命令請求数は逐年増加しており,起訴数の増加は,ほとんどが略式命令請求の増加であることが明白であって,昭和三六年には起訴総数の八六・五%を占めている。即決裁判請求数は,少しずつ増加はしているが,起訴総数中に占める割合は,かえって逐年減少しているのであって,このことは,この制度の趣旨にかんがみて,さらに検討を要するところであろう。II-17表 起訴・不起訴区分別道交違反被疑者数(昭和32〜36年) II-18表 道交違反被疑者起訴区分別百分率(昭和32〜36年) |