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 昭和38年版 犯罪白書 第一編/第三章/一/4 

4 今後の問題

 だが,交通切符制度の採用によって,道交違反事件の処理にからむ諸問題が,すべて解決されたわけではない。かつて,交通事件即決裁判手続法制度がそうであったように,いずれは,この制度も増大した事件量に対処するに十分でない時代が,くることを予想しておかねばなるまい。また,その時代の到来が,思いのほか近い将来であるやも危ぐせねばなるまい。自動車台数が将来どの程度まで増加するか,また,これに伴い道交違反事件がどれほど増大するかは,にわかに予測し難いものではあるが,過去の増加率を勘案するとき,この種事件の検察庁における受理件数が一千万件におよぶ日の遠くないことをおそれることは,決してき憂に属することではあるまい。現に,昭和三六年においてさえ,既に警察による軽車両,人等を除いた自動車(原動機付自転車を含む)のみの違反の取締件数は,八,三三三,二二四件におよんでいる。もし一千万件となれば,検察庁の全刑事事件受理件数の九十数%を道交違反事件のみによって占めることとなってしまう(I-33表参照)。件数の面のみであるとはいえ,一国の刑事司法機構が,その九割以上を交通違反事件のみに注いでいるということは,慎重な考慮を要すべき問題ではなかろうか。

I-33表 道路交通法令違反の検察庁受理人員等(昭和24〜37年)

 また,「交通裁判所」に集まる人々の多くは,交通違反に関する以外は,検察庁や裁判所と無縁の人々であろう。これらの交通に関する以外は善良である市民が,「交通裁判所」における混雑とけん騒の中でいだいた検察,裁判に対するかれらの印象を,他のすべての検察,裁判に対する心証としてすりかえていくことも,実は大きな問題である。裁判の威厳保持ということが,一国の社会秩序維持に不可欠なものであるとすれば,件数一千万におよんだ時代の威厳保持のため,さらにどのような方策を講ずべきかについてあらかじめ検討されねばならない。
 さらに,道交違反事件が刑事事件であるかぎり,違反者として処罰された者は,厳密な意味においていわゆる「前科者」である。毎年国民の一割が「前科者」となり,身分上多くの不利を伴っていく。現在においても,罰金刑に処せられた者等に対して身分上の不利益処分の可能性を規定している法律は,数多く存しており,たとえば,(1)その意に反して休職を命じ得ることを定めたものとして,国家公務員法第七九条二号,地方公務員法第二八条二項二号,国会職員法第一三条二号,日本国有鉄道法第三〇条一項二号等,(2)役員の解任事由となしうることを定めたものとして,国民金融公庫法第二九条一項二号,日本輸出入銀行法第四三条一項二号,住宅金融公庫法第三二条二項二号,日本開発銀行法第四一条一項二号等,(3)許可,免許等を与えない事由,または,すでに与えたものの停止,取消事由となしうふことを定めたものとして,古物営業法第四条一項二号,同第二四条一項,質屋営業法第三条一項二号,同第二五条一項,医師法第七条二項,歯科医師法第四条二号,同第七条二項,同第一四条二号,歯科衛生士法第五条一号,同第八条,死体解剖保存法第三条三号,保健婦助産婦看護婦法第一〇条一号,同第一四条三項,採血および供血あっせん業取締法第六条二項三号等があることを思えば,この点も,一国の刑事政策推進上看過し得ない問題点であろう。
 以上の問題を解決するための一方法としては,交通違反事件を一般の刑事事件の範ちゅう外においてはどうかということが考えられよう。しかし,これらを非訟事件として民事裁判所に集中せしめることは,刑事裁判所のケースロードを民事裁判所に肩代りしただけであって,問題の根本的解決にはなり得ないように思われる。とすれば,他の何らかの機関,たとえば,警察,都道府県公安委員会,運輸省関係機関,あるいは地方公共団体の長等が処理するという方法を採用してはどうかということも考えられる。いわゆる「チケット制」として新聞紙上をにぎわした制度は,警察官が警告手数料として,違反者から収入印紙をてん布した,将来重ねて違反しないという誓約書を提出させるという構想であった。しかし,この種制度の採用も,決して問題なしとはしない。まず,道交違反事件の実体が見失われるおそれがあるのではないかということである。道交違反事件のうち,特に無免許,めいてい,過速度運転等の危険な運転中の交通違反は,それらが交通事故に移行するきわめて高い危険性を有している実体において,刑法犯たる業務上過失致死傷事犯,あるいは,時に傷害致死,傷害事犯の未遂ないし予備という実質を有しているが,このように本質的に自然犯的な性格を有しているものを刑事事件の範ちゅう外とすることは,一国の刑罰体系の重大な崩壊をきたすものであろう。
 そうであれば,右の程度の危険性を有しない事犯,たとえば駐車違反や免許証不携帯事犯は,これを刑事事件の範ちゅうから,したがっで,刑事罰たる罰金等の対象から,はずしうるのではないかと考えられる。だが,これとても,しかく問題は簡単ではない。駐車違反にしても,駐停車不適当を原因とする交通事故は昭和三六年中三,八七八件あり,危険性皆無とはいいえない。また,現行道路法第四三条第二号の「みだりに道路に土石,竹太等の物件をたい積し,その他道路の構造又は交通に支障を及ぼす虞のある行為をすること」を禁止する規定と,道路上の占有すべからざる場所を違法に占有することによって,交通に支障をおよぼすことを禁止する駐車違反の規定は,きわめて類似している。しかして,道路法の定める右禁止に違反した行為に対しては,一年以下の懲役または三万円以下の罰金(同法第一〇〇条第三号)が用意されている。一方,免許証不携帯事犯は,実質的危険性に乏しく,主として無免許運転者の排除に資するための行政的便宜から設けられた規定と解しうるが,これと本質を同じくするものとして,道路運送車両法第六六条の車体検査証の備付け義務,自動車損害賠償保障法第八条の定める自動車損害賠償責任保険証明書の備付け義務の各違反がある。しかして,それぞれ,三万円以下の罰金刑が法定されている。かりに,免許証不携帯等の罪種を刑事罰の対象から除外することとすれば,右の各備付け義務違反等も当然刑事罰の対象外とされねばなるまい。また,現に刑事罰の対象となっている事犯であって,右の義務違反よりも,より低い刑罰的評価を受けるべき罪種も,同時に刑事罰の対象外とされるべきであろう。なぜなら,わが国においては,刑事罰とこれ以外の罰との間に,身分上の欠格事由となることの有無,強制徴収方法として労役場留置を認めているか否か等,顕著な差異を設けている。したがって,刑罰体系としての秩序を保っていくためには,同種類の義務違反に対しては,同種類の罰を加うべきであるという原則が維持されねばならないからである。ただ件数が多く,処理に支障をきたすからというだけの理由で,道交違反事件のみを刑事罰の対象から除外することは,合理的説明が著しく困難である。といって,既存のすべての法令違反の中から,刑事罰から除外する道交違反の罪種と同一程度またはそれ以下の刑罰的評価を加うベき罪種を選び出して,これを刑事罰の対象外とすることは,その選出基準をいかにして定めるかという問題も含めて,相当困難な作業であり,今後の研究にまたなければならないであろう。
 かりにこれを行ない得たとしても,これらの事犯に対して,違反の成立要件としての故意,過失等の有責性,違法性,未遂および共犯等の刑法総則的な規定を全く適用しないのか,あるいは,どのように適用していくべきかという問題が大きく横たわっている。さらに,手続上の問題もある。まず,刑事罰の対象外として裁判所の審理を経ずに金員を徴収する制度を創設することは,憲法第三七条第一項はともかく,憲法第三一条との関係において検討すべき問題がありえよう。すなわち,金額が少額であればともかくとして,効果的な相当多額の金額を徴収することは,名目はどうあろうとも,その実質においては同条に定める「刑罰」に該当し,同条の違反となるのではないかということである。不服があれば常に裁判上争いうる余地を残しておいたところで,右の疑問を氷解させるにはいたらない。これ以外に,違反成立の有無を決定する人または機関をいかに定めるか。誤判防止のための諸制度をいかに設けるか。科せられた金員を支払わなかった者からの強制徴収手続をどのように定めるか。労役場留置処分の助けを借りずに,はたして十分な徴収が可能であるか。違反成立の有無を争う者は民事または刑事のいずれの裁判所が審理すべふきか。かりに刑事裁判所が審理するとすれば,その審理される事件の性格は刑事事件に移行してしまうこととなり,争う者のみは刑事罰を科せられるという,不合理な結果を招来しないか等,慎重に検討すべき幾多の問題点が存するわけである。
 道交違反事件を,かりに一部であるとはいえ,刑事罰の対象外とするためには,以上の諸問題が解決されることがまず必要である。なおほかに,道交違反事件のみは刑事罰の対象としながらも,身分上の不利益処分の対象外におくとか,憲法第三七条第一項の裁判を受ける権利を放棄するという形において,刑事事件としながらも,刑事裁判所のケースロードの増大を防ぐとかいう折衷的な考え方も種々ありえよう。
 何はともあれ,これらの多くの問題をその背後に秘め存がら,交通切符制度は昭和三八年一月一日から実施されることとなった。いまでは,この制度が交通裁判の渋滞を解消し,交通事故を減少させるうえにはたす役割を十分注目していきたい。それとともに,関係諸機関の事故防止の努力,運転者の責任意識や歩行者の交通意識の向上等から,交通事故が減少し,前述の諸問題がついにき憂にすぎなかったものになることを期待したい。