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 昭和38年版 犯罪白書 第一編/第一章/三 

三 最近における麻薬犯罪の傾向

 次は麻薬犯罪である。すでにみてきたとおり,少年犯罪は昭和三七年中に刑法犯によって検挙されたものだけでも一六二,九四一人もあるのに,麻薬犯罪によって同年中に警察に検挙されたものの数は,成人,少年を合わせて,わずか二,八〇二人にすぎない。麻薬犯罪は通常の警察のほかに,麻薬取締官等によって検挙されるものもかなりあるので,検察庁の新規受理人員の統計によってみると,右の数より多少ふえてはいるが,それにしても,昭和三七年に全国の検察庁で新規に受理した麻薬関係事犯者は,わずか三,八〇〇人にしかすぎない。さらにまた全国の矯正施設に収容されている麻薬事犯受刑者の数をみても,昭和三六年一二末日現在で一,一六二人であり,同日現在の受刑者総数の二%程度を占めているにすぎない。
 このように,犯罪の全体からみれば,きわめて数の少ない麻薬犯罪が,最近世人の注目の的となり,また本年度の犯罪白書においても,少年犯罪とならんで,重要点の一つとして取り上げられた理由はどこにあるのであろうか。それは,ひと口にいえば,少年犯罪が主として量の問題であるのに対して,麻薬犯罪は質の問題であるというところにあるといえよう。このような麻薬犯罪の特異な性質については,後に第四編において詳細に説明するので,ここではその問題点を二,三指摘してみることとしよう。
 麻薬犯罪が現在大きな問題として取り上げられている第一の理由は,その流す害悪がきわめて強く,しかもこれを放置すれば,ますます拡大する性質をもっていることである。麻薬中毒がいかにおそろしいものであるかについては,今さらいうまでもないが,わが国の麻薬犯罪者の取り扱う麻薬は,その大部分がへロインであり,それは,あへん系の麻薬の中では最も刺激が強く,ぞの有毒作用はモルヒネの一〇倍以上といわれている。厚生省薬務局の調査によっても,毎年あらたに発見される麻薬中毒者の使用薬品は,ヘロインが最も多く,七五%から八〇%程度を占めている。しかも中毒者の多くは,全くの好奇心から麻薬に手を出し,ついにその魅力のとりことなってしまっているのであって,厚生省薬務局が,昭和三七年中にあらたに発見された麻薬中毒者について調査したところによっても,好奇心によるものが四六・七%を占めている。したがって,もしこれを放置した場合には,次から次へと,多くの人々が麻薬の魅力にとらえられ,転落の道をたどるおそれが,きわめて大きいのである。
 次は麻薬犯罪が暴力組織と結びつき,麻薬密売による利益が,その資金源となってきていることである。麻薬密売に対する取締りの目がきびしくなるにつれて,麻薬取引きはその秘密を保つために,強固な組織の下にこれを行なうことが必要となり,他面従来の暴力組織は,ここ数年来の暴力的犯罪に対する取締りの強化により,他に資金を獲得する道を求めていたので,期せずして,麻薬密売は暴力組織の手に移り,最近では密売段階のほとんどが,これらの暴力組織関係者によって占められている状態である。推計四万といわれ,また時には二〇万といわれている麻薬常用者の使用する麻薬が,おおかたこの密売ルートを通過するものだとすれば,麻薬密売によって暴力組織関係者の手にはいる利得は,ばくだいな額に上るものと考えられる。暴力組織を絶滅するためには,まずその資金源を絶つ必要があるのであって,この面だけからみても,早急に有効な麻薬事犯対策を考究しなければならないのである。
 さらに,麻薬犯罪は国際的な犯罪であって,後に第四編において述べるように,多くの国際条約によって関係各国が,互いに協力して,その対策を講じているのである。したがって,麻薬犯罪の取締りが効を奏せず,わが国に多くの麻薬が,たやすく輸入されるなどということになると,国際的な信用の問題に関係してくる。麻薬は小量で高価なものであるだけに,その密輸入を,すべて水ぎわで食い止めることは,まことに困難なことであるが,アジア地域におけるわが国の立場を思うとき,とくに,麻薬の密輸事犯の防止については,特段の努力をつくす必要があると思われる。
 さて次は,麻薬犯罪に対する取締りの問題であるが,ヘロインのような不正麻薬は,輸出入,譲渡し,譲受け,施用,所持など,すべてが犯罪とされているので,およそ中毒者のあるところ,常に麻薬犯罪ありといえるのであって,この意味において麻薬犯罪は,きわめて暗数の多い犯罪である。しかも中毒者は,これに対する供給のための犯罪者を作り,また供給者たる密売犯罪者は,需要者たる中毒者を作り出してゆくので,この関係を絶ち切らない限り,この犯罪はどこまでも増大してゆくおそれがある。これに対しては,国内に流れているヘロインはすべて輸入にかかるものであるから,これをいわゆる水ぎわ作戦で食い止めることが第一であるが,さきにも述べたように,なにぶんにも麻薬は小量で高価なものであるから,これを完全になしとげることは至難なわざである。その上最近においては,国内の麻薬取引は強固な暴力組織によって,ごく秘のうちに行なわれ,しかもその方法はますます巧妙になってきているので,このルートを絶つこともまた容易なことではない。警察庁の統計によると,最近六年間に麻薬犯罪によって検挙された人員は,I-3表のとおり,いまだ,きわめてその数が少ない。しかしながら,増加の傾面は顕著であって,昭和三七年の検挙数は昭和三二年のそれの二倍を越えている。また検察庁の受理人員をみても,最近六年間に麻薬開係事犯で受理した人員はI-4表のとおり,年間二,二九〇人ないし三,八〇〇人前後にすぎないが,これも同様に年とともに増加しつつある。このような現象は,犯罪の増加の結果ともみられるし,また取締りの成果があらわれたものともみられるのであるが,麻薬犯罪のような暗数の多い犯罪においては,むしろ後者の場合にあたるように思われる。しかしながら,推定される麻薬中毒者の数から考えると,麻薬撲滅の道は,なお遠く険しいといわなければならないのであって,この目的を達成するためには,取締机関のいつそうの努力を必要とするとともに,一般国民においても真にその害毒を認識して,総力をあげて麻薬追放に協力することが必要であると思われる。

I-3表 警察による麻薬事犯検挙人員(昭和32〜37年)

I-4表 麻薬関係事犯の検察庁新受人員数(昭和32〜37年)