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 平成 9年版 犯罪白書 第2編/第6章/第1節/2 

2 組  織

(1) 終戦直後の体制
 戦前においては,今日の更生保護に該当する制度は司法保護と呼ばれ,[1]釈放者・起訴猶予者・刑執行猶予者の保護,[2]少年保護,及び[3]思想犯保護という三つの領域から構成されていた。終戦の時点において,この司法保護を所管する中央部局として司法省刑政局が,また,地方の組織として,[1]釈放者等保護に関しては全国7庁の司法保護委員事務局が,[2]少年保護に関しては全国7庁の少年審判所が,さらに,[3]思想犯保護に関しては全国22庁の保護観察所が,それぞれ置かれていた。このうち,思想犯に対する保護観察を所管する保護観察所は,終戦後間もなく廃止されることとなった。
 昭和21年6月には,司法大臣官房に保護課が設置され,戦後の混乱した社会情勢と犯罪の急増に対応するため,新たな時代にふさわしい犯罪者・非行少年の保護と再犯防止のための制度について検討・立案が開始された。23年2月に司法省が廃止され法務庁が設置された後は,主として同庁少年矯正局が連合国軍総司令部との間で立法に係る折衝を重ね,その結果,犯罪者予防更生法案を国会に提出するに至り,24年5月に同法は制定・公布された。(本編第2章第4節1参照)
(2) 犯罪者予防更生法施行後の体制
 昭和24年7月の犯罪者予防更生法の施行によって,我が国の更生保護制度は誕生した。この新しい制度を所管する組織として,中央にあっては,当時の法務府(24年6月に法務庁が改称)の外局として,行政委員会である中央更生保護委員会が,一方,地方にあっては,全国8か所の高等裁判所所在地に,同委員会の地方支分部局である地方成人保護委員会及び地方少年保護委員会が,それぞれ設置され,さらに,両地方保護委員会の下には,全国49の地方裁判所所在地に,両地方保護委員会事務局の事務分掌機関として成人保護観察所及び少年保護観察所がそれぞれ設置された。
(3) 現行体制の形成
 昭和27年8月,法務府は法務省と改称され,その内局として保護局が設置された。中央更生保護委員会は廃止されるとともに,法務大臣の下に,同大臣に対して恩赦の申出をする権限を持つ中央更生保護審査会が設置された。同時に,地方支分部局については,成人・少年の各地方保護委員会が「地方更生保護委員会」として統合された。また,成人・少年の各保護観察所は,「保護観察所」として統合されるとともに,新たに法務省の地方支分部局となった。
 その後,昭和47年の沖縄の本土復帰に伴い,那覇保護観察所が新たに発足した(保護観察所は計50庁となり,現在に至る。)。また,保護観察の活動等を効率的に実施するため,保護観察所の支部及び駐在官事務所の増設が進み,八王子市,堺市及び北九州市の3か所に支部が,小田原市等27か所に駐在官事務所が,それぞれ置かれている(平成9年4月1日現在)。