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5 少年刑務所 (1) 少年受刑者処遇の変遷
ア 少年刑務所の誕生 罪を犯した幼年の者を成人受刑者とは区別して処遇することが明治時代から行われ,14年制定の監獄則では,他の監獄と場所を区分した懲治場に,罪を犯した8歳以上20歳以下の者で情状により留置するものなどを収容することとされた。35年には,浦和監獄川越分監が「幼年監」に指定され,16歳未満の受刑者や懲治人のみを収容することを開始し,これ以後,幼年の受刑者等を収容する施設が順次設置されたが,41年制定の監獄法においては,「2月以上ノ懲役ニ処セラレタル18歳未満ノ者ハ特ニ設ケタル監獄又ハ監獄内ニ於テ特二分界ヲ設ケタル場所二之ヲ拘禁ス」と規定され,成人受刑者とは施設を別にした「特設監」に18歳未満の者を収容処遇することとなった。大正11年には,旧少年法の制定を契機に,特設監獄の名称と位置が定められ,小田原,川越など7少年刑務所が設置され,その後,新設・廃止等を経て,昭和63年末現在では,少年刑務所は,川越,水戸,松本,姫路,奈良,岩国,佐賀,盛岡及び函館の9施設となっている。なお,旧少年法においては,少年受刑者が18歳に達した後も23歳に至るまでは継続して少年刑務所に収容することができることとなっていた。 イ 戦前の教育 懲役刑等の執行としての刑務所への収容により,受刑者に対しては受刑期間中通常は作業が課されるが,監獄法24条では,「18歳未満ノ者ニ課ス可キ作業ニ付テハ(中略)特ニ教養ニ関スル事項ヲ勘酌ス」とされ,また,同じく30条では,「18歳未満ノ受刑者ニハ教育ヲ施ス可シ」として,特に少年受刑者に対しては,その教育可能性や可塑性にかんがみて,特別な配慮を行うとともに,受刑者の矯正・改善を目的として,刑務作業のほかに,教科教育等を実施することとされていた。 昭和の初頭までの教育は,統一的な規定はなく各施設それぞれの裁量により,国定教科書等を用い,義務教育段階の学科教育を中心として,個人の学力に応じた学級編成により実施されており,併せて職業教育なども行われていた。その後,4年からは,少年受刑者に対する統一的な教育実施の必要から,少年受刑者用の国語,算術の教科書が編さんされ,全国の少年刑務所において使用された。 昭和8年には,少年行刑教育令(訓令)が施行され,少年刑務所における教育を全国的に統一した。これによると,教育は,修業年限2年で尋常小学校6学年までの学級編成により学科目を教授する普通科と,普通科を卒業した者若しくはこれと同等以上の学力を有する者に対して,修業年限1年で農業,工業等の実業に関する知識・技能等を授ける実科とに分かれており,両者共に体力養成のための体操・教練も重視され,また,実社会の実用に役立つことを目指していた。そして,教育時間は,普通科では毎週18時間,実科では毎週12時間となっていた。 戦時体制が強化された昭和16年には,少年行刑錬成規程(訓令)が施行されるとともに,少年行刑教育令が全面改正された。前者は,義務教育課程を修了した少年受刑者が増加したことなどにより,当時の青年学校と同等の教育を実施することを目指したものであり,後者は,義務教育未修了の少年受刑者に対して国民学校の初等普通教育を授けようとするものであった。少年行刑錬成規程により,心身を鍛錬し徳性をかん養し,いわゆる「日本臣民」としての資質を錬成することを目的として,青年錬成所が施設内に設けられ,青年学校と同等の施設として認可を受けていた。さらに,戦局の悪化に伴って,軍需工場の生産応援の一環として,「造船奉公隊」が結成され,造船作業に少年受刑者を出役させることも行われた。 ウ 戦後の教育の発展 戦後,現行の少年法が昭和24年に施行され,少年年齢が20歳未満へ引き上げられたことに伴い,少年受刑者は20歳に達した後でも,26歳に達するまでは少年刑務所に収容することができることとされた。 戦後から現在に至る少年受刑者に対する処遇内容の特色は,主に教科教育,職業訓練及び生活指導に見ることができる。教科教育は,義務教育未修了者に対する教科教育,低学力者に対する補習教育,高等学校教育を希望する者に対する高校通信制教育などを中心としている。また,昭和30年からは松本少年刑務所内に地元の公立中学校の分校を開設し,義務教育未修了者のうち適格者を集めて教育を行い,さらに,50年から奈良少年刑務所,51年から松本及び盛岡の各少年刑務所において,青少年受刑者のうち適格者を集めて,それぞれ地元の公立高校の通信制課程に入学させるなど教科教育の拡充が図られている。 職業訓練は,成人受刑者には大正15年制定の受刑者職業訓練概則(通牒)により,建築,木工等を中心として実習訓練が行われ,昭和5年からは,少年受刑者にもこの職業訓練を行うこととなったが,これは,少年受刑者の処遇における主要なものではなかった。20年代後半からは,少年刑務所を中心として,理容,自動車整備等の訓練種目が活発に実施されるようになり,その後徐々に施設設備が整備され,また,訓練種目数も増加した。31年には,受刑者職業訓練規則(訓令)が制定され,職業訓練の明確な位置づけがなされ,より効果的,組織的,計画的な訓練の実施が行われるようになった。職業訓練の訓練生の選定は,当初は年齢40歳未満の者としていたが,その後55年からは,中高年齢者のほか,特に26歳未満の者にその訓練の機会を与えることとされ,青少年受刑者に対する職業訓練を積極的に実施することとなった。63年12月31日現在,少年刑務所における職業訓練については,全国から適格者を集めて訓練を実施する総合訓練施設として,川越,奈良,佐賀及び函館の4庁が指定され,所定の訓練を修了した者に対しては,労働省職業能力開発局長名の履修証明書が発行されている。また,種目は,溶接,機械,板金,建築,左官など多種目に上っている。なお,その他の施設においても,それぞれ建設機械,ボイラー,自動車運転など多くの種目の訓練を実施している。 次に,生活指導は,戦前においても行われていたが,特に戦後において活発に実施されるようになり,健全な心身を培い,自律心及び遵法精神をかん養し,健全な社会生活を送るために必要な知識及び生活態度を身にっけさせることを目的として,カウンセリング,講話,集会,役割活動,余暇活動,体育・文化等の行事など,各種の方法を用いて,日常の各場面で実施されている。 なお,受刑者分類規程(訓令)によると,少年受刑者はJ級に区分され,さらに,犯罪傾向の進んでいない者(A級),犯罪傾向の進んでいる者(B級)に分類されている。また,成人の受刑者のうち20歳以上26歳未満の者はY級に区分され,同様に更にA・B級に細分されている。現在少年刑務所における実際の運用においては,J級の少年受刑者数の減少等により,少年受刑者のみでは処遇集団を編成することが困難になってきたため,教育の効果的実施の見地から,J・Yの両級の者を収容して処遇している。ちなみに,昭和63年12月31日現在においては,少年刑務所のうち主にJA・YA級の者を収容する施設は5庁(川越,奈良,岩国,佐賀,函館),JB・YB級の者を収容する施設は3庁(松本,姫路,盛岡),YB級の者を収容する施設は1庁(水戸)となっている。 (2) 少年受刑者の収容状況の推移 IV-58図は,少年新受刑者数(昭和元年から25年までは入所時18歳未満,26年から50年までは入所時20歳未満,51年以降は裁判時20歳未満の者をいう。付表29表参照)の推移及び26年以降について少年新受刑者に対する18歳未満の者の構成比を見たものである。少年新受刑者数では,元年から16年までは若干の増減はあるものの,おおむね500人ないし700人程度で推移しているが,17年からは急激に増加し,終戦後の21年に4,104人でピークとなり,以後23年まで3,000人を超える状態が続いたのち激減し,25年には622人となった。26年には少年法の適用年齢が20歳未満に引き上げられたことにより,少年新受刑者数は再び3,000人を超えたが,その後減少して,29年から40年代前半まではおおむね600人ないし1,000人の幅で推移したものの,更にそれ以降減少を続け,最近では100人前懐どなり,63年には99人となっている。一方,26年以降の少年新受刑者のうーち18歳采満の者の構成比を見ると,26年から40年代初めまではおおむね10%前後であったが,その後50年代初めごろまではおおむね5%程度となり,そ入以降は一部を除き5%を下回って現在に至っている。18歳未満の者の構成比は減少していることが分かる。 IV-58図 少年新受刑者数及び18歳未満の者の構成比の推移(昭和元年〜63年) IV-59図は,少年新受刑者の主要罪名別構成比の推移を見たものである(付表29表参照)。これによると,窃盗は,昭和元年から23年までは19年と22年を除き,70%以上を占めていたが,その後は減少傾向を示し,40年代後半からはおおむね10%ないし20%の幅で推移しており,63年では20.2%となっている。これに対し,業過は,35年に0.8%であったものが次第に増加し,40年代後半からおおむね30%前後を占めて最も高くなり,63年では34.3%となっている。また,覚せい剤取締法違反は,54年に4.8%となった後増加し,56年からはおおむね10%を超えていたが,63年では4.0%となっている。強盗は,元年から22年までは13年を除き10%未満であったが,その後54年まではおおむね10%ないし20%前後で推移し,特に27年から33年まではおおむね20%を超えていた。しかし,55年以降は再び減少傾向となって10%未満で推移し,63年では7.1%となっている。強姦・強制猥褻は,元年から33年までは10%未満であったが,その後53年までほぼ10%を超えており,特に42年から51年・まではおおむね20%を超えていた。54年からは再び減少しておおむね10%を下回り,63年には6.1%となっている。IV-59図 少年新受刑者の主要罪名別構成比の推移(昭和元年〜63年) IV-86表,少年新受刑者の刑期別構成比(昭和元年,5年,10年,15年,20年,25年,30年,35年,40年,45年,50年,55年,60年,63年) IV-86表は,昭和元年からの5年ごとと63年における少年新受刑者の刑期別構成比を示したものであり,定期刑を言い渡された者はその刑により,不定期刑を言い渡された者はその長期により見たものである。6月を超え1年以下及び1年を超え2年以下の範囲内の比較的刑期の短い者は,若干の変動はあるものの元年から増加傾向にある。すなわち,両者で元年には9.3%であったものが,5年以降は10%を,20年以降は20%を超え,さらに50年以降は50%以上を占めており,63年では64.7%となっている。一方,2年を超え3年以下及び3年を超え5年以下の範囲内の比較的刑期の長い者は,減少傾向にある。すなわち,元年から15年までは両者で80%を超えていたが,その後減少し,25年から45年までは30年を除き40%台となり,更に引き続いて減少傾向を示し,63年には20.2%となりでいる。IV-87表 少年新受刑者の保護処分歴別構成比(昭和41年,45年,50年,55年,60年,63年) IV-87表は,少年新受刑者の保護処分歴別構成比を昭和41年,45年からの5年ごとと63年について見たものであ,る。いずれの年次においても少年院送致歴のある者と保護処分歴のない者とで大部分を占めるが,前者では,41年に48.5%であったが,以後減少して50年に21.4%となったものの,その後再び増加して,63年には47.5%となっている。後者では,41年に43.3%であったが,以後増加して50年に70.5%となったものの,それ以後は減少傾向にあり,63年には43.4%となっている。なお,作表していないが,少年新受刑者のその他の特性について見ると,教育程度では,中学校卒業以下の者は昭和41年の84.8%から63年の57.6%とほぼ減少を続けており,一方,高等学校在学・中退及び卒業以上の者は,41年の15.2%から63年の42.4%とほぼ増加を続けている。また,暴力団加入者は,41年以降おおむね10%台であったが,50年代半ばから20%を超え,63年には23.2%となっている。 |