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 平成 元年版 犯罪白書 第4編/第3章/第1節/3 

3 裁  判

(1) 第一審終局処理人員
 付表7表は,地方裁判所及び簡易裁判所による第一審裁判所としての終局裁判の結果について,昭和における推移を見たものである。
 地方裁判所及び簡易裁判所の第一審終局処理人員総数については,戦前は,昭和8年から急増し12年まで11年の19万1,002人を頂点とする高い数値を記録し,13年,14年にかけて減少したが,15年から増勢となり,18年には20万6,014人となっている。戦後は,23年から27年まで50万人から60万人台で推移し,その後徐々に増加して29年に100万人を突破し,30年代半ばから急増して40年には462万3,128人の最悪の数値を記録している。その後,いわゆる交通反則通告制度の導入による道交事件の減少等によって減少傾向となり,44年には165万666人となったが,40年代後半から再び増勢となり,52年には265万5,279人となり,その後は起伏を示しつつ推移し,61年は237万4,301人となり,62年には相当減少して170万4,497人となっている。
 IV-38表は,第一審終局処理人員総数を通常第一審及び略式・即決手続別に,昭和元年からの5年ごとと62年について見たものである。元年から26年まで通常第一審は総数の24.5%から32.8%,略式等は67.2%から75.5%の間でそれぞれ推移しているが,31年以降はこれが一変し,略式等が9割を超え,おおむね96%前後であるのに対して,通常第一審は2.2%ないし8.4%を占めるにすぎなくなっている。31年以降,略式等の構成比が急増するのは,犯罪動向で見たとおり,モータリゼーションの進行に伴う交通関係事犯の急増等に伴うものである。

IV-38表 第一審終局裁判の通常第一審及び略式・即決の終局区分別人員の推移(昭和元年,6年,11年,16年,21年,26年,31年,36年,41年,46年,51年,56年,61年,62年)

 第一審終局処理人員中,第一審有罪人員(総数から無罪及びその他を除いたもの。)の動向を付表5表によって見ると,戦前は,刑法犯については,昭和9年から11年に及ぶ9年の11万7,104人を頂点とする高い数値と,15年から増加し18年の12万2,988人に至る高い数値とが認められ,特別法犯については,経済統制法令違反の多発による15年から18年に至る17年の8万5,662人を頂点とする高い数値が認められる。また,第一審有罪人員総数に占める特別法犯の構成比については,6年から8年までは32.0%から38.4%と比較的高い比率であり,刑法犯が増加した9年から11年までは,やや低下して31.6%ないし34.2%で推移し,更に13年及び14年は27%台と低くなるが,特別法犯が増勢となる15年以降上昇し,17年には46.5%を記録している。戦後は,刑法犯については,23年に戦前のピークをはるかに超える22万8,223人を記録し,その後20年代後半にかけて徐々に減少するものの,20年末ころから増勢となって30年代前半は16万人台で推移するが,その後は起伏を示しながら減少し,50年代前半には10万人を切り,62年には6万1,519人となっている。特別法犯については,23年に32万1,495人を記録し,30年までは10万人を超えていたが,その後は経済統制法令違反の減少に伴い減少し,34年及び36年は9万人を超え,38年,42年,58年及び59年に8万人を超す比較的高い数値が認められるものの,おおむね5万人ないし7万人台で推移し,62年は6万6,379人となっている。また,第一審有罪人員総数に占める特別法犯の構成比は,23年から26年までは55.5%から62.1%の間,27年から30年までは47.7%から50.0%の間とそれぞれ高い比率で推移し,その後30年代,40年代は減少ないし横ばいの状態にあったが,50年代に入り覚せい剤取締法違反の増加等によって上昇し,54年は47.8%,55年は45.4%,56年は42.4%,58年以降は50%台の高い比率を示し,62年は51.9%となっている。
 なお,第一審有罪人員の総数,罪名別動向等の詳細については本編第2章第2,3節を参照されたい。
(2) 科刑状況等
 次に,付表7表により,昭和の第一審裁判所における科刑状況を刑名別に見ることにする。現行刑法が規定する我が国の主刑は,死刑,懲役,禁錮,罰金,拘留及び科料であるが,戦前,戦後を通じて最も多用された刑は,罰金であり,以下,有期懲役,科料,有期禁錮の順となっている。IV-25図は,罰金,有期懲役・禁錮及び科料の第一審言渡人員の推移を示したものであるが,罰金がいかに多用されているかが分かる。

IV-25図 刑名別第一審有罪人員の推移(昭和元年〜62年)

 死刑,無期懲役・禁錮は,例外的に用いられるのみであり,拘留もごく少数となっている。
 無罪については,戦前は,昭和元年から7年ころまで500人前後から1,000人前後を記録し,その後減少して300人台で推移し,11年から13年にかけてやや増加するが,14年以降再び減少し18年は243人となっている。戦後は,24年の2,944人,25年の2,617人,26年の2,539人と高い数値に始まるが,その後徐々に減少して30年代前半からはおおむね400人台となり,50年代前半に200人台,同後半には100人台となり,62年は99人となっている。IV-39表は,無罪言渡人員の第一審終局処理人員総数に対する比率(以下「無罪率」という。)の推移を元年からの5年ごとと62年について見たものである。戦後の無罪率は,26年を除いて,戦前より低く,特に56年以降は0.01%未満の低率となっている。
 以下,付表7表により,刑名別に第一審終局区分別処理人員の推移等を見ることにする。
ア 死刑及び無期懲役・禁錮

IV-39表 第一審終局裁判の無罪率の推移

 死刑を言い渡された人員については,戦前は,昭和元年から13年まで20人前後から37人の間で推移し,14年から17年までは減少し12人から16人の間となったが,18年には30人を記録している。戦後は,23年が116人,24年が55人,25年が62人,26年が44人と高い数値を記録し,その後減少するものの30年代半ばまでは12人から37人の間で推移していたが,40年代半ばから10人を割り,62年には6人となっている。
 無期懲役・禁錮な言い渡された人員については,戦前は,昭和元年から13年まで35人から72人の間を推移し,14年以降減少しておおむね30人台となったが,18年に増加し39人を記録している。戦後は,25年の153人を最多として27年まで100人台を記録し,その後減少するものの,30年代半ばまでは80人前後から100人の間で推移し,その後更に減少し40年代半ばからは,52年の51人を除いて50人を割り,61年まで24人から45人の間で推移してきたが,62年は増加し65人となっている。
 IV-26図は,昭和3年から62年までの間に死刑及び無期懲役を言い渡された人員の推移を各5年間の累積人員で見たものである。戦後の混乱期及びこれに続く40年代前半までは,死刑及び無期懲役の言渡人員が多く,特に無期懲役については戦前の数値を相当上回っている。戦後の混乱期の犯罪の多発,その後40年代前半に至る凶悪事犯等の多発に対応したものと考えることができるであろう。
 IV-40表は,死刑及び無期懲役を言い渡された者の罪名別人員について,昭和元年からの5年ごとと62年の推移を見たものである。戦前,戦後を通じて,死刑については,殺人及び強盗致死が大部分を占め,無期懲役については,殺人及び強盗致死傷・強盗強姦が大部分を占めている。

IV-26図 死刑及び無期懲役の第一審有罪人員の5年間の累積人員の推移(昭和3年〜7年,8年〜12年,13年〜17年,23年〜27年,28年〜32年,33年〜37年,38年〜42年,43年〜47年,48年〜52年,53年〜57年,58年〜62年)

IV-40表 死刑及び無期懲役の罪名別第一審有罪人員の推移

イ 有期懲役及び有期禁錮
 有期懲役については,戦前は,昭和元年から7年及び13年から18年の間はおおむね3万人台で推移しているが,戦前の犯罪多発期である8年から12年までは4万人台の高い数値を記録しているのであって,戦後は,23年の17万2,838人を最多として27年まで10万人台を記録し,その後やや減少するものの34年までは9万人から10万人台,35年以降43年までは6万人台から8万人台で推移し,44年から46年にかけては5万人台にまで減少したものの,50年代に入り増勢となり7万人台で推移してきたが,62年は6万7,877人となっている。
 有期禁錮については,戦前は,昭和5年,10年ないし12年に1,000人を超える数値が認められるほかは少なく,あまり用いられていない。戦後は,30年初めころまでは戦前と同様に少なかったが,その後徐々に増加し,46年及び47年には1万人を突破し,以後50年代に入り減少して,おおむね5,000人台で推移し,62年は5,306人を記録している。30年前半から有期禁錮が急増するのは,交通関係業過の増加によるものであり,また,有期禁錮が46年,47年をピークに48年以降徐々に減少したのは,43年6月施行の刑法の一部改正により,業務上(重)過失致死傷罪の法定刑に加えられた懲役刑によって処断される者が徐々に増加した反面,禁錮刑に処せられる者が減少したことによるものである。ちなみに,62年の有期禁錮5,306人の罪名別内訳を見ると,業過5,289人,公職選挙法違反10人,道路交通法違反4人などとなっている。
 IV-41表は,第一審終局処理人員中,有期懲役・禁錮を言い渡された者の刑期別比率について,昭和元年からの5年ごとと62年の推移を見たものである。なお,刑期別比率の分析に当たっては,統計上,懲役・禁錮別の比較は不可能であり,また,戦前と戦後の統計では刑期区分が異なるので,3年以上について更に区分して分析することはできない。
 3年以上の有期懲役・禁錮の総数は,戦前は,ほぼ10%から12%台で推移しているが,戦後は,6%から8%台で推移し,51年以降は6%台となっている。2年以上3年未満の懲役等については,戦前は,10%台で推移しているが,戦後は,7%ないし9%台で推移しており,最近はやや上昇している。
 戦前,戦後を通じ,比較的多く用いられている刑期は,6月以上2年未満であるが,戦前の比率は56%ないし61%台であるのに,戦後の比率は71%ないし79%台と高くなっている。さらにその内訳を見ると,6月以上1年未満の刑は,戦前,戦後を通じておおむね30%台であるが,1年以上2年未満の刑は,戦前は20%台であったのに,戦後は30%ないし40%台となっている。
 6月未満の懲役等については,戦前は,元年の20.8%,11年の21.9%など比較的高くなっているが,戦後は,これより低率の8%ないし13%台で推移している。短期自由刑の弊害を考慮し徐々に低率化したといえるであろう。
 このように,有期懲役・禁錮の刑期別比率の推移を見ると,戦前は,長期刑も相当あって,言い渡される刑が比較的幅広く分布していたのに,戦後は,長期刑及び6月未満の短期刑がいずれも減少し,1年以上2年未満の刑の比率が高くなるなど,言い渡される刑の範囲が狭くなってきているということができるであろう。

IV-41表 有期懲役・禁錮の第一審有罪人員の刑期別構成比の推移(昭和元年,6年,11年,16年,21年,26年,31年,36年,41年,46年,51年,56年,61年,62年)

ウ 罰金及び科料
 IV-42表は,罰金及び科料を科された者の第一審有罪人員総数に対する構成比等について,昭和元年からの5年ごとと62年の推移を見たものである。付表7表と併せて,我が国の財産刑運用の推移を見てみよう。

IV-42表 罰金・科料別第一審有罪人員の推移(昭和元年,6年,11年,16年,21年,26年,31年,36年,41年,46年,51年,56年,61年,62年)

 罰金及び科料(以下両者を合わせて単に「財産刑」という。)を科された者の第一審有罪人員総数に対する構成比の推移を見ると,戦前は,昭和元年は80.6%であったが,6年及び11年は70%台に低下し,16年は上昇して82.8%となっている。戦後は,31年以降90%を超える高い比率で推移し,41年には98.2%を記録するが,その後やや減少し,62年は95.7%となっている。財産刑中における科料の構成比の推移を見ると,戦前は,11年まで15%ないし17%であったが,16年に急減し4.9%となっている。戦後は,26年に36.4%,31年に45.9%を占めていたが,36年以降急激に低下し,41年は0.1%となり,その後やや上昇するものの,62年は1.4%となっている。以下,個別に,その推移を分析することとする。
 罰金については,戦前は,昭和14年まで多少の起伏を示しながらも9万人前後から11万人台で推移していたが,15年以降急増し18年には16万5,085人を記録している。15年以降の急増は,戦時下に及ぶ統制経済法令違反の増加によるものである。戦後は,23年の43万6,273人,24年の37万9,651人の高い数値に始まるが,戦後の統制経済法令違反の多発によるものであり,これらの違反の減少に伴いその後減少し,27年には27万人台となっている。その後,20年代末から増勢となり,30年代に急増して40年には453万5,314人を記録し42年まで400万人台で推移しているが,これは交通関係事件の急増に伴うものであり,その後,交通反則通告制度の導入等による道路交通法違反事件の減少に伴い,激減して44年には157万8,585人を記録するものの,40年代後半から再び増勢となって61年は227万2,034人となり,62年には前記通告制度の適用範囲の拡大等による道路交通法違反事件の減少により,前年より減少して160万8,336人となっている。
 科料については,戦前は,昭和3年を除き12年まではおおむね1万8,000人から2万5,000人台で推移したが,13年,14年と漸減し,15年以降急激に減少して18年は3,047人となっている。15年以降,統制経済法令違反が増加し,軽微な交通関係事犯等が減少したことが,罰金の増加と科料の減少となって現れたものと思われる。もっとも,戦前は違警罪即決例により科料に処せられた者が膨大な数に及んでいたのであり(本編第2章第3節参照),これを加えれば科料が最も多用された刑罰であり,財産刑であったということになろう。戦後は,20年代半ばから急増し,30年代に入ると50万人から60万人台で推移し,32年には66万282人,35年にも61万544人を記録したが,36年以降急激に減少し46年には2,789人となり,その後,48年以降徐々に増加して62年には2万2,175人となっている。戦後科料が増加したのは,道路交通取締法違反の急増によるものであるが,36年以降急激に減少したのは,35年12月施行の道路交通法により,罰則が強化され,従来科料で処分されていたものが罰金等に処せられるようになったことによるものである。また,48年以降徐々に増加したのは,47年7月施行の罰金等臨時措置法の改正により,科料が4,000円未満に引き上げられ,軽微な道交違反等の刑として再び用いられるようになったことによるものと思われる。ちなみに,62年科料に処せられた者の罪名別内訳は,道路交通法違反1万9,433人,軽犯罪法違反2,316人,酒に酔って公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律違反302人等となっている。
 このように,昭和における財産刑運用の推移を見ると,戦前と戦後とでは大きな差異が認められ,特に科料においてこれが著しい。科料が用いられなくなったのは,金額の引き上げがあったとはいえ,4,000円未満という法定金額があまりに少額であることによるものと思われる。現行刑法制定当時の財産刑の上限金額等については,罰金等臨時措置法及びその改正により制定当時の200倍に引き上げるなどの措置が採られてはいるが,現行の科料は,貨幣価値の下落などにより,財産刑が最小限持つべき財産的苦痛さえも伴わないものに変質してしまっているといわざるを得ないであろう。このことは,法定刑の上限金額が比較的低く定められている罪の罰金刑の運用においても認められる。IV-43表は,法務省における電算化犯歴の資料により,住居侵入,犯人蔵匿,傷害,業務上過失致死傷及び猥褻文書頒布等の各罪について,罰金等臨時措置法改正直後の48年及び62年の各罰金前科を抽出し,その罰金額別構成比等を見たものであるが,一定額未満の罰金刑は消滅するか著しく減少し,上限金額が20万円以下に定められている罪においては,罰金刑が上限及びその付近に集中するなど頭打ち現象が認められる。なお,上限金額が20万円を超える罪においては,上記現象は認められないものの,20万円を超える罰金刑は極めて例外的にしか認められないことから考えれば,略式手続の限度額が20万円とされていることに関係があるものと思われる。

IV-43表 罰金の第一審有罪人員の罪名・金額別科刑状況の推移(昭和48年,62年)

エ 拘  留
 拘留の人員については,戦前は,昭和元年は392人,2年は265人を記録しているが,徐々に減少し14年以降18年までは5人から20人の間で推移している。もっとも,戦前においては,違警罪即決例により警察犯処罰令違反等で拘留に処せられた人員が年間10万人を超えていたのであり,これを合算すれば,拘留は戦前において最も多用された自由刑ということができる。戦後は,23年に1,633人,24年に536人を記録するものの,徐々に減少し40年代半ばから100人を割っていたが,最近やや増加し62年は133人となっている。ちなみに,62年の133人は全員軽犯罪法違反によるものである。
(3) 罪名別科刑状況
 次に,殺人,強盗,傷害,窃盗及び強姦について,科刑状況の推移を見ることにする。
ア 殺  人
 IV-44表は,殺人の科刑状況について,昭和元年からの5年ごとと62年の推移を見たものである。死刑及び無期懲役については,戦後は,戦前に比べて数が少なくなxtuており,特に46年以降の減少が目立つが,62年には前年より増加して死刑は3人,無期懲役は17人となっている。
 有期懲役については,戦前は,5年以上の刑の構成比が30.6%から34.7%で推移しているのに対し,戦後は,5年を超過する刑の構成比が26年には29.3%であったが,その後上昇して41年には38.2%となり,56年以後更に上昇して62年は50.4%となっている。逆に3年未満の刑の構成比を見ると,戦前は,47.3%から49.1%で推移しているが,戦後は,26年及び31年は20%台であったものの,36年以降下降して10%台で推移し62年は8.5%となっている。

IV-44表 殺人の第一審有罪人員の刑名・刑期別科刑状況の推移(昭和元年,6年,11年,16年,21年,26年,31年,36年,41年,46年,51年,56年,61年,62年)

 執行猶予率については,戦前は,26.7%から30.0%で推移しているのに対し,戦後は,26年から51年までは27.6%から35.2%の間で推移していたが,56年以降下降し62年は19.9%となっている。
イ 強  盗
 IV-45表は,強盗の科刑状況について,昭和元年からの5年ごとと62年のの推移を見たものである。死刑又は無期懲役に科せられた者について,有罪総人員に対する各比率では,戦前は戦後に比べ高率となっている。戦後では,46年以降,死刑及び無期懲役ともに減少しているが,62年に無期懲役が増加している。有期懲役については,戦前と戦後における特段の差異は認め難いが,戦後,61年までは5年を超える刑の構成比が,26年を除き20%台で推移してきたのに62年に31.6%に上昇していることが注目される。執行猶予率について見ると,戦前は,2.0%から3.0%と極めて低率であったが,戦後は13.8%から18.9%の間で推移し62年は13.9%となっている。

IV-45表 強盗の第一審有罪人員の刑名・刑期別科刑状況の推移(昭和元年,6年,11年,16年,21年,26年,31年,36年,41年,46年,51年,56年,61年,62年)

ウ 傷  害
 IV-46表は,傷害の科刑状況について,昭和元年からの5年ごとと62年の推移を見たものである。有罪総人員に対する有期懲役を科せられた者の構成比(以下「懲役率」という。),罰金を科せられた者の構成比(以下「罰金率」という。)及び科料を科せられた者の構成比(以下「科料率」という。)を見ると,戦前は,元年及び6年は懲役率25.0%から23.3%,罰金率67.2%から66.1%,科料率7.8%から10.6%へとそれぞれ推移しているが,11年には懲役率が15.2%に下降し,罰金率が71.9%,科料率が12.9%といずれも上昇している。戦後は,科料はほとんど用いられなくなり,31年以降46年まで懲役率は11.4%から12.9%の間で推移し,反面,罰金率が87.1%から88.6%の間で推移していたが,51年以降懲役率が上昇し62年は26.9%となっている。51年以降の懲役率の上昇は,前述の罰金刑の頭打ち現象がもたらした自由刑への回帰と見ることもできるであろう。

IV-46表 傷害の第一審有罪人員の刑名・刑期別科刑状況の推移(昭和元年,6年,11年,16年,21年,26年,31年,36年,41年,46年,51年,56年,61年,62年)

 有期懲役の刑期を見ると,3年以上の刑の構成比については,戦前は,10.6%から11.9%で推移しているに対し,戦後は,昭和26年は10.7%であるが,その後徐々に下降し51年は5.1%となり,その後やや上昇するものの62年は5.7%となっている。2年以上3年未満の刑の構成比についても,戦前の数値は,戦後の数値を上回っている。戦前は,戦後とは異なり,2年以下の懲役等の場合に執行猶予を付することかできたことを考慮すると,戦前の科刑は相当厳しいものであったと思われる。
 執行猶予率については,戦前は13.4%から19.0%と低率であったが,戦後は44.9%から55.8%と高くなっている。
エ 窃  盗
 IV-47表は,窃盗の科刑状況について,昭和元年からの5年ごとと62年の推移を見たものである。
 3年以上の刑の構成比を見ると,戦前は,12.2%から14.1%の間で推移しているが,戦後は,これを大幅に下回って昭和26年から46年まで2.7%から4.9%の間で推移し,51年以降やや上昇して62年は7.6%となっている。2年以上3年未満の刑の構成比を見てもほぼ同様であるが,戦前と戦後の較差は比較的小さく,11年は13.8%であるのに対し,62年は11.8%となっている。また,6月未満では,戦後の比率は戦前のそれよりも低くなっている。他方,6月以上1年未満は戦前と戦後ではその比率にさほどの差はないが,1年以上2年未満では,戦前は34.7%ないし40.1%であるのに対して,戦後は50.1%ないし58.4%と高くなっている。総じて見れば,戦前の科刑は,戦後と比べ相当厳しいものであったといえるであろう。

IV-47表 窃盗の第一審有罪人員の刑期別科刑状況の推移(昭和元年,6年,11年,16年,21年,26年,31年,36年,41年,46年,51年,56年,61年,62年)

 執行猶予率については,戦前は5.0%から6.8%と低率であったが,戦後は,昭和26年に40.3%を記録し,以後徐々に上昇して51年には53.6%となり,その後やや下降して62年は51.0%となっている。・
オ 強  姦
 IV-48表は,強姦の科刑状況について,昭和元年からの5年ごとと62年の推移を見たものである。3年以上の刑の構成比について見ると,戦前は55.5%から58.0%の間を推移し,戦後は,26年を除き50.2%から60.3%で推移しているが,41年は58.9%,61年は60.3%,62年は58.9%となって,戦前の比率を上回っている。もっとも,執行猶予率については,戦前は4.0%から9.3%であるのに,戦後は高率であり,26年及び36年までは30%を超え,41年以降急激に下降して41年及び46年は12%台となるが,その後再び上昇し62年は26.8%となっている。41年から46年までの執行猶予率の低下は,この時期の強姦等性犯罪の多発に対する厳しい措置によるものと思われる。

IV-48表 強姦の第一審有罪人員の刑名・刑期別科刑状況の推移(昭和元年,6年,11年,16年,21年,26年,31年,36年,41年,46年,51年,56年,61年,62年)

(4) 刑の執行猶予
 IV-49表は,第一審裁判所で有期懲役・禁錮の言渡しを受けた人員中の執行猶予となった者の比率(執行猶予率)等について,昭和元年からの5年ごとと62年の推移を見たものである。執行猶予率については,戦前は,12.6%から13.7%の間を推移しているが,戦後は,26年及び31年は40%台であるものの,36年以降上昇して51年は60.7%を記録し,その後やや下降したものの,62年は57.4%であり,戦前を大幅に上回っている。これは,22年の刑法の一部改正により,執行猶予を付することかできる範囲が3年以下の禁錮等にまで拡大されるなど,広く社会内処遇を活用しようとする思潮の進展によるものであろう。

IV-49表 有期懲役・禁錮の第一審有罪人員中の執行猶予及び執行猶予取消人員等の推移(昭和元年,6年,11年,16年,21年,26年,31年,36年,41年,46年,51年,56年,61年,62年)

 執行猶予者のうち,保護観察に付された者の比率は,14.1%から19.0%で推移しているが,昭和36年,41年,51年,56年の各年は,18%以上の高い数値となっている。
 ある年次における執行猶予言渡人員とその年次における執行猶予取消人員とは,対象を異にするので,前者に対する後者の比率は,厳密な意味での執行猶予取消率とはいえないが,執行猶予取消率のおよその傾向を知るためにその比率を見ると,昭和26年及び31年は18%台で高く,36年以降下降し46年には8.2%となるが,その後やや上昇して62年は13.1%となっている。
 IV-50表は,有期懲役,有期禁錮及び罰金別の執行猶予言渡人員等について,昭和元年からの5年ごとと62年の推移を見たものである。
 有期懲役の執行猶予言渡人員については,有期禁錮の比率がわずかであるので,IV-49表に示された有期懲役・禁錮の執行猶予言渡人員の動向とほぼ同様である。罰金においても,執行猶予に付された人員は極めて少数である。
 有期禁錮については,戦前は,昭和元年が執行猶予率19.2%,6年が同16.8%と高く,有期懲役における比率を上回っているが,11年は,有期禁錮言渡人員が増大し,執行猶予率が6.4%と下降し,有期懲役における数値を下回っている。11年の有期禁錮言渡人員の急増及び執行猶予率の低下は,衆議院議員選挙法等,選挙関係法令違反者の増加によるものである。戦後は,31年は83.4%と比較的高率であるが,言渡人員が増加する36年から46年にかけて74.3%ないし70.0%と低下し,51年以降上昇しておおむね80%から90%台の高い比率を示している。また,執行猶予言渡人員に対する執行猶予取消人員の比率は,有期懲役の場合と比へ著しく低率となってる。これらの数値は,戦後の有期禁錮言渡人員の大半が交通関係業過であることからすれば,当然の数値といえるであろう。なお,36年から46年の執行猶予率の低下は,悪質な交通関係業過に対する厳しい措置によるものと思われるが,その後の上昇は,悪質事犯に対する措置が禁錮刑ではなく懲役刑によって行われるようになったことによるものと思われる(本節3(2)イ参照)。

IV-50表 有期懲役・禁錮及び罰金の第一審有罪人員中の執行猶予及び執行猶予取消人員等の推移(昭和元年,6年,11年,16年,21年,26年,31年,36年,41年,46年,51年,56年,61年,62年)

(5) 審理期間
 IV-51表は,通常第一審裁判の審理期間(起訴から第一審終局判決まで)別構成比について,昭和元年からめ5年ごとと62年の推移を見たものである。戦前は,大多数の事件が1月以内に処理され,3月を超える審理期間を要したものは,著しく低率となっている。戦後は,46年を除けば,各年とも総数の80%以上が,起訴後6月以内に判決が言い渡されている。審理期間が6月以上の長期公判事件の構成比については,26年から41年までは14.4%から15.8%の間で推移していたが,46年に21.6%に上昇し,その後下降し62年は7.1%となっている。
 戦後は,戦前と比べ審理期間が長くなっているが,昭和24年1月施行の刑事訴訟法は,公判中心主義,弁論主義,直接主義等を採っており,同法下の公判審理は,書証の証拠処力を制限し,直接に証人の証言を聞くなど,旧法当時に比べ,時間のかかる証拠調べ等が多くなったからである。46年の長期公判事件の構成比が高いのは,当時多発したいわゆる過激派学生事件の公判の長期化の影響によるものと思われる。
(6) 勾留と保釈
 IV-52表は,通常第一審の公判事件終局総人員(家庭裁判所管轄の成人の少年に対する刑事事件を除く。)のうち,勾留された者の比率(勾留率)及びその中で保釈を許された者の比率(保釈率)等について,昭和における推移を5年ごとに見たものである。勾留率について見ると,戦前は戦後と比べ,著しく低くなっている。11年の24.7%が最も高い数値となっているが,犯罪の動向で見たとおり,最も犯罪が増加した時期に相当しており,住居不定者による事件や罪証隠滅のおそれなどの存する事件(以下「勾留理由のある事件」という。)も多発したからであろう。

IV-51表 通常第一審裁判の審理期間別構成比の推移(昭和元年,6年,11年,16年,21年,26年,31年,36年,41年,46年,51年,56年,61年,62年)

 戦後は,終戦直後の昭和21年を除くと,26年及び46年が60%台であるほかは,70%台で大きな変化は認められない。21年の41%は,戦前と同じ旧刑事訴訟法の下での数値であることからすれば,戦前を大幅に上回るもので,この時期の犯罪中いかに勾留理由のある事件が多かったかをうかがわせる。
 勾留期間について見ると,戦前は,1月以内の構成比が70%から80%台を占めるなど,戦後と比べ短いものとなっている。戦前の捜査・公判手続は予審制度等が用いられる「長い捜査・短い裁判」の体制にあったのであり,当然の数値と見ることができるであろう。ちなみに,IV-53表は,予審事件終局総人員の勾留等の状況を見たものであるが,起訴後の勾留と異なり,1月以内の構成比は低く,逆に3月を超えるものの構成比が高くなっている。

IV-52表 通常第一審公判事件終局総人員の身柄状況(昭和元年,6年,11年,16年,21年,26年,31年,36年,41年,46年,51年,56年,61年,62年)

 戦後の勾留期間の推移を見ると,3月を超えるものの比率が昭和26年以降10%を超え,46年には16.7%にまで達し,56年にかけて減少したが,61年以降再び16%台となり,62年は16.3%となっている。逆に,51年以降,1月以内の構成比は減少しており,起訴後の勾留期間が長くなってきている。
 保釈率について見ると,戦前は,戦後と比べ低率となっている。戦後は,昭和26年に31.7%を数え,31年に23.5%に下降し,その後上昇し46年及び51年には40%台と高い数値を記録するが,以後下降し62年は22.0%となっている。最近における保釈率の低下の要因としては,被告人中における累犯者の増加等が考えられるが,46年及び51年の高い数値は,逆に,いわゆる学生事件など前科等を持たない被告人の増加等によるものと考えることもできるであろう。26年の保釈率が比較的高いことは,戦後間もない時期であるため初犯者が多かったことが影響していると考えることができるであろう。31年は,勾留率は75.0%と高く保釈率は23.5%と低いが,この時期に暴力団関係者の犯罪が多発していることに注目する必要があろう(本編第2章第5節参照)。

IV-53表 予審公判事件終局総人員の身柄状況(昭和元年,6年,11年,16年,21年)

(7) 上訴審
 IV-54表は,第一審判決に対する控訴率及び控訴審の判決に対する上告率等について,昭和元年からの5年ごとと62年の推移を見たものである。
 控訴率については,戦前は昭和6年を除きいずれも20%を超えており,戦後の数値を上回っている。戦後は,31年から46年までが13.0%から15.7%と比較的高率であるが,51年以降は低下し62年は8.4%となっている。
 控訴審終局総人員については,戦前は昭和11年の9,194件が最も多いが,同年ころが戦前における犯罪の多発時期に当たっていたことを想起すべきであろう。戦後は,31年の1万8,285人から徐々に減少し,46年に9,640人とほぼ半減し,その後更に減少し62年は6,189人となっている。
 控訴取下げ率については,戦前は12%から16%台で推移し,戦後もほぼ同様の数値で推移しているが,昭和61年は18.2%であり,62年も16.5%と高くなっている。
 控訴棄却率については,戦前は,控訴審が事後審ではなく覆審であったことから,極めて低率である。逆に,破棄自判事については,戦前は,同様の理由により,戦後に比べ著しく高率となっている(旧刑事訴訟法401条等参照)。戦後の控訴棄却率は,昭和26年の32.4%(1万3,460人)を除き,58%から66%の間を推移しており,62年は66.2%(4,099人)となっている。また,破棄自判事については,戦後は,31年の25.1%(4,590人)からおおむね下降傾向にあり,62年は16.8%(1,040人)となっている。破棄自判の結果,第一審裁判が覆されて無罪となった者は,31年は127人であり,46年に比較的高い数値を記録するが,おおむね減少傾向にあり,62年は18人となっている。控訴審の判決に対する上告率については,戦前,戦後を通じ,おおむね30%台前半から40%台前半の数値であり,大きな変化は認められないが,51年以降は減少傾向にあり,62年は33.3%となっている。

IV-54表 控訴審処理状況及び控訴率・上告率の推移(昭和元年,6年,11年,16年,21年,26年,31年,36年,41年,46年,51年,56年,61年,62年)