2 イギリスにおける生命犯に対する刑罰規定 イギリスでは生命犯はmurderとmanslaughterの二種に区分されている。通常前者が謀殺,後者が故殺と訳されているので一応この訳語を使用した。ただし両者はドイツ刑法の謀殺,故殺のように殺人を区分したものではない。前者は通常の殺人のすべてを含み,後者は主としてわが国の傷害致死をその内容とする特殊の性質のものであることに注意する必要がある。 イギリスでは,最近まで謀殺についての刑として死刑だけが法定刑とされていた。陪審が謀殺について有罪であるという答申をすれば,特別の例外の場合を除いて,裁判官は死刑の言渡をしなければならず,他の刑を言い渡す裁量権は与えられていなかった。しかるに第二次世界大戦後死刑廃止論も唱えられ,死刑問題に関する委員会がもうけられてこの問題についての詳細な検討が行なわれた。その結果,同委員会は死刑を科する場合を制限すべきものとする結論を示して,その実施を勧告した。そのためこれにもとづいて改正法案が立案されて国会に提出され,一九五七年に後記のような内容の死刑を科する場合を制限する改正法律が成立するに至った。イギリスでは,従来も死刑の判決の確定したもののうち,犯情の軽い約半数のものは恩赦によって終身刑に減軽されていたが,この点を考慮に入れても,他の一般の国とは比較にならないほどの厳罰主義であった。 新しい法律は,謀殺を死刑にあたる重い謀殺とその他の一般の謀殺とに区分し,前者の法定刑は死刑,後者は終身拘禁刑とした。ただし,未遂はいずれも終身刑以下の拘禁刑とされている。 死刑にあたる謀殺を列挙すると,(a)盗犯の遂行に際してなされた謀殺,(b)射撃または爆発による謀殺,(c)適法な逮捕に抗拒し,これを回避し,もしくは阻止し,または適法な拘禁からの逃走,もしくは救出を行ない,もしくは援助する目的でなされ,またはその遂行に際してなされた謀殺,(d)職務遂行中の警察官もしくは刑務官,またはこれを援助する者に対する謀殺,(e)謀殺の前科のある者による謀殺,である。 右の(a)は強盗または窃盗の際の謀殺,(b)は拳銃,小銃等の射撃による謀殺,爆弾その他を爆発させる方法による謀殺である。その他は右の規定によって明らかにされているとおりであって,これらに該当しない謀殺は終身拘禁刑となる。この謀殺はわが国の殺人と大部分の場合は一致するが,次のように広くなる場合と狭くなる場合とがある。わが国の殺人より広くなる場合があるのは,罪を犯す犯意について,殺害する意思までを必要としないためである。すなわち,判例によると,その犯意には殺意まで必要でなく,相手方に重大な傷害を加える意図があれば足りる。しかもこの意図は,現実に存在したかどうかという形で問題となるのではなく,通常人ならば重傷が生じそうだと考えられたに違いないという程度で足りるものとされている。 次にわが国の殺人より狭くなる場合として,相手方に挑発行為があって自制心を失った結果罪を犯した場合は,謀殺ではなく,故殺とされる。たとえば,相手が本人をなぐり,その結果本人が負傷して多量に出血する程度に達した場合,夫が貞操を守っているのに妻が姦通した場合については,判例によって相手方または妻に挑発行為があったものとされている。その他,心中の目的で相手方を殺した場合,および嬰児殺も故殺とされている。 故殺は,謀殺以外の致死行為であって,法定刑は終身以下の拘禁刑である。故殺は,前記の相手方の挑発等の結果謀殺とならないもの,わが国の傷害致死にあたるもののすべてを含むほか,刑事過失によって死の結果が起こされた場合を含む。もっとも刑事上の過失のすべてを含むわけではなく,重大な過失を要するものとされている。たとえば,悪戯で港の茶店から大きな箱を海中に投げこんだところ,これがたまたま泳いでいた被害者の頭に命中して死亡したような場合は故殺とされている。自動車の危険な運転の結果生じた致死は,特別法によって,五年以下の拘禁刑に処することとされていて,通常この故殺とはされていない。
|