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 昭和37年版 犯罪白書 第一編/第三章/二/1 

二 麻薬犯罪

1 麻薬犯罪の概況

 麻薬は,いわば両刃の剣であって,それは鎮痛,鎮咳作用をもつため医療上きわめて有効な薬品であるが,他面ひとたび誤って連用するときは,慢性中毒に陥り,強烈な禁断症状を伴うため,これを脱却することが困難となる。このため,患者は麻薬を得ようとして千金をも投じ,売春婦や犯罪者に身をおとしても悔いず,これをめぐって,いろいろ陰惨な犯罪が展開されるのである。そして,ひいては自らを廃人としてしまうばたりでなく,その家庭を破壊し,社会の風俗を乱すことにもなる。
 わが国の麻薬取締の沿革をみると,安政四年八月二九日(一八五七年一〇月一六日)にオランダ領事との間に長崎で結んだ日本和蘭両国全権追加条約一四条に「阿片ハ日本国禁ニ付日本人ハ一切相渡間敷事」と規定したのを初めとし,国内法としては,明治元年四月一九日大政官布告第三一九号が初めて阿片煙の吸食,売買,授与等の処罰を規定した。現在の取締法規としては,刑法第一四章阿片煙に関する罪,麻薬取締法,あへん法,大麻取締法の四つがある。これらは,麻薬の生産ないし輸入から消費にいたる全段階をとらえて規制の対象としている。
 ところで,麻薬取締法の対象としている麻薬は,モルヒネ,ジアセチルモルヒネ(ヘロイン),コデイン,コカイン等であり,あへん法の対象としているものは,けし,あへん,けしがらであり,また,大麻取締法のそれは,大麻草である。これらを総称して麻薬と一般によばれており,麻薬犯罪とはこれらの麻薬を目的とする犯罪ということができる。もっとも麻薬犯罪は,大きく次の三つの類型に分けられ,それぞれ規制の方法を異にしている。
 第一の類型は,正規の麻薬取扱の過程における麻薬取扱者の違反行為である。麻薬は,前述のように,医療上有用な医薬品であるといわれているが,その使用を誤ると大きな害悪をもたらすものであるから,その管理および施用の適正をはかるために,麻薬取締法は厚生大臣が麻薬取扱者を免許する制度をもうけ,これに麻薬を取り扱わせ,これ以外の者が麻薬を取り扱うことを禁じている。麻薬取扱者とは,麻薬輸入業者,麻薬輸出業者,麻薬製造業者,麻薬施用者等の総称であるが,これら取扱者は,その免許の範囲内で麻薬を取り扱うことが許されている。しかし,これらの麻薬取扱者のなかにも,たとえば,麻薬施用者である医師が自分の体に麻薬をうつような場合や,また,患者から懇請されてこれに麻薬をうったり,渡したりする場合が少なくないのである。このような犯罪を防止するために,法はこれらの麻薬取扱者に対してその取り扱った麻薬に関する帳簿の備付義務や届出義務を課することとして,その監督につとめている。
 第二の類型は,右のような正規のルートによらない不正麻薬を流布ないし施用する行為である。麻薬犯罪の大半は,この種行為によるものであって,これに対する取締が現在の中心をなしているといえるのである。麻薬取締法,あへん法,大麻取締法は,いずれも不正な麻薬の輸入,輸出,製造,製剤,譲渡,譲受,交付,施用,所持,廃棄など一切の行為を禁止し,これに反するときは,刑罰をもって臨んでいる。ところで,これらの不正麻薬の対象となるものは,ヘロインが圧倒的に多い。現在へロインは,わが国の正規の麻薬管理ルートにのってこない薬品であって,そのほとんどが海外から密輸入されてくるものである。このためへロインの闇価格は想像を絶するほど高く(たとえば,香港では一グラムあたり五〇〇円ないし八〇〇円であるのに対し,わが国では五,〇〇〇円ないし八,〇〇〇円で取引されている),密輸者や密売人は微量の取引で莫大な利益を得ているといわれている。
 このように麻薬の取引は巨額な利益を伴うから,麻薬団といった組織性をもつことになり,また,海外にそのルートをもつために国際性をおび,さらには取引の安全をにかるために隠密性をもつことになる。しかも,これらの麻薬犯罪者は業としてくり返すから,常習性をおびることになるのである。麻薬犯罪は国際性をもつから,古くから麻薬に関する国際条約が生まれ,わが国も一九一二年の「国際あへん条約」等九つの条約を批准しており,これらの諸条約を整備強化した「一九六一年麻薬単一条約」の批准を準備している現状にある。また,麻薬犯罪は組織性をもつということは,麻薬が組織を通じて流布され,犯罪者が組織化されているということである。この組織の中心をなすものは,麻薬の供給源をにぎる外国人であることが多く,彼等はその配下に密輸ルート,密売ルート等をもち,最近ではこの組織の末端である密売人組織にしばしば暴力団が利用されている。この場合,麻薬は暴力団の絶好の資金源になり,さらに,暴力団と密接な関係にある売春婦に対する支配の絆を強めるために麻薬を利用することもある。かくして,麻薬犯罪は,他の犯罪を醸成,助長する働きをもつのである。また,麻薬犯罪は,捜査官憲に検挙されると,莫大な損失をこうむるばかりでなく,後述するようにきびしい刑罰をうけるから,その取引は巧妙をきわめ,隠密裡に行なわれるため,その取締は著しい困難を伴っている。このため,麻薬犯罪の捜査には,いわゆる「おとり捜査」が行なわれる場合が少なくないのである。
 第三の類型は,麻薬原料の不正栽培行為である。麻薬を医薬品として適正に確保するため,あへん法および大麻取締法は,麻薬の原料であるけし,または大麻草の栽培の免許を受けた者に限ってこれを許しているが,これに違反して無免許で栽培する者も少数ながらみられるのである。この種の犯罪は,第二の類型の諸行為が大都市を中心として行なわれるのに対し,農山村地方に多いのが特徴である。
 これらの三つの類型のうちで,とくに重大であるのは,第二の類型であるから,以下これを中心に説明することとする。
 なお,麻薬犯罪の捜査にあたる機関としては,一般司法警察職員のほか,特別司法警察職員として,厚生大臣の任命する麻薬取締官(定数一五〇名)および都道府県知事の任命する麻薬取締員(定数一〇〇名)がある。これらの一般または特別司法警察員は,おのおの独立してまたは協力して麻薬犯罪の捜査を行なっている。このような特別な捜査機関がもうけられたのは,麻薬犯罪がしばしば正規の麻薬管理に伴って発生しやすいこと,また,麻薬犯罪は隠密裡に行なわれ,麻薬に関する専門的な知識と経験を有しなければ捜査が困難であることによるものであろう。