我が国における犯罪報道は,一般に犯罪者の実名を明示して行われているが,最近,このような報道の在り方の是非が論議されるようになり,報道する側,報道の利益を享受する側,報道される側のそれぞれの立場から,例えば,表現の自由,知る権利,プライバシーの保護,無罪の推定原則などに関し,様々な見解が提起されている。実名報道の対象とされる者の多くは,捜査時,起訴時,公判時,判決言渡時等における被疑者又は被告人である。これらの者は,報道されたことにより,本人やその家族が世間から特殊な目で見られることなどを含め,様々な不利益を被る場合が多いであろうが,従来,刑事政策上,いわゆる実名報道が問題にされてきたのは,このような被報道者の受ける不利益等の中でも,主として,当該報道をされた者が犯罪者.としてのらく印を押されることにより,将来における社会復帰に支障を生ずる場合があるという点にあったと言ってよいであろう。
我が国においては,罪を犯した者に対し犯罪者としての汚名を着せないで円滑に社会復帰をさせるための制度として,これまで種々のものが設けられてきた。すなわち,古くは,明治3年に,入れ墨刑が廃止されたし,同41年に施行された現行刑法では,刑の執行猶予を取り消されることなく猶予期間を経過したときは刑の言渡しは効力を失う旨が定められ(27条),昭和21年には,当時の内務省地方局長通達等により,選挙人名簿や人の資格調査のために市町村長が調整保存している犯罪人名簿については身元証明などのためにこれを使用することが厳禁され,翌22年には,刑法34条の2により前科の抹消制度が新設され,さらに,昭和24年に施行された少年法においては,「家庭裁判所の審判に付された少年又は少年の時犯した犯罪により公訴を提起された者については氏名,年齢,職業,住居,容ぼう等によりその者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない。」(少年法6・1条)と定められるに至っでいる。そして,これらはいずれも,犯罪を犯した者が,その後,社会に復帰しようとするに際し,社会からの拒否反応を防ぐために,本人が過去に犯罪を犯した者であることを秘匿しておこうという趣旨にとよるものと考えられる。
ところで,現行法上は,成人の犯罪者について,上記少年法の規定と同趣旨の規定は設けられておらず,実名等の報道をするかどうかは,専ら報道機関の判断に委ねられている。もっとも,刑事政策上の観点だけからすれば,上記少年法の規定の精神を成人犯罪にまで及ぼすことの当否は一概には決せられない。すなわち,成人は,少年の場合と異なり,自己の行為に責任を負うのが当然であり,たとえ重大な犯罪を犯しても当該犯人が匿名とされるということでは,犯罪の検挙・処罰による一般予防の効果を十分に挙げることができないとか,最近の我が国のように,都市化が進み,個人と地域社会の結び付きが希薄となり,その一方で情報が氾濫している社会においては,犯罪者が実名で報道されても,本人が社会復帰を目指す時点において,世間は,当人の過去に関心を示さなくなっているばかりか,時間の経過とともに,当該報道がなされたこと自体も忘れ去られる実情にあることにかんがみれば,実名等の報道は,必ずしも犯罪者の社会復帰に支障となるとは限らないなどの論議もあり得るであろう。
それでは,国民はこの問題をどのように考えているであろうか。今回の「総理府世論調査」においては,「新聞やテレビなどでは,犯罪報道の場合,容疑者を実名・顔写真入りで,時には住所や前科をも報道することがあります。あなたはこうした犯罪報道についてどのように思いますか。」との質問に対し,(ア)「悪いことをしたのだから当然なことだ」(以下「当然のことだ」と要約する。),(イ)「正確な報道のためにはやむを得ないことだ」(以下「やむを得ない」と要約する。),(ウ)「住所や前科は報道すべきではないが,実名・顔写真はやむを得ない」(以下「住所・前科は不可」と要約する。),(エ)「容疑者の人権を考えて,匿名で報道すべきだ」(以下「匿名にすべし」と要約する。)の選択肢を設けて回答を求めている。また,法務総合研究所では,これと同じ質問と回答選択肢をもって「受刑者調査」及び「受刑者の家族調査」を行った。その結果をまとめたのがIV-56表である。
IV-56表 実名等の報道に関する国民の意識(実名等の報道についてどう思うか。)
まず,報道の利益を享受する側と報道される側との意識差に焦点を当ててみると,報道の利益を享受する立場にある一般国民にあっては,「当然のことだ」とする者が24.5%,「やむを得ない」が31.9%,「住所・前科は不可」が20.0%となっており,消極的あるいは条件付きにせよ,結論において,実名等の報道を容認する者が76.4%に及んでいるのに対し,報道される側にあってこれを容認する者は,受刑者で65.8%,受刑者の家族で49.3%となっている。また,実名等の報道を「当然のことだ」とする積極的肯定者は,一般国民では24.5%となっているのに対し,受刑者及び受刑者の家族では18%台と低く,逆に,「匿名にすべし」とする者は,一般国民では15.0%であるのに対し,受刑者では23.9%,受刑者の家族では28.2%に上っている。これらの数字は,犯罪報道における実名報道については,報道の利益を享受する側と報道される側との間に,相当大きな意識差があることを物語るものであり,特に,匿名報道を主張する者が,受刑者の家族では,一般国民のおよそ2倍の高率になっていることは注目される。犯罪は,それを犯した者やその家族にとっては,一般に,個人的な恥部とも言えようが,実名等の報道は,結果的に,これを社会に広く知らせることになる。したがって,第三者の立場で報道の利益を受ける者と犯罪者という汚名を負いながらも社会復帰が期待される受刑者やその最初の受入口となる受刑者の家族の間に,この問題についての大きな意識差があることは言わば当然であるが,それだけに,これらの意識差は,この問題の検討に当たり多角的な考察が必要であることを示すものとも言えよう。
次に,この問題についての一般国民の考え方を男女別,年齢層別,学歴別に見てみると,男女別についてば,IV-56表のとおり,男女間の考え方にほとんど較差が見られないが,年齢層別及び学歴別では,IV-57表のとおり,かなり顕著な意識差が見られる。まず,年齢層別に見ると,実名等の報道は「当然のことだ」とする積極的肯定者は,50歳以上が最も多く25.9%を占めているが,年齢層が若くなるに従ってその率は低下し,30歳ないし40歳代では24.8%,20歳代では18.4%となっている。逆に,「匿名にすべし」とする者や「住所・前科は不可」と現在の一部の報道に批判的な者の率は,そのいずれについても,20歳代が最も高いが,30歳ないし40歳代,50歳以上と年齢層が高くなるにつれてその率は低下している。学歴別に見ると,実名等の報道を「当然のことだ」と積極的に肯定する者の率は,小・旧高小・新中卒の層で30.3%であるのに対し,旧中・新高卒では23.1%,旧高専・大卒で16.7%と,学歴が高くなるほど低下する傾向がうかがわれ,他方,「匿名にすべし」とする者及び「住所・前科は不可」とする者の率は,学歴が高くなるほど高くなる傾向がうかがわれる。それはともかく,いずれの層で見ても,最も多数を占めた意見が,実名はもとより住所や前科について報道することも,正確を期するためには「やむを得ない」とするものであったことは,現在の国民の考え方を見る上で,特に,留意を要する点と思われる。
IV-57表 実名等の報道に関する一般国民の意識(年齢層・学歴別)(実名等の報道についてどう思うか。)
ところで,犯罪報道における実名報道の対象とされた者やその関係者は,この問題をどのように受け止めているであろうか。IV-58表は,受刑者及び受刑者の家族について,本人及びその家族が実名等の報道をされた経験の有無別に,この問題についての考え方を見たものである。受刑者においては,実名等の報道を「当然のことだ」とする者の率は被報道経験のない者に高く,「匿名にすべし」及び「住所・前科は不可」とする者のそれは,被報道経験を有する者に高いという傾向がうかがえるのに対し,受刑者の家族では,受刑者本人の場合と異なり,実名等の報道を「当然のことだ」とするのは,当該家族たる受刑者が実名等の報道をされたという経験を有する者(以下,このような家族も「被報道経験有り」という。)の方に高く,「匿名にすベし」及び「住所・前科は不可」とする者は,被報道経験がない者の方に高いことは興味深い。
IV-58表 実名等の報道に関する被報道経験の有無別に見た受刑者及び受刑者の家族の意識(実名等の報道についてどう思うか。)
それでは,被報道経験を有する者は,実名等の報道によりどのような影響を受けたであろうか。法務総合研究所では,今回の「受刑者調査」及び「受刑者の家族調査」において,被報道経験有りと回答した受刑者及び受刑者の家族を対象として,特に,「報道されたことで,最もこまったと感じたことはどういうことでしたか。1つだけ選んでください。」との質問を設け,1「勤め先や取引先の自分に対する信用をなくした」,2「友人や知人からの信用をなくした」,3「近所の人や知人が自分や家族をさけるようになった」,4「近所の目を気にして家族が引っこした」,5「身内の者の縁談がこわれた」,6「家族の者が仕事をやめなければならなくなった」,7「家業がうまくいかなくなった」,8「子供がいじめられるようになった」,9「勤め先や取引先にめいわくをかけた」,10「家族が肩身のせまい思いをした」,11「その他」,12 「別にこまったと思うことはなかった」との選択肢の下に回答を求めたが,その結果を,初人者・再入者(入所2度以上の者)別にまとめたのが,IV-59表である。これによれば,受刑者では,報道されたことによって「困ったと思うことはなかった」とする者が,初人者の8.2%,再入者の7.3%といずれも低率にとどまり,90%を超える者が何らかの影響を受けたとしているのに対し,受刑者の家族では,報道されても「困ったと思うことはなかった」とする者が,初人者の家族の36.0%,再入者の家族の40.6%となっており,何らかの影響の存在を主張している者は,おおむね60%にとどまっている。影響の具体的内容について見ると,受刑者及び受刑者の家族のいずれの場合も,実名等の報道によって「家族が肩身の狭い思いをした」ことを挙げる者が最も多く,受刑者では,初人者の58.2%,再入者の54.2%と過半数を超える者がその家族や親族を思いやっており,受刑者の家族では,初人者家族の40.9%,再入者家族の43.2%が実名等の報道により肩身の狭い思いをしたとしている。さらに,具体的な影響の内容について見ると,実名等の報道の影響により「家族が引っ越した」とする者は,受刑者にあっては,初入者が18人(3.0%),再入者が40人(4.1%)で合計58人となっており,受刑者の家族にあっては,初入者の家族が10人(5.4%),再入者の家族が1人(0.6%)で合計11人となっている。また,「家族の者が仕事をやめた」とする者は,受刑者にあっては,初入者が7人(1.2%)と再入者が27人(2.8%)で合計34人,「子供がいじめられた」とする者は,受刑者にあっては,初入者が10人(1.7%),再入者が18人(1.8%)で合計28人,受刑者の家族にあっては,初入者の家族が2人(1.1%),再入者の家族が3人(1.9%)で合計5人となっている。これらの数字は決して大きいとは言えないが,実名等の報道が,犯罪者及びその家族に対して,事実上,刑罰とは別個の社会的制裁としての機能を果たしそいる場合のあることを示すものとも言い得よう。
IV-59表 実名等の報道による影響等の有無と内容(実名等の報道をされたことで最も困ったと感じたことは何か。)
このように見てくると,現在の国民の多数は,犯罪報道における実名等の報道を容認していると見受けられるものの,刑事政策上の観点からは,その結果生ずる様々な問題を無視することができないようにも思われ,今回の調査は,今後において,なお検討を要する種々の問題を提起する結果ともなっていると言うことができよう。