人はなぜ犯罪の被害にあうのであろうか。犯罪被害の原因は,犯罪者の側にあるのか,それとも被害者の側にもあるのであろうか。被害にあいやすいタイプとか,被害を受けやすい客観的条件というものは存在するのであろうか。
もし,これらの疑問に有効な解答が得られるならば,その結論は,単に防犯対策の面のみならず,犯罪者個々に対する処分や処遇の面でも,極めて有益な示唆を与えるに違いない。もっとも,犯罪による被害は,利害や感情に支配される人間によって同様の人間に対して加えられるものである以上,問題は極めて複雑であり,災害対策のそれのように明確な答えを期待することは困難である。しかしながら,いかに困難であっても,この問題を避けて通ることはできない。そこで本章においては, 一つの試みとして,犯罪者の意識の中から,犯罪被害の原因とこれに対する対策を探ることとした。
犯罪被害の原因についての視点は,おのずから次の三つに分かれる。一は被害者から見た原因であり,二は客観的立場から見た原因,そして,三は犯罪者から見た原因である。しかし,これら三つの視点からの結論は,しばしば相互に異なるものがあると思われる。加害者及び被害者のいずれから見た原因も,それぞれの立場からの自己正当化が色濃く結論に影響するであろうし,客観的立場からの結論といっても,結局は客観の名の下に,人が主観的な推論をしたにすぎないものが多いであろうからである。また,当然のことながら,この三つの視点のどれが最も真実に近いかを,一概に断ずることもできない。
このような困難な問題の中で,本白書が今回特に,加害者の意識の中から原因を探ろうとしたのは,他の方法による調査が困難であることのほかに,加害者の意識調査による方法に,相当程度の合理性を見たという理由からである。すなわち,犯罪被害の原因は,被害者の行動や属性その他の客観的条件にのみあるのではなく,それが犯罪者の意思決定にどのように作用したかによって,大きく影響されるものだからである。犯罪を行うのは犯罪者であり,犯罪に駆り立てられた直接的な原因は,犯罪者の心の中で形成されるものである。つまり,客観的にどうであったかではなく,犯罪者がその点をどう考えたかこそが,犯罪と被害を決定するのである。この意味で,犯罪被害の原因を探る方法として種々の制約や欠点はあるにせよ,加害者から見た原因にもある程度の真実はあるといい得るのであり,加害者の意識調査による方法にも合理性はあるといえよう。本章は,このような発想から構成されたものである。
調査の対象とした犯罪者は,矯正施設に収容中の成人及び少年であり,その範囲は次のとおりである。まず,少年院在院者については,昭和60年10月1日から同月末までの1か月間に全国の少年院に現に在院した者で,女子については全員,男子については全員の3分の1を対象とすることとし,全国八つの矯正管区それぞれから,各管区内在院者総数のおおむね3分の1ずつを任意に抽出した。受刑者については,同年10月1日から同年末までの間に罪名ごとに特定の期間を定め(窃盗,詐欺,覚せい剤事犯については同年10月1日から同月末までの1か月間,傷害,恐喝については同年10月1日から同年11月末までの2か月間,殺人,強盗,性犯罪については同年10月1日から同年末までの3か月間),その間に全国の処遇施設又は分類センターで実施する新入時教育に参加した者全員を対象とした。
調査方法は,施設の被収容者が自ら記載する択一式回答方式を中心とする質問用紙(犯罪被害の原因や被害者に対する認識等に関するもの)と,施設職員が分類調査票,少年簿等の公的資料によって作成する客観的事実に関する調査票の両者によることとし,調査対象となる具体的事件は,職員が被収容者に確認した上,事前に公的資料から犯行年月日及び事件名を質問用紙に記入して特定することとした。また,被収容者の質問用紙への記入は職員が付き添って実施することとし,文章の判読等の質問には職員が適宜対応するとともに,記入後の質問用紙は,職員が氏名,罪名等重要事項の記入に誤りがないか否かを点検することとして,可能な限り正確を期している。
その結果は,この調査が被収容者の意思を尊重する任意調査であることから,調査を拒否する者はもとより,調査困難又は調査不適当な者を除外したため,本章で取り扱う犯罪についての有効回答数は,次のとおりとなっている。
殺 人 181人(うち犯時少年 10人)
傷 害 435人( 〃 132人)
強 盗 165人( 〃 36人)
恐 喝 269人( 〃 97人)
窃 盗 1,137人( 〃 373人)
詐 欺 218人( 〃 9人)
性犯罪 194人( 〃 81人)
覚せい剤 807人( 〃 149人)
なお,性犯罪194人の内訳は,強姦161人,強制猥褻33人である。
もとより,この調査は犯罪者のすべてを対象としたものではなく,犯罪者の一部にすぎない被収容者のみを対象としたものであるから,その結果は全犯罪者の意識を代表するものとはいえない。しかし,本章で取り上げた犯罪についていうならば,犯罪の動機とか犯罪者の意識に見る被害の原因といった心理的側面において,施設に収容された犯罪者と収容されない犯罪者との間に,さほど大きな差異があるとは考えられないので,この調査結果には相当程度の一般性があるといってよいであろう。
ちなみに,この調査による受刑者と被害者との面識の有無,程度についての質問結果は,IV-16表のとおりである。警察庁の統計により,昭和59年における罪名別の被疑者と被害者との面識の有無別検挙件数の比率(昭和60年版犯罪白書94頁)を見ると,面識なしの割合は,殺人11.2%,傷害46.6%,強盗77.4%,恐喝50.7%,窃盗83.0%,詐欺53.9%,性犯罪74.7%となっている。対象は,今回の調査が60年に刑務所に入所した犯時成人についてのもの,警察庁の統計が59年に警察が検挙した全事件についてのものというふうに異なり,調査方法も異なるが,全体としての傾向には両者間に大きな差異はなく,今回の被収容者からの意識調査の結果が,客観的事実とさほど隔っているものではないことを示しているといえよう。
IV-16表 被害者との面識の有無及び程度
本章では,このような対象者に対する質問及び調査結果を踏まえ,まず,殺人,強盗,傷害,恐喝,窃盗,詐欺,性犯罪の7罪種について,加害者から見た犯罪被害の原因を探り,次いで,覚せい剤事犯について,犯罪者から見た犯罪原因の分析を試みた。そして,これら8罪種の犯罪者の意識分析と,被害者等に対する認識の分析を通して,被害にあわないための条件と,被害者に視点を据えた犯罪者処遇の在り方を探ることとした。
なお,第2節においては,覚せい剤事犯を除く各犯罪について,犯罪者がなぜその相手に被害を与えたのかについて質問した結果を,「被害者を選定した理由」との表題の下に,それぞれ六つの群に分けて分析・紹介しているが,これらの群は,それぞれ次のような仮説概念によってまとめられたものである。第1の群の概念は,犯罪者にとっての「魅力」で,被害者側にあるどのような魅力が犯罪者をしてその相手を対象として選定させたかを問うたものである。以下,第2の群は「誘発」で,被害者側の何が犯罪者を強く刺激したのかを問うたものであり,第3群は「助長」で,被害者が故意あるいは不注意から犯罪の遂行を助長したのではないかを問うたものである。第4の群は被害者側の何らかの意味における「弱さ」が犯罪に対してのもろさを示し,それが犯罪者を刺激したのではないかを問うたものであり,第5群は,被害者側にある何らかの条件が,犯罪者に害を加えても「無難」であるとの安心感を与え,それが犯罪を誘発したのではないかを問うたものである。そして,最後の第6群は,以上の要因以外の何かが犯罪への「機会」を提供し,それが相手方を被害に導くことになったのではないかを問うたものである。しかし,これらの概念は,そのいずれもが必ずしも絶対的,排他的なものではなく,相互に相関連し,明確に境界を画し得ない要素を含むものなので,第2節で使用するに当たっては,原則として実際に提示した具体的質問をそのままの形で用いることとしている。そして,各質問に対応して掲記された数字は,当該質問に対して肯定の回答を寄せた者の全対象者数に対する比率であるが,これに含まれない回答の中には,否定回答のほか無回答がある。
また,本章においては,成人と少年の区別はすべて犯行時でとらえ,「性犯罪」とは,強姦及び強制猥褻をいうこととした。