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 昭和57年版 犯罪白書 第4編/第1章/第3節/1 

第3節 薬物犯罪の動向と現状

1 薬物犯罪の推移

 我が国における薬物犯罪は,第二次大戦までは,ほとんど社会問題とはならず,この問題が深刻な様相を呈するに至ったのは,第二次大戦後のことである。
 本節では,戦後の薬物犯罪の推移を概観し,最近の状況を見ることとする。
 IV-4表は,昭和26年以降の薬物犯罪の推移を見たものであり,IV-1図及びIV-2図はこれを図示したものである。戦後の我が国における薬物犯罪の動向を見ると,三つの大きな波を示している。
 第1は,覚せい剤取締法違反の激増である。同法違反は,昭和26年の覚せい剤取締法の施行以来急激に増加し,29年には,検挙件数5万3,221件,検挙人員5万5,664人を数えるに至ったが,29年及び30年の2回にわたる罰則の強化,徹底した検挙・処理,中毒者に対する入院措置の導入,覚せい剤の害悪に関する国民的キャンペーンの実施等によって,急激に減少し,31年には約5,000件,32年には約800件と減少して,覚せい剤濫用は鎮静化するに至った。
 第2は,ヘロインを中心とする麻薬取締法違反の増加であり,昭和38年のピーク時には検挙件数2,135件,検挙人員2,571人を数えるに至った。そこで,このような状況に対処するため38年ころから総合的な対策が実施されたが,その主なものを要約すると,[1]法改正による罰則の強化,[2]警察,麻薬取締官,税関,海上保安官等取締機関の強化,[3]暴力団組織の徹底的取締り,[4]厳正な検察処分と科刑の実現,[5]麻薬中毒者の強制治療制度の新設,[6]麻薬の害悪に関する国民的キャンペーンの実施などである。これらの諸対策の結果,39年以降急速に減少していった。また,大麻取締法違反事件は,45年以降多少の起伏はあるが,おおむね増加傾向にあり,56年には検挙件数1,696件,検挙人員1,346人となっている。

IV-4表 薬物事犯の検挙状況及びシンナー等濫用少年の検挙・補導人員(昭和26年〜56年)

IV-1図 覚せい剤事犯検挙人員の推移(昭和26年〜56年)

IV-2図 薬物事犯検挙人員の推移(昭和26年〜56年)

 第3は,覚せい剤取締法違反の再度の激増である。同法違反は,昭和45年以降逐年増加を続け,罰則強化の行われた48年の翌年にはやや減少したものの,その後は激増し,56年には,検挙件数3万6,855件,検挙人員2万2,331人を数え,今や覚せい剤の濫用はさまざまな社会的害悪を生み出し,我が国の犯罪現象全体に大きな影響を及ぼしている。
 昭和35年ころから青少年による睡眠薬の濫用が増加し,社会問題化したため,38年に薬事法及び同施行規則が一部改正され,従来市販されていた睡眠薬が劇薬ないしは要指示薬品に指定されてその販売が規制されることになったので,39年以降は睡眠薬等の濫用による数は大幅に減少した。しかし,これに替わって40年代初めころからシンナー等の有機溶剤が現れ,その濫用による少年の補導人員が増加し,43年には2万812人に上り,その後,逐年増加し,46年には4万9,587人に達した。そこで,47年に,毒物及び劇物取締法が改正され,それまで直接的な法規制の対象とならなかった「酢酸エチル・トルエン又はメタノールを含むシンナー及び接着剤」の濫用行為,知情販売行為等が,新たに法規制の対象となり,47年以降,シンナー等の濫用による少年の補導数は減少した。しかし,その後,再び増加の傾向を示し,56年には,同法違反による検挙・補導人員は4万3,536人に達した。この有機溶剤め濫用は,心身の健康を害するのみならず,犯罪や死亡事故にもつながるので,極めて危険である。IV-5表は,43年以降のシンナー等の濫用による少年の死者数を示したものであるが,毎年数十人の事故死者を出している。このように,シンナー等有機溶剤の濫用は,成長期にある青少年に悪影響を及ぼすほかに,最近の事犯を見ると,シンナー等有機溶剤濫用が他の非行を生む要因となっており,あるいは,覚せい剤濫用へ移行する者も見られることなどから,楽観を許さない状況にある。

IV-5表 シンナー等の濫用による少年の死者数(昭和43年〜56年)