第4節 過激派集団の犯罪
1 昭和42年以後の推移 昭和42年10月のいわゆる第一次羽田事件以来,学生を中心とする過激派集団の暴力事件が全国各地にひん発した。まず学外においては,第一次羽田事件の後,43年には,佐世保事件,王子事件,成田事件,新宿事件,続いて44年には,沖縄デー事件,国際反戦デー事件,首相訪米阻止闘争事件等が発生した。この間学園内においても,バリケードによる学園封鎖,セクト間の暴力抗争などを巡って刑事事件が多発した。 昭和45年には,日航機乗取り事件,内ゲバ事件,交番や銀行に対する襲撃事件等,ゲリラ闘争の様相を呈する越軌行動が現れた。 昭和46年に入ると,成田空港用地代執行阻止事件,沖縄返還協定批准阻止闘争事件,警察幹部宅爆弾テロ事件等凶悪な事件が相次いで発生した。 昭和47年には,連合赤軍によるあさま山荘事件及び大量リンチ殺人事件,テルアビブ・ロッド空港襲撃事件等が発生して国民に大きな衝撃を与えたほか,多数の爆弾事件が発生した。 昭和48年には,各セクト間における内ゲバ事件が多発したほか,国外で,日本人を含むアラブゲリラによる日航ジャンボ機乗取り・爆破事件が発生した。 昭和49年には,内ゲバ事件がますます激化して多数の死傷者を出し,また,三菱重工本社ビルなど企業を対象とした爆弾事件が連続して発生した。 一方,国外では,国際ゲリラ事犯が続発した。 昭和50年には,前年同様内ゲバ事件が多発したほか,犯人らの不法な要求に応じて刑事被告人を釈放した,クアラルンプール事件が発生し,法の威信と秩序に重大な打撃を与えた。 昭和51年には,北海道庁爆破事件が発生した。 昭和52年には,前記クアラルンプール事件同様の,ダッカ日航機ハイジャック事件が発生した。 昭和53年には,新東京国際空港の開港を巡り,火炎びん使用事犯を主とする不法事犯が続発した。 昭和54年には,東京サミット反対闘争及び新東京国際空港闘争に関し,ゲリラ的事犯が多発したほか,時限式火炎放射器による東京検察合同庁舎襲撃事件が発生した。 昭和55年には,新東京国際空港第二期工事阻止闘争において,悪質なゲリラ事犯が反覆されたが,全体的には不法事犯が少なく,比較的平穏に推移した。
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