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 昭和53年版 犯罪白書 第4編/第2章/第1節/3 

3 少年審判

 家庭裁判所の審判の対象となるのは,犯罪少年,触法少年及び虞犯少年である。触法少年と14歳未満の虞犯少年については,都道府県知事又は児童相談所長から送致されたときに限って,審判の対象となる。
 昭和52年における少年保護事件の全国家庭裁判所の受理人員総数は,IV-38表に示すとおり,49万5,348人であり,そのうち,道路交通保護事件が58.5%を占めている。一般保護事件(少年保護事件のうち,道路交通保護事件を除いたもの)については,刑法犯が34.5%,特別法犯が6.2%,虞犯が0.8%の割合になっている。前年に比べて,受理人員総数は3万3,524人の増加を示し,刑法犯,特別法犯及び虞犯のいずれの事件についても増加していることが注目される。
 少年事件については,審判前に,少年の個性,環境及び行状等の調査が行われる。この調査に当たるものとして,家庭裁判所の家庭裁判所調査官及び法務省所管下の少年鑑別所がある。

IV-38表 家庭裁判所における少年保護事件の受理人員(昭和48年〜52年)

 また,同じく審判前の家庭裁判所調査官によるいわゆる試験観察は,昭和51年において,一般保護事件で2万1,326人(受理総数の10.3%)について行われている。その試験観察の内容については,試験観察決定総数のうち,遵守事項を定めてその履行を命じ又は条件をつけて保護者に引き渡す措置を執られたものが6.7%,また,適当な施設,団体又は個人に補導を委託された者が70.2%となっている。
 次に,昭和51年に終了した試験観察の期間については,3月以内で終了した者が,一般保護事件では69.6%,道路交通保護事件では84.6%となっているが,1年を超える長期間にわたって試験観察を受けた者も一般保護事件と道路交通保護事件併せて340人を数えている。また,51年中に終局決定のあった一般保護事件のうち試験観察を経たもの2万1,326人について,その処分内容を見ると,検察官送致0.5%,保護観察6.1%,少年院送致1.6%,不処分83.8%,審判不開始0.9%となっている。
 IV-39表は,最近5年間における家庭裁判所の少年事件の処分状況を示したものである。終局決定総数中に占める審判不開始及び不処分の割合の合計は約8割近くにも達している。保護処分になった者については,保護観察及び少年院送致が前年より増加している。これは前者については,いわゆる交通短期保護観察が開始されたこと,後者については,短期処遇を行う少年院への送致が増加したことが,それぞれ主な理由である。また,家庭裁判所の終局決定のうち,道路交通保護事件を除く一般保護事件について,昭和52年における処分状況を10年前の42年のそれと比較すると,IV-2図に示すとおりで,審判不開始及び不処分の比率が高くなり(73.5%から84.3%へ),これに伴い,刑事処分を相当とする検察官送致,少年院送致,保護観察等の決定率が低下していることがわかる。

IV-39表 少年保護事件の終局決定別既済人員(昭和48年〜52年)

IV-2図 終局決定別既済人員の比較(一般保護事件)(昭和42年,52年)

 昭和51年に終局決定のあった一般保護事件のうち,刑法犯,特別法犯及びそれらの主要罪名について処分状況を見たのが,IV-40表である。審判不開始及び不処分の比率の合計が比較的高いのは,暴行,窃盗,銃砲刀剣類所持等取締法違反などであり,比較的低いのが,殺人,強盗,強姦,放火などである。また,刑事処分相当を理由とする検察官送致の比率が高いのは,殺人,業務上(重)過失致死傷,強盗,強姦などである。しかし,業務上(重)過失致死傷を除く刑法犯全体を見ると,刑事処分相当として検察官送致になる者の比率は,1%にもならない。

IV-40表 罪名別・終局決定別一般保護事件処分状況(昭和51年)

 交通犯罪を犯した少年が家庭裁判所においてどのような終局決定を受けているかを,最近5年間の業務上(重)過失致死傷と道交違反について見ると,IV-41表及びIV-42表のとおりである。業務上(重)過失致死傷では,刑事処分相当を理由とする検察官への送致率が低下する反面,保護観察に付される者の割合が増加している。一方,道交違反について見ると,昭和45年8月から交通反則通告制度が少年に対しても適用され,軽微な事犯が家庭裁判所に送致されなくなったことに伴い,46年以降,処理総数は減少したが,51年について見ると,検察官送致,保護観察の割合が上昇している。

IV-41表 業務上(重)過失致死傷の家庭裁判所終局決定人員及び構成比(昭和47年〜51年)

IV-42表 道交違反の家庭裁判所終局決定人員及び構成比(昭和47年〜51年)