2 改革・整備期―昭和24年〜29年 昭和24年,犯罪者予防更生法の施行とともに,我が国の更生保護制度が全面的に国の責任において推進されることとなった。同法の成立に際し,当時の関係者は,仮釈放及び保護観察制度の確立と同時に,更生保護会及び保護司に対する法律的な裏付け並びに成人の執行猶予者に対する保護観察の立法化の実現をも計画した。しかし,それらは制度発足と同時には実現せず,更生保護会については,翌25年施行の更生緊急保護法に,保護司については,同年施行の保護司法に規定されることとなり,更に,成人の執行猶予者に対する保護観察は,28年及び29年の刑法の一部改正に至るまで見送られた。 当時の情勢は,一方において,犯罪の激増と施設の過剰拘禁に対処しなければならず,他方,少年保護については,昭和23年に新少年法が国会を通過し,24年1月1日から既に施行されており,決定機関が機能し始めたのに,執行機関である更生保護機関が発足せず,そのために,24年7月1日までの6箇月間は,少年審判所が保護観察所の代行をするという状況にあった。加えて,占領下という厳しい条件の下で,早急な発足を求められた更生保護制度であったため,制度の当初における予算,人員はともに不十分な状態にあった。 組織機構面については,犯罪者予防更生法の施行とともに,法務府の外局として,中央更生保護委員会が置かれ,その地方支分部局として,全国に地方少年保護委員会及び地方成人保護委員会が,また,その事務分掌機関として,少年保護観察所及び成人保護観察所が,それぞれ,設置された。 この中央更生保護委員会の構想は,明らかにカリフォルニア州のユース・オーソリティ制度やパロール・ボードに範をとったもので,地方少年・成人保護委員会をも含め,これら委員会は,アメリカ合衆国に多く見られる行政委員会の形態を導入し,仮釈放制度の運用の厳正,公平を担保しようとしたものと思われる。 仮釈放の運用においては,パロール出願制度を採用し,執行刑期1年以上,不定期刑にあっては短期1年以上の者又は少年院収容6月以上の者につき,本人からの申し出又は職権により,仮釈放条件日が経過した時点ですべて仮釈放審理の対象とする等,パロールについての本人の主体的な意図や責任を重視する傾向が認められ,ここにも,アメリカ法制の影響が見られた。このパロール出願制度は,昭和28年に廃止されたが,この制度とともに導入された保護観察の実施の基調としての個別処遇の原則,対象者の自助の責任を認めての援助といった考え方と方法は,その後の更生保護における処遇に引き継がれた。 このように,我が国の更生保護制度は,旧少年法による嘱託少年保護司と司法保護事業法による司法保護委員や司法保護団体等の継承に加え,その組織機構及び処遇理論において,多くの影響をアメリカ法制から受けている。 保護観察の制度及び保護観察と結び付いた仮釈放の制度は,犯罪者予防更生法の施行とともに実現した。しかし,更生保護会と保護司に関する法律上の裏付けができるまでの間は,新設の保護観察所が,司法保護団体及び司法保護委員の協力の下に,その業務の運営に当たった。昭和25年5月25日,保護司に関する基本事項を規定した保護司法が施行され,同時に,満期釈放者・起訴猶予者等保護観察を伴わない釈放者に対する更生緊急保護,保護観察中の者に対する応急の救護,更生保護事業の手続・基準等に関する事項を定めた更生緊急保護法も施行された。 昭和27年8月1日,法務府は法務省と改称され,その内局として保護局が設置され,従来の中央更生保護委員会が廃止されるとともに,少年・成人を統合した現行の地方更生保護委員会及び保護観察所が設置された。この機構改革での最も大きな変化は,パロール・ボードに範をとった行政委員会形態の中央更生保護委員会が廃止されて,その後に中央更生保護審査会が設置されたことと,少年・成人が統合され同一の地方更生保護委員会又は保護観察所において取り扱われることとなったことである。 この昭和27年の行政機構の改革後,更に,28年12月1日には,刑法等の一部を改正する法律が施行され,再度目の執行猶予者を保護観察に付することができるようになり,また,翌29年7月1日に刑法の一部を改正する法律の施行により,初度目の執行猶予者も保護観察に付することができることとなり,ここに執行猶予者保護観察法に基づく保護観察が新たに加えられ,待望の成人に対するプロベーションが発足した。 関係法制の整備とともに,民間との協力関係についても見るべきものがあった。昭和お年6月24日には,非行防止を目的とした青年運動であるBBS会が全国代表者会議を開催して,全国BBS運動団体連絡協議会を結成し,また,同年7月1日から10日間「矯正保護キャンペーン」が実施され,現在の法務省主唱による「社会を明るくする運動」への動きが見られた。
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