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 昭和51年版 犯罪白書 第1編/第1章/第7節/1 

1 内ゲバ事犯

 昭和43年から50年までの内ゲバ事犯の発生及び検挙状況を見ると,I-9図及びI-49表のとおりである。この種事犯は,43年ころから激化し始め,44年には発生件数308件,死傷者数1,145人に達し,この期間中の最高を記録した。その後,47年には,発生件数183件,死傷者数340人と減少したが,48年,49年には再び増加した。50年には,前年に比べ発生件数,負傷者数は減少したが,内ゲバによる死亡事件は16件に達し,その死者は20人にも上った。I-50表は,50年中の内ゲバ死亡事件の発生状況を示したものである。

I-9図 内ゲバ事犯発生・検挙状況(昭和43年〜50年)

I-49表 内ゲバ事犯発生・検挙状況(昭和43年〜50年)

I-50表 内ゲバ死亡事件発生状況(昭和50年)

 これらの内ゲバ事犯をセクト別に見ると,昭和50年では,中核派と革マル派との間で行われたものが162件(70.7%)で最も多く,両派の対立抗争の激烈さを表している。最近における両派の対立抗争は,50年3月の中核派による革マル派機関紙編集長の殺害事件,同月の革マル派による中核派書記長殺害事件などに見られるように,組織の幹部を襲撃するものが多く,暴力団相互の対立抗争事件にも似た様相を呈している。
 次に,最近におけるこの種事犯の特徴を見ると,まず第一に,犯行形態がゲリラ的,個人テロ的なものに変容している点が注目される。内ゲバ事犯の発生当初の形態は,集団対集団で抗争する形のものが多かったが,最近では,襲撃専門のテロ行動部隊を編成し,対立派所属員を潜行的,ゲリラ的に襲撃する個人テロ事犯が目立つ。第二に,使用される凶器を見ると,当初は,竹竿,角材,鉄パイプ等が主であったが,最近では,これらのほか,斧,のこぎり,電動カッター等の悪質な凶器へとエスカレートしている。第三に,犯行の態様を見ると,被害者の全身を乱打し,頭部を集中的に強打するなど,攻撃の手段・方法が凶悪化しており,これが死者を増加させる一因となっている。第四に,襲撃が組織的,計画的なものになっており,襲撃に際しては,攻撃隊員のほか,見張り役,凶器の運搬役等の役割分担を定めている事例が多い。第五に,この種事犯の発生が広域化する傾向が見られる。昭和50年における内ゲバ事犯の発生状況を地域別に見ると,多発地域は,東京,大阪,横浜,京都,名古屋,広島,千葉,福岡等の大都市に集中してはいるが,前年に比較し,その発生地域が全国的に拡大ないし拡散しつつあると言える。最後に,この種事犯における襲撃の対象が,当初の過激派学生から各種企業組織内の活動家に多く指向されるようになった点が指摘できよう。
 次に,昭和46年から50年までに発生した内ゲバ事件について,事件発生年別に,全国の検察庁における受理及び処理の状況を見ると,I-51表のとおりである。50年に発生した事件についての受理人員は585人となっている。50年に発生した事件の処理人員は573人で,処理区分別では,起訴167人,不起訴394人,家庭裁判所送致12人となっており,起訴率は29.8%である。起訴率が前年に比べて低いのは,同年7月に発生したいわゆる新橋事件において多数の検挙者があり,起訴猶予処分となった者が多かったことによるものである。

I-51表 内ゲバ事件検察庁受理・処理状況(昭和46年〜50年)

 最近におけるこの種事犯は,前述のとおり,テロ・ゲリラ化し,犯行が計画的に密行されるため,その検挙・捜査は極めて困難となってきている。しかし,事犯は凶悪化・悪質化の傾向を強めているので,一層強力な検挙活動と厳正な裁判が期待される。