第7節 過激派集団の犯罪 昭和42年10月のいわゆる第一次羽田事件以来44年ころまでは,一部の学生を中心とする過激派集団の集団暴力事件が,学園の内外を問わず全国各地にひん発し,累次にわたり多数の検挙者を出した。しかし,この種集団暴力事件は45年に入って減少し,一方,日航機乗取り事件,内ゲバ事件,交番や銀行に対する襲撃事件など,ゲリラ闘争の様相を呈する暴力事犯が現れた。 昭和46年には,過激派学生らの動きが再び活発化し,成田空港用地代執行阻止事件,沖縄返還協定批准阻止闘争事件等の暴力事犯が発生し,多数の検挙者を出した。犯行の態様も,大量の火炎びんを主たる凶器とし,爆弾をも使用して,多数の警察官を殺傷し,民間施設等に対する無差別放火を行うなど,ゲリラ的破壊活動の様相を強めた。また,一部過激派グループは,専ら爆弾を用いてテロ行動に走り,警察の幹部宅等で爆弾事件を起こし,社会に大きな不安を生じさせた。 昭和47年には,連合赤軍によるあさま山荘事件,大量リンチ殺人事件及びテルアビブ・ロッド空港襲撃事件が発生して国民に異常な衝撃を与えたほか,13件の爆弾事件が発生している。 昭和48年には,過激派集団相互間の抗争が激化し,全国各地で激烈な内ゲバ事件が発生した。また,国外では,日本人を含むアラブゲリラによる日航ジャンボ機乗取り・爆破事件が発生し,過激派が海外組織と連携して行う国際的ゲリラ活動が注目された。 昭和49年に入ると,国内においては,内ゲバ事件がますます激化し,同年中の同事件による死者は11人にも上った。また,同年8月に発生した三菱重工本社ビルを中心とする東京丸の内ビル街爆破事件以降,民間の大企業を攻撃目標とする爆発物事犯が連続して発生し,多数の死傷者を出すなど,国民に深刻な不安と動揺を与えた。一方,国外においても,赤軍に属する一派が,独自で,あるいは他国の活動家と共同して,人質のら致,大使館の占拠等のゲリラ活動を敢行した。 以上のような一般情勢から明らかなように,これら過激派集団は,組織の秘密化・軍事化の傾向を強め,その活動がますますテロ・ゲリラ的となってきており,また,海外におけるゲリラ活動も活発化しているので,今後の動向には十分な警戒を要するところである。 以下,昭和50年を中心として,最近における過激派集団の犯罪の特徴について,内ゲバ事犯,爆発物・火炎びん事犯及び国外事犯に焦点を当てて検討してみることとする。
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